この山もまた、深田の日本百名山に選ばれたことで広く名を知られるようになり、多くの人に登られるようになったのに違いない。最初の2ページに書かれているのは高妻山のある戸隠連峰の盟主、戸隠山についてである。手力雄命に開かれ、投げられた「天ノ岩戸」であるという伝説があり、確かにその峩々とした横長の姿は岩戸のように見えなくもない。一方、投げられる前に「天ノ岩戸」で天照大神が隠れていた場所は伊勢神宮や九州の高千穂という伝説があり、かなりの距離を飛ばされたということらしい。
これら以外にも、「この山こそが天ノ岩戸」「これこそが天照大神」の隠れていたところという伝説のある山や洞窟は日本各地にたくさんあり、各地の里山で何度か見たような気がする。
次に深田が指摘しているのは、「こんな辺鄙な地が栄えた」理由として「修験者はたいてい岩の険しい山を選ぶ」ことを挙げており、大峰山、石鎚山、八海山、両神山を例示していること。こういう山は全国にいくらでもあるだろう。
そして3ページ目にやっと高妻山が出てくる。「もし本当に山の好きな人だったら、その眼をすぐ反対側に返すことを忘れないだろう。その側にすぐ間近に高妻山がスックと立っているからである。」というこの一文は初めて読んだ時から私の頭を離れず、初めて登った時は南側ではなく、高妻山が見える方角ばかりを見ながら登った。すると、「左手の木々の向こうに、目指す高妻が見えてきた。日本百名山にある通り、谷向こうに鋭角の形の良い高い山がすっくと立っている。なるほど、これは見事。完全に晴れて、北アルプスもすっきりと見えている」。
戸隠牧場から五地蔵山を経て登った人なら、深田の書いている一不動、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵、六弥勒、七薬師、八観音、九勢至、十阿弥陀の祠や像を数えながら登ったかもしれない。最後の高妻山への登りは急で辛く、深田は「ようやく頂上に達して私の喜びは無上であったが、もう乙妻山まで足を伸ばす元気がなかった」とある。確かに私が登った時も、頂上は大勢で賑わっていたが、そこから乙妻山に行こうとする人は皆無だった。
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この山もまた、深田の日本百名山に選ばれたことで広く名を知られるようになり、多くの人に登られるようになったのに違いない。最初の2ページに書かれているのは高妻山のある戸隠連峰の盟主、戸隠山についてである。手力雄命に開かれ、投げられた「天ノ岩戸」であるという伝説があり、確かにその峩々とした横長の姿は岩戸のように見えなくもない。一方、投げられる前に「天ノ岩戸」で天照大神が隠れていた場所は伊勢神宮や九州の高千穂という伝説があり、かなりの距離を飛ばされたということらしい。
これら以外にも、「この山こそが天ノ岩戸」「これこそが天照大神」の隠れていたところという伝説のある山や洞窟は日本各地にたくさんあり、各地の里山で何度か見たような気がする。
次に深田が指摘しているのは、「こんな辺鄙な地が栄えた」理由として「修験者はたいてい岩の険しい山を選ぶ」ことを挙げており、大峰山、石鎚山、八海山、両神山を例示していること。こういう山は全国にいくらでもあるだろう。
そして3ページ目にやっと高妻山が出てくる。「もし本当に山の好きな人だったら、その眼をすぐ反対側に返すことを忘れないだろう。その側にすぐ間近に高妻山がスックと立っているからである。」というこの一文は初めて読んだ時から私の頭を離れず、初めて登った時は南側ではなく、高妻山が見える方角ばかりを見ながら登った。すると、「左手の木々の向こうに、目指す高妻が見えてきた。日本百名山にある通り、谷向こうに鋭角の形の良い高い山がすっくと立っている。なるほど、これは見事。完全に晴れて、北アルプスもすっきりと見えている」。
戸隠牧場から五地蔵山を経て登った人なら、深田の書いている一不動、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵、六弥勒、七薬師、八観音、九勢至、十阿弥陀の祠や像を数えながら登ったかもしれない。最後の高妻山への登りは急で辛く、深田は「ようやく頂上に達して私の喜びは無上であったが、もう乙妻山まで足を伸ばす元気がなかった」とある。確かに私が登った時も、頂上は大勢で賑わっていたが、そこから乙妻山に行こうとする人は皆無だった。
乙妻山から見る切り立った鋭鋒の高妻山。ここから見る高妻山は実に迫力がある。
奥裾花自然園から下っていく途中、朝は雲がかかっていた山の上に乙妻山・高妻山が岩稜の姿で現われた。遠目にはなだらかに見えたその西面は鋭く鋭角に切り立った岩壁で、すごい迫力。
火打山への途上、富士見平のあたりまで登ると林を抜け、南の高妻山・乙妻山が見えてくる
私は一人で荒れた道を辿り、十一阿閦というのには気づかなかったが、コルの熊ノ平という湿原で十二大日の古い木標を見て、乙妻山頂上に到達した。そこにあった祠はおそらく虚空蔵菩薩の祠なのだろう。
そして2018年3月、私は山スキーのクラシック・ルートの一つになっている戸隠大橋から乙妻山に登った。この時に見た切り立った鋭鋒の高妻山とそれと好対照のなだらかな白い優しい乙妻山もまた、記憶に残るすばらしい景観だった。
乙妻山:切り立った鋭峰の高妻山に対し、乙妻山はなだらかな白い優しい山に見えた。よし、もうすぐだ。
頂上は遠く、やっと辿りついた稜線は頂上の一角で、下から見えていた大きな黒い標柱は十阿弥陀の銅鏡。頂上はその先の岩場を過ぎたところだった
p158 手力雄神:たぢからおのかみ 日本神話の大力の神。天手力男命(あめのたぢからおのみこと)とも。天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき,岩屋戸を開き,その手を取って引き出した。天孫降臨に従い,伊勢の佐那にとどまるという。長野県戸隠神社の主祭神。
p158 思兼神:おもいかねかみ 日本神話に登場する神。多くの思慮を兼ね備えた神,深く思慮する神の意。『日本書紀』に,高皇産霊尊の子とする伝承がある。『古事記』では思金神,常世思金神とあり,『先代旧事本紀』では八意思金神,八意思兼神と書かれる。また『日本書紀』には,石窟に籠もった天照大神を外へおびき出すためにこの神が「深く謀り,遠く慮りて」対策を講じたと記され,この神は「思慮の智有」る神だとの説明がある。天孫の瓊瓊杵命が降臨する前の話には,地上へ派遣すべき神を次々と選出して国譲りを成功させ,また実際に降臨にも随伴したとある。天手力雄神(アメノタヂカラオノカミ)と一緒に伝承中に登場することが少なくなく,腕力を持つ神と知力を有する神という形で,アメノタヂカラオとペアをなす神だと考えられていた節がある。
p158 天鈿女命:あめのうずめのみこと 古代に宮中の祭りで巫女の役をした,猿女の祖先の女神。『古事記』では天宇受売命。天岩屋戸の内に隠れた天照大神(アマテラスオオミカミ)を招き出すための祭りで,伏せた桶を踏みとどろかして踊りながら,乳房と陰部を剥き出して,天神たちを哄笑させた。怪しんだアマテラスが,岩戸を少し開け,わけをたずねると,「あなたより,もっと尊い神がいられるので,喜んでいるのです」と答えて誘い,天手力男神に手を取られて,アマテラスが岩屋から引き出され,暗黒だった世界がまた陽光に照らされることになった。邇邇芸命(ニニギノミコト)が地上に降ろうとしたとき,道を塞いでいるようにみえた猿田毘古神(サルタビコノカミ)の面前でも,笑いながらやはり乳房と陰部を剥き出して見せて,この神に名を明かさせ,日向(九州の南部)の高千穂の峰まで,ニニギの降臨を先導する役を務めさせた。サルタビコを,伊勢(三重県)の五十鈴川の川上まで送ったのち,魚類を集め天神の御子ヘの奉仕を誓わせたが,ナマコだけが返答せずに黙っていたので,小刀でその口を裂いた。それでナマコは,今でも口が裂けているのだという。裸体露出により,太陽女神や日の御子が,世界に出現するための道を開く働きを,繰り返し果たしている点で,古代インドの神話で,夜明けごとに,東天に裸体をくまなく露呈することで,太陽の通る道を開くとされているうえに,「鎖された岩屋の戸を開く」ともいわれている,曙の女神ウシャスに酷似している。