冒頭に出てくる中島正文氏の「黒部奥山と奥山廻り役」は立派なハードカバーになってネットに出ているから、入手もしくは閲覧可能なのだろう。なんとも便利な世の中になった。
深田は2ページを費やして北アルプスの山名を論じ、その最後に、鷲羽岳という名がもともとは今の三俣蓮華岳の名だったのに、2㎞北東に位置する今の鷲羽岳に名前を取られてしまったと明かす。
こういう山名変更について、深田は古い方を支持することが多い(羊蹄山、悪沢岳など)のに、ここでは「今となっては元の正しさに返すことはできまい」としている真意は、その直後に記している「山容の俊秀な点・・・・標高も高い」ことにあるようだ。
これはまさしく日本百名山の選定基準だが、それを山名の設定にも適用したという訳だ。確かに、双六岳、丸山と三つ並んだ緩やかなピークの一つにすぎない三俣蓮華岳に比べ、鷲羽岳は丸みのある鋭角ピラミッドという目立つ姿で北アルプスの稜線上に立っており、すぐ近く(3㎞北)にあるもう一つの日本百名山、黒岳の鋭い双耳岩峰とは対照的な個性を際立たせている。
次の深田の指摘「黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である」というのは、NHKが「黒部源流の山」と言い換え、今ではこれが鷲羽岳の枕詞になっている。鷲羽乗越というのは今の三俣山荘のあるところだと思うが、深田の書いている「高瀬川の源流湯俣川を遡って乗越へ通じる新道」というのは今は無いようだ。
だが、深田の頃に「緑の中に埋もれたように山小屋」という三俣蓮華小屋は立派な二階建てになり、周囲に広がるテントサイトは大入り満員の盛況になっている。
「どの出発点からしても途中二泊は要した」というのは今でも普通の人には(今は足の速い人、トレイルランの人もいるから分からないが)変わらないと思うが、ともかく凄まじく多くの人々が鷲羽岳を、日本百名山を、そして第一等の眺めや黒部源流、花々などを求めてやってくる。
私にとって黒部源流とは、花の宝庫として記憶に残っている:オオバミゾホオズキ、大きなフウロ、オオヒョウタンボク(スイカズラ)などなど・・・・。
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冒頭に出てくる中島正文氏の「黒部奥山と奥山廻り役」は立派なハードカバーになってネットに出ているから、入手もしくは閲覧可能なのだろう。なんとも便利な世の中になった。深田は2ページを費やして北アルプスの山名を論じ、その最後に、鷲羽岳という名がもともとは今の三俣蓮華岳の名だったのに、2㎞北東に位置する今の鷲羽岳に名前を取られてしまったと明かす。
こういう山名変更について、深田は古い方を支持することが多い(羊蹄山、悪沢岳など)のに、ここでは「今となっては元の正しさに返すことはできまい」としている真意は、その直後に記している「山容の俊秀な点・・・・標高も高い」ことにあるようだ。これはまさしく日本百名山の選定基準だが、それを山名の設定にも適用したという訳だ。確かに、双六岳、丸山と三つ並んだ緩やかなピークの一つにすぎない三俣蓮華岳に比べ、鷲羽岳は丸みのある鋭角ピラミッドという目立つ姿で北アルプスの稜線上に立っており、すぐ近く(3㎞北)にあるもう一つの日本百名山、黒岳の鋭い双耳岩峰とは対照的な個性を際立たせている。
次の深田の指摘「黒部川が産声をあげるのが鷲羽岳である」というのは、NHKが「黒部源流の山」と言い換え、今ではこれが鷲羽岳の枕詞になっている。鷲羽乗越というのは今の三俣山荘のあるところだと思うが、深田の書いている「高瀬川の源流湯俣川を遡って乗越へ通じる新道」というのは今は無いようだ。
だが、深田の頃に「緑の中に埋もれたように山小屋」という三俣蓮華小屋は立派な二階建てになり、周囲に広がるテントサイトは大入り満員の盛況になっている。
「どの出発点からしても途中二泊は要した」というのは今でも普通の人には(今は足の速い人、トレイルランの人もいるから分からないが)変わらないと思うが、ともかく凄まじく多くの人々が鷲羽岳を、日本百名山を、そして第一等の眺めや黒部源流、花々などを求めてやってくる。
私にとって黒部源流とは、花の宝庫として記憶に残っている:オオバミゾホオズキ、大きなフウロ、オオヒョウタンボク(スイカズラ)などなど・・・・。