「その頃はまだ日本にもどこから登っていいか分からず、自分で道を見つけ、迷い、藪を漕ぎ、野しゃがみをし、ようやく頂上に達するという、本当の山登りの楽しさの味わえる山があったのである。もうそういう山はほとんど無くなった。しかし開けてしまった山々のうちでも、皇海山などはまだ訪う人の少ない山に数えられよう」というのを最初に読んだ時は、私には登れるのだろうかと不安だったが、深田のこの「簡単には登れない、登っている人はほとんどいない」山の一つだった皇海山はいまや日本百名山の一つとして、多くの人が登り、登山ガイドも山のようにある。今や西の不動沢沿いの林道が整備されたらしく、そこまで車で入れば距離3㎞弱、標高差800mほどで楽に登れてしまうらしい。
私は深田の「山登りの楽しさ」を極めるべく、一度目は庚申山荘に泊って鋸尾根をたどって登り、二度目は北東の松木川を遡るルートを辿って北側から頂上に達した。一度目は天気に恵まれ、深田の書いている奥日光や上信越の山々を見ており、二度目は登山道のないルートで「自分で道を見つけ、迷い、藪を漕ぐ」体験を味わった。
深田が書いている「古峰ヶ原あたりから眺めると突としてそびえているさまは、笏を立てたように見えないこともない」について、私がその古峰ヶ原あたり(象ノ鼻)から見た皇海山はトライアングルであり(方位図の写真、実物は雲で隠れていた)、たぶん笏の先端ということなのだろうが、このすっきりしたトライアングルの姿を私は庚申山の北にあるオロ山付近から見ている。つまり、日本百名山にも写真があり、皇海山の代名詞となっている「牛の背のような」姿は(南東方向にある)庚申山から見たものであり、真東にあるオロ山から見るとすっきりしたトライアングルに見えるということだ。一方、南北方向の袈裟丸山や尾瀬笠ヶ岳から見る皇海山はこれらとはかなり違った台形の姿をしていた。私にとって一番印象的な皇海は、すぐ北の国境平の夜明けに見上げた金色に輝く皇海山。忘れられない思い出。
もう一つ、深田の書いている「山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて」というのを私は二度とも見ていて、皇海山登山道沿いにあるこの剣は今後も多くの人の眼に止まるだろう。一方、深田が最後に書いている皇海山から南に袈裟丸山に続く稜線、北に錫ヶ岳、奥白根山に続く稜線は今でも歩いている人は稀だろう。
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「その頃はまだ日本にもどこから登っていいか分からず、自分で道を見つけ、迷い、藪を漕ぎ、野しゃがみをし、ようやく頂上に達するという、本当の山登りの楽しさの味わえる山があったのである。もうそういう山はほとんど無くなった。しかし開けてしまった山々のうちでも、皇海山などはまだ訪う人の少ない山に数えられよう」というのを最初に読んだ時は、私には登れるのだろうかと不安だったが、深田のこの「簡単には登れない、登っている人はほとんどいない」山の一つだった皇海山はいまや日本百名山の一つとして、多くの人が登り、登山ガイドも山のようにある。今や西の不動沢沿いの林道が整備されたらしく、そこまで車で入れば距離3㎞弱、標高差800mほどで楽に登れてしまうらしい。
私は深田の「山登りの楽しさ」を極めるべく、一度目は庚申山荘に泊って鋸尾根をたどって登り、二度目は北東の松木川を遡るルートを辿って北側から頂上に達した。一度目は天気に恵まれ、深田の書いている奥日光や上信越の山々を見ており、二度目は登山道のないルートで「自分で道を見つけ、迷い、藪を漕ぐ」体験を味わった。
深田が書いている「古峰ヶ原あたりから眺めると突としてそびえているさまは、笏を立てたように見えないこともない」について、私がその古峰ヶ原あたり(象ノ鼻)から見た皇海山はトライアングルであり(方位図の写真、実物は雲で隠れていた)、たぶん笏の先端ということなのだろうが、このすっきりしたトライアングルの姿を私は庚申山の北にあるオロ山付近から見ている。つまり、日本百名山にも写真があり、皇海山の代名詞となっている「牛の背のような」姿は(南東方向にある)庚申山から見たものであり、真東にあるオロ山から見るとすっきりしたトライアングルに見えるということだ。一方、南北方向の袈裟丸山や尾瀬笠ヶ岳から見る皇海山はこれらとはかなり違った台形の姿をしていた。私にとって一番印象的な皇海は、すぐ北の国境平の夜明けに見上げた金色に輝く皇海山。忘れられない思い出。
もう一つ、深田の書いている「山頂の東方に奉納の青銅の剣が立っていて」というのを私は二度とも見ていて、皇海山登山道沿いにあるこの剣は今後も多くの人の眼に止まるだろう。一方、深田が最後に書いている皇海山から南に袈裟丸山に続く稜線、北に錫ヶ岳、奥白根山に続く稜線は今でも歩いている人は稀だろう。
朝日で金色に輝く皇海山。そこに向かう国境平からの道は、百名山登山者で賑わう整備された南尾根とは対照的に自然が支配する世界。微かな踏跡を辿る。
庚申山の頂上から下りにさしかかろうとするといきなり皇海山が目の前に現れる。青く晴れ渡った秋空の下、深い谷の向こうに少し猫背の、濃い緑の鋭鋒が立っている
オロ山までの道はかなり薄くて途切れ途切れの踏跡もしくは獣道だったが、途中で見晴らしの良い尾根に出て、そこから猫背でない、すっきりした鋭角の皇海山を見ることができた。
袈裟丸山・最高峰への長い稜線から見た皇海山は、右端に丸いピークを乗せた横長の姿
小笠の頂上から見えた台形の黒い山は皇海山らしい。
「山頂の東方に奉納の青銅の剣」