この山は私にとって忘れることができない。二度とも北側のクワンナイの沢登りで、帰りに辿った天人峡への道は深田と同じ。雄大で美しいナメ滝のあるクワンナイの長大な旅は楽ではなかった。二度目の時はクワンナイの源頭を終えてトムラウシに登るところから天気が崩れ、小雨のトムラウシの頂上には立てたが、ヒサゴ沼に辿りつけずにビバークした。それでも、深田が初日に辿ったユウトムラウシからカムイサンケを辿る沢登りよりは余程楽だろう。
日本百名山・トムラウシの章の冒頭にある、十勝岳から見る「荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげたダイナミックな」トムラウシ(私はオプタテシケから見た)、旭岳の頂上から「南の方に、快晴の秋空に吃と立っているトムラウシ・・・・・こちら側からは岩峰が三つ」を両方とも見て感動した。そして深田が最後に記している三日目の朝、「化雲岳・・・の狭い頂によじ登って・・・・ようやく晴れてきて、・・・・トムラウシの厳つく岩の肩を張った姿から目を話すことができなかった」というトムラウシは北沼のほとりから間近に見ていた。もう一度登ってみたい。
北沼より:北沼というその大きな池の向こうに、大きな背を向けたトムラウシが立っていた。物憂げに、夏の青い空の中で、それは静かに私を待っているように見えた。私はぞくぞくして、先を急いだ
クワンナイのナメ:雄大な滝の横を登ると、一枚岩のナメ床を水が薄く流れ下っていた。延々と続くナメを水が走る川の世界。苔がたくさん生えていて、分厚い苔の上だとフリクションが利いて歩きやすい。ナメ床の実感を写真で伝えるのは難しい。靴底の感触というのかなあ。
オプタテシケより:頂上の向こう側には、トムラウシとそれに続く縦走路が続いている。トムラウシもずいぶん違った形になっていて、双耳峰に見える。昨年はどっちに登ったんだろう。たぶん左側かな。
TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT
この山は私にとって忘れることができない。二度とも北側のクワンナイの沢登りで、帰りに辿った天人峡への道は深田と同じ。雄大で美しいナメ滝のあるクワンナイの長大な旅は楽ではなかった。二度目の時はクワンナイの源頭を終えてトムラウシに登るところから天気が崩れ、小雨のトムラウシの頂上には立てたが、ヒサゴ沼に辿りつけずにビバークした。それでも、深田が初日に辿ったユウトムラウシからカムイサンケを辿る沢登りよりは余程楽だろう。
日本百名山・トムラウシの章の冒頭にある、十勝岳から見る「荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげたダイナミックな」トムラウシ(私はオプタテシケから見た)、旭岳の頂上から「南の方に、快晴の秋空に吃と立っているトムラウシ・・・・・こちら側からは岩峰が三つ」を両方とも見て感動した。そして深田が最後に記している三日目の朝、「化雲岳・・・の狭い頂によじ登って・・・・ようやく晴れてきて、・・・・トムラウシの厳つく岩の肩を張った姿から目を話すことができなかった」というトムラウシは北沼のほとりから間近に見ていた。もう一度登ってみたい。
北沼より:北沼というその大きな池の向こうに、大きな背を向けたトムラウシが立っていた。物憂げに、夏の青い空の中で、それは静かに私を待っているように見えた。私はぞくぞくして、先を急いだ
クワンナイのナメ:雄大な滝の横を登ると、一枚岩のナメ床を水が薄く流れ下っていた。延々と続くナメを水が走る川の世界。苔がたくさん生えていて、分厚い苔の上だとフリクションが利いて歩きやすい。ナメ床の実感を写真で伝えるのは難しい。靴底の感触というのかなあ。
オプタテシケより:頂上の向こう側には、トムラウシとそれに続く縦走路が続いている。トムラウシもずいぶん違った形になっていて、双耳峰に見える。昨年はどっちに登ったんだろう。たぶん左側かな。「荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげたダイナミックな」トムラウシ