四つの歌が出てくるこの章は見事な名文で、おそらく日本百名山のなかのベストの一つだろう。歌の出てくる文章は深田の作品には実に多く、そのどれもが印象深い。最初の「傾きて見ゆ」の平福百穂は実は画家だったとは知らなかった。宮沢賢治の歌も写実的だが、なんといってもこの章、いや岩手山の詩人は石川啄木だろう。深田は啄木の二つの歌を挙げていて、特に一つ目の「ふるさとの山はありがたきかな」は親しみあふれた抒情詩で、盛岡の岩山の「啄木詩の道」にも立派な詩碑がある。
だが私は、この章の末尾にある深田の文章「歌碑のかたわらに立って岩手山を仰いだ。実に男らしい立派な山であった。振り返ると反対側には、すっきりと優しい姿で姫神山が立っていた。男山と女山の美しい対照に私は見惚れた」が好きで、いまでも心に焼き付いていて、どちらかの山を見ると、もう一方を探さずにはいられない。
そして、この章を名文にしているのは歌だけではない。一見してシンプルに見える岩手山が実は複雑なことを深田は見事に表現してみせる:「秀麗な一個の独立峰には違いないが、しかし単純なシムメトリイではない。その常型を破ったところに却ってこの山の傲岸不屈な力強さがある・・・・・頂上に登った時、この山は下から察したほど単純ではないことを悟るであろう・・・・・西岩手と呼ばれる複雑な地形が続いているのである。・・・・・岩手山のヴェテラン村井正衛氏の表現を借りれば『黒倉山北面の大岩壁と屏風岳の岩稜の乱杭歯が円錐玲瓏の東岩手山の山体に食らいつき、複雑なこの山の火山地形をあますところなく展開している』」。
私は初めて岩手山の頂上に東側から登った時、深田の言う西岩手の屏風尾根や鬼ヶ城尾根、緑に覆われた旧噴火口の中の御苗代湖を文章の通りに次々に発見し、頂上の旁に座って長い間見つめていた。西岩手の岩稜が富士型の東岩手に食らいついているように見える姿も、南の雫石スキー場や南東の青松葉山などから何度も見た。文章で読んだものがそのままに目の前に広がっているのを見るのは、実に感動的なものだ。
傾いた岩手山:早朝に松川温泉を出発し、稜線を登り、姥倉山を過ぎると、行く手に傾いた岩手山の頂上が現われる。傲岸不屈な東北の名峰。周囲の諸峰を見下ろしているような貫禄。
北から見る岩手山:北の安比スキー場から見る岩手山は、丸い山頂から伸びるスロープが美しく、優雅。
南東(青松葉山)から見る岩手山:富士形の東岩手に西岩手の鬼ヶ城が喰らいついているようにも見える
御苗代湖:眼下に広がる緑の西岩手・旧噴火口とその中央で水をたたえる御苗代湖
啄木、ふるさとの山の詩:「ふるさとの山にむかひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
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四つの歌が出てくるこの章は見事な名文で、おそらく日本百名山のなかのベストの一つだろう。歌の出てくる文章は深田の作品には実に多く、そのどれもが印象深い。最初の「傾きて見ゆ」の平福百穂は実は画家だったとは知らなかった。宮沢賢治の歌も写実的だが、なんといってもこの章、いや岩手山の詩人は石川啄木だろう。深田は啄木の二つの歌を挙げていて、特に一つ目の「ふるさとの山はありがたきかな」は親しみあふれた抒情詩で、盛岡の岩山の「啄木詩の道」にも立派な詩碑がある。
だが私は、この章の末尾にある深田の文章「歌碑のかたわらに立って岩手山を仰いだ。実に男らしい立派な山であった。振り返ると反対側には、すっきりと優しい姿で姫神山が立っていた。男山と女山の美しい対照に私は見惚れた」が好きで、いまでも心に焼き付いていて、どちらかの山を見ると、もう一方を探さずにはいられない。
そして、この章を名文にしているのは歌だけではない。一見してシンプルに見える岩手山が実は複雑なことを深田は見事に表現してみせる:「秀麗な一個の独立峰には違いないが、しかし単純なシムメトリイではない。その常型を破ったところに却ってこの山の傲岸不屈な力強さがある・・・・・頂上に登った時、この山は下から察したほど単純ではないことを悟るであろう・・・・・西岩手と呼ばれる複雑な地形が続いているのである。・・・・・岩手山のヴェテラン村井正衛氏の表現を借りれば『黒倉山北面の大岩壁と屏風岳の岩稜の乱杭歯が円錐玲瓏の東岩手山の山体に食らいつき、複雑なこの山の火山地形をあますところなく展開している』」。
私は初めて岩手山の頂上に東側から登った時、深田の言う西岩手の屏風尾根や鬼ヶ城尾根、緑に覆われた旧噴火口の中の御苗代湖を文章の通りに次々に発見し、頂上の旁に座って長い間見つめていた。西岩手の岩稜が富士型の東岩手に食らいついているように見える姿も、南の雫石スキー場や南東の青松葉山などから何度も見た。文章で読んだものがそのままに目の前に広がっているのを見るのは、実に感動的なものだ。
傾いた岩手山:早朝に松川温泉を出発し、稜線を登り、姥倉山を過ぎると、行く手に傾いた岩手山の頂上が現われる。傲岸不屈な東北の名峰。周囲の諸峰を見下ろしているような貫禄。
北から見る岩手山:北の安比スキー場から見る岩手山は、丸い山頂から伸びるスロープが美しく、優雅。
南東(青松葉山)から見る岩手山:富士形の東岩手に西岩手の鬼ヶ城が喰らいついているようにも見える
御苗代湖:眼下に広がる緑の西岩手・旧噴火口とその中央で水をたたえる御苗代湖
啄木、ふるさとの山の詩:「ふるさとの山にむかひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」
p62 平福百穂(ひらふく ひゃくすい、1877年(明治10年)12月28日 - 1933年(昭和8年)10月30日)は、日本画家、歌人。 日本美術院のロマン主義的歴史画とは対照的な自然主義的写生画を目指す。1916年(大正5年)に金鈴社結成後は、中国の画像石や画巻、南画への関心を示す古典回帰が見られる作品を発表、やがて1932年(昭和7年)の「小松山」など、自然主義と古典が融合した作品を生み出すに至った。一方で1903年(明治36年)頃からは伊藤左千夫と親しくなりアララギ派の歌人としても活動し、歌集「寒竹」を残す。島木赤彦は百穂の絵画頒布会を開催することで、「アララギ」の経営を助けた。また、秋田蘭画の紹介にも努めた。作家・田口掬汀と親しく、掬汀の孫の高井有一の小説『夢の碑』に、棚町鼓山として登場する。
p62 土性骨(どしょうぼね):性質・性根を強めて,またはののしっていう語。ど根性。ど性根