「松本から大町へ向かって安曇野を走る電車の窓からもしそれが冬であれば前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通る毎にいつもその美しい峰から目を離さない」「松本付近から仰ぐ全ての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど見る者に印象を与えるものはない(ウェストン)」という二つの文章がこの章と常念岳の個性を見事に言い表している。
私も寝ぼけ眼で車を運転していて長野道から松本方面に走っているとき、山間から安曇野に入る直前、目の前に真っ白な常念岳が現われ、一気に目が覚めたことが何度かある。
その時見た常念は左前に前常念の峰を斜めに伸ばした姿だが、全体の三角ピラミッドはすらりと整っていて優雅。
同じ長野道を梓川SAまで下って見る常念は右前に前常念がかぶさり、強靭な岩肌のピラミッドで迫力たっぷり。いつまでも見飽きない。
遠くの山からは見える槍ヶ岳や穂高岳などは松本に入ると前山の背後でさっぱり見えなくなるが、常念岳だけは北アルプスの主のようにその中央に立っている。
疑問なのはこれほど松本から見る常念岳のことを書いておきながら、文庫本に載せてある常念岳は涸沢か穂高岳の方角から見たもので、これも確かに三角形の見事なピラミッドではあるが、ちょっと違うぜ。
深田は常念という名前の由来を「夜通し続くお経と鐘の音」や「いずことも知れぬ僧形が奇蹟を示した」ことを挙げているが、現在では山腹にお坊さんの形の雪形が現われることが挙げられ、それが主流になっているようだ。山は変わらずとも、それに係わる知識というものは日々新たにされていくということか。深田の知識は当時では最新のものであり、別に非難されることではない。
この章に出てくる臼井吉見氏は筑摩書房を経営した人で、安曇野の普及に貢献、田淵行男氏はギフチョウの研究で有名な人らしい。
田淵氏の「私の一番多く登っているのは言うまでもなく常念、大滝である。回数にすると百をはるかに越えている」という文章を見て、私も常念に登ったとき、蝶ヶ岳から大滝山まで行ってみた。そこは花が咲き乱れる美がたっぷりの場所で、そこを何度も訪れる芸術家の気持ちが分かるような気がした。
深田が燕岳の方から縦走して登った常念岳に、私は蝶ヶ岳・大滝山から逆に縦走し、大天井岳、燕岳を経て餓鬼岳まで行った。これにはテント3泊を要したが、餓鬼岳には昨年再度登ったので、次の常念には2泊で登るプラン。晴れてくれれば大展望と花を楽しめるだろう。
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「松本から大町へ向かって安曇野を走る電車の窓からもしそれが冬であれば前山を越えてピカリと光る真っ白いピラミッドが見える。私はそこを通る毎にいつもその美しい峰から目を離さない」「松本付近から仰ぐ全ての峰の中で、常念岳の優雅な三角形ほど見る者に印象を与えるものはない(ウェストン)」という二つの文章がこの章と常念岳の個性を見事に言い表している。
私も寝ぼけ眼で車を運転していて長野道から松本方面に走っているとき、山間から安曇野に入る直前、目の前に真っ白な常念岳が現われ、一気に目が覚めたことが何度かある。その時見た常念は左前に前常念の峰を斜めに伸ばした姿だが、全体の三角ピラミッドはすらりと整っていて優雅。同じ長野道を梓川SAまで下って見る常念は右前に前常念がかぶさり、強靭な岩肌のピラミッドで迫力たっぷり。いつまでも見飽きない。遠くの山からは見える槍ヶ岳や穂高岳などは松本に入ると前山の背後でさっぱり見えなくなるが、常念岳だけは北アルプスの主のようにその中央に立っている。
疑問なのはこれほど松本から見る常念岳のことを書いておきながら、文庫本に載せてある常念岳は涸沢か穂高岳の方角から見たもので、これも確かに三角形の見事なピラミッドではあるが、ちょっと違うぜ。
深田は常念という名前の由来を「夜通し続くお経と鐘の音」や「いずことも知れぬ僧形が奇蹟を示した」ことを挙げているが、現在では山腹にお坊さんの形の雪形が現われることが挙げられ、それが主流になっているようだ。山は変わらずとも、それに係わる知識というものは日々新たにされていくということか。深田の知識は当時では最新のものであり、別に非難されることではない。
この章に出てくる臼井吉見氏は筑摩書房を経営した人で、安曇野の普及に貢献、田淵行男氏はギフチョウの研究で有名な人らしい。田淵氏の「私の一番多く登っているのは言うまでもなく常念、大滝である。回数にすると百をはるかに越えている」という文章を見て、私も常念に登ったとき、蝶ヶ岳から大滝山まで行ってみた。そこは花が咲き乱れる美がたっぷりの場所で、そこを何度も訪れる芸術家の気持ちが分かるような気がした。深田が燕岳の方から縦走して登った常念岳に、私は蝶ヶ岳・大滝山から逆に縦走し、大天井岳、燕岳を経て餓鬼岳まで行った。これにはテント3泊を要したが、餓鬼岳には昨年再度登ったので、次の常念には2泊で登るプラン。晴れてくれれば大展望と花を楽しめるだろう。
p242 臼井 吉見(うすい よしみ): 文芸評論家。筑摩書房を経営、多くの作家を世に出すだけでなく、自らも『安曇野』を出版。「安曇野」の名を普及させるきっかけを作る。
p245 田淵行男:鳥取県黒坂村(現日野町)に生れました。1924年(大正13)、東京高等師範学校(現筑波大学)博物科に入学し、ギフチョウの研究を行いました。卒業後は富山県立射水中学校(現富山県立新湊高等学校)、独協中学校(現独協中学校・独協高等学校)等の教諭を勤めました。1945年(昭和20)に穂高牧に疎開し、その後高山蝶の生態研究に入りました。また、山麓のアシナガバチ・ギフチョウ・ヒメギフチョウの生態研究も行いました。1959年(昭和34)には、数百回に及ぶ北アルプスの踏査が実り、著書「高山蝶」を出版しました。1961年(昭和36)には豊科見岳町に転居しました。1976年(昭和51)に、環境庁長官より、自然保護思想普及功労賞を受賞しました。