薬師岳を語る深田は人里離れた奥山に分け入り、テントを担いで登山道も定かでない冒険登山を試み、見事にそれに失敗し、最初の薬師岳登山を諦めて下山している。
まだ若い大学1年生のときで、同行したのが後の熊谷組の社長の熊谷太三郎というのがなかなか凄い。知識人たちだけでなく、実業家にも山登りをたしなむ人は多いに違いない。
今は有峰湖の北東に折立という薬師岳登山口があるが、当時は千垣(立山駅の近く)から歩いたというから、有峰まででも直線で10㎞以上ある。そのときはまだ有峰ダムも有峰湖も無かったというのはまさに大昔。
その後、有峰ダムの建造に熊谷組が従事したというのも宿命めいている:「現地を見に行き曽遊を思いだして感慨無量だと便りをくれた。さもあろう」。
そしてその後、深田はこの山に二度登っている。最初は立山方面から五色ヶ原を経て尾根伝い、これは「深田久弥の山さまざま」の中の「薬師から槍へ」に詳細が書かれている 。
2度目は完成した有峰ダムから登ったとあるから、たぶん今の折立登山口から登ったのだろう:「朝、汽車で富山に着いて、その夕方にはもう太郎兵衛平小屋で一杯やっていたのだから、隔世の感があった」。
このとき深田が太郎兵衛平小屋から薬師峠、薬師平(「美しい小庭園のような原」とある)を経て、右手に大きなカールを見ながら薬師岳の頂上に達したルートを、私は2度、2度とも5月連休にシール・スキーで登り、帰りは滑走した。この時、太郎山から見た薬師岳は、縦位置だったにもかかわらず巨大だった。
そして三つあるカールのうちの二つ(中央カールと金作カール)に少しだけだが飛び込んで滑走:「真上でもう一度ルートを確認し、斜めに滑り込み、ショートターンを何度か刻む。すばらしい開放感! そのままカール底まで行きたい衝動にかられるが自制して休止、登り返す」。大きくて雄大な山だ。
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薬師岳を語る深田は人里離れた奥山に分け入り、テントを担いで登山道も定かでない冒険登山を試み、見事にそれに失敗し、最初の薬師岳登山を諦めて下山している。まだ若い大学1年生のときで、同行したのが後の熊谷組の社長の熊谷太三郎というのがなかなか凄い。知識人たちだけでなく、実業家にも山登りをたしなむ人は多いに違いない。今は有峰湖の北東に折立という薬師岳登山口があるが、当時は千垣(立山駅の近く)から歩いたというから、有峰まででも直線で10㎞以上ある。そのときはまだ有峰ダムも有峰湖も無かったというのはまさに大昔。その後、有峰ダムの建造に熊谷組が従事したというのも宿命めいている:「現地を見に行き曽遊を思いだして感慨無量だと便りをくれた。さもあろう」。
そしてその後、深田はこの山に二度登っている。最初は立山方面から五色ヶ原を経て尾根伝い、これは「深田久弥の山さまざま」の中の「薬師から槍へ」に詳細が書かれている:「スゴ小屋・・・・午後1時小屋を発った。それから薬師岳頂上までの何と長かったことか。さすがはその図体の大きいこと北アルプス随一の山だけあった。登っても登っても先がある。這松地帯にでてようやく頂上に近くなったと思うと、それは本峯でなくて北薬師(2,900m)であった。・・・・北薬師から本峯までがまた長かった。・・・・・・ヘバってきた。とうとうやりきれなくなって大きな四角の岩の上にぶっ倒れるようにして横になった。しばらく休み、小さな缶詰を一つ食べると、やっとまた元気が戻ってきた」 。
2度目は完成した有峰ダムから登ったとあるから、たぶん今の折立登山口から登ったのだろう:「朝、汽車で富山に着いて、その夕方にはもう太郎兵衛平小屋で一杯やっていたのだから、隔世の感があった」。このとき深田が太郎兵衛平小屋から薬師峠、薬師平(「美しい小庭園のような原」とある)を経て、右手に大きなカールを見ながら薬師岳の頂上に達したルートを、私は2度、2度とも5月連休にシール・スキーで登り、帰りは滑走した。この時、太郎山から見た薬師岳は、縦位置だったにもかかわらず巨大だった。そして三つあるカールのうちの二つ(中央カールと金作カール)に少しだけだが飛び込んで滑走:「真上でもう一度ルートを確認し、斜めに滑り込み、ショートターンを何度か刻む。すばらしい開放感! そのままカール底まで行きたい衝動にかられるが自制して休止、登り返す」。大きくて雄大な山だ。
p220 曽遊:そういう(「ぞうゆう」とも)以前に訪れたことがあること。「曽遊の地」