おそらくこの剱岳の章は日本山岳書の中でも、最も広く知られているのではないだろうか。それは冒頭の「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう」という印象的な文学表現に始まり、
「明治40年、陸地測量部の一行によって、遂に頂上が踏まれた。ところが、人跡未踏と思われていたその絶頂に初めて立ったのは彼等ではなかった。彼等より以前に既に登った者があった。測量部一行は頂上で槍の穂と錫杖の頭を発見したのである。」という衝撃の歴史的事実の紹介(これはその後、新田次郎の名作「点の記」という物語になり、映画化もされ、「日本百名山」を凌ぐベストセラーとなっている)、
そしてこの困難な山にその後、宇治長次郎や佐伯平蔵などの名ガイドの助けで純粋な登山が始まり、今では「近代的なクライミングの試練場となっている」という輝かしい現状、
そして最後の、文庫本のカラー写真にも載っている「おそらく剱岳の一番みごとな景観は仙人池あたりから望んだものであろう・・・・岩と雪の交錯したダイナミックな光景・・・・その男性的な眺めに緊張した眼を下へ移すと、そこにはメルヘン的な原がやわらかに拡がって、そこの池沼に岩と雪の剱岳が逆さに映っている」という、登山者の心を揺さぶる一文は、余韻が響くように、読者の心に深く残るに違いない。
深田はこの山に弥陀ヶ原、室堂経由で、前剣やカニの横這い経由する南尾根から登り、平蔵谷をグリセードで下り、三日目に三ノ窓雪渓から池ノ平小屋に入り、そこで上記の「ダイナミックな光景」を見ている(そこは仙人池ではなかったはずだが、四日目に仙人谷に下る途中、仙人池にも寄っているから、そこからも見たのだろう)(「山さまざま」)。
私は剱岳には3度登ったが、全てスキーを担ぎ、雷鳥沢や剱沢にテントを張り、二泊三日で平蔵谷もしくは長次郎谷を登った。どれも辛くしんどい旅だったが、特に最初の平蔵谷は大きな意味をもつ登山だった。
北西側(大猫山)から見る剱岳。まさに岩の殿堂。頂上の左が長次郎ノコル。この画面では岩しか見えないが、雪斜面が頂上までつながっている(2012年5月13日)
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おそらくこの剱岳の章は日本山岳書の中でも、最も広く知られているのではないだろうか。それは冒頭の「北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳であろう」という印象的な文学表現に始まり、「明治40年、陸地測量部の一行によって、遂に頂上が踏まれた。ところが、人跡未踏と思われていたその絶頂に初めて立ったのは彼等ではなかった。彼等より以前に既に登った者があった。測量部一行は頂上で槍の穂と錫杖の頭を発見したのである。」という衝撃の歴史的事実の紹介(これはその後、新田次郎の名作「点の記」という物語になり、映画化もされ、「日本百名山」を凌ぐベストセラーとなっている)、そしてこの困難な山にその後、宇治長次郎や佐伯平蔵などの名ガイドの助けで純粋な登山が始まり、今では「近代的なクライミングの試練場となっている」という輝かしい現状、そして最後の、文庫本のカラー写真にも載っている「おそらく剱岳の一番みごとな景観は仙人池あたりから望んだものであろう・・・・岩と雪の交錯したダイナミックな光景・・・・その男性的な眺めに緊張した眼を下へ移すと、そこにはメルヘン的な原がやわらかに拡がって、そこの池沼に岩と雪の剱岳が逆さに映っている」という、登山者の心を揺さぶる一文は、余韻が響くように、読者の心に深く残るに違いない。
深田はこの山に弥陀ヶ原、室堂経由で、前剣やカニの横這い経由する南尾根から登り、平蔵谷をグリセードで下り、三日目に三ノ窓雪渓から池ノ平小屋に入り、そこで上記の「ダイナミックな光景」を見ている(そこは仙人池ではなかったはずだが、四日目に仙人谷に下る途中、仙人池にも寄っているから、そこからも見たのだろう)(「山さまざま」)。
私は剱岳には3度登ったが、全てスキーを担ぎ、雷鳥沢や剱沢にテントを張り、二泊三日で平蔵谷もしくは長次郎谷を登った。どれも辛くしんどい旅だったが、特に最初の平蔵谷は大きな意味をもつ登山だった:「晴れた春の日、コンディションは絶好。インディアン・クーロアールに向かって、オーバーハングの向こうに滑る。自分の踏跡が無ければなかなか滑り込めない傾斜ではある。剱沢まで下り、感慨をもって平蔵谷を見上げる。ここから見ると単なる細い雪渓だが、登りも下りも気が抜けない。緊張感から解放され、心地よい幸福感。私の山登りキャリアにおいてターニング・ポイントとなった登山。アマチュアではあるが、エキスパート・レベルを目指す」。
p211 竜門洞窟仏像:龍門石窟は河南省洛陽市から南に13kmの場所にある。北魏の孝文帝時代(471-499年)に掘削が始められ、400年以上をかけて完成した。甘粛省の敦煌莫高窟、山西省の雲岡石窟とともに、中国三大石造芸術の宝庫に数えられる。伊水のほとりの東西を山に挟まれた断崖絶壁に南北1kmにわたって、高さ17mのものからわずか2㎝の像まで、10万体余りの仏像が保存されている。特に賓陽中洞、奉先寺、万佛洞、古陽洞などが代表的である。 (中国駐大阪観光処)