「鹿島槍は私の大好きな山である」と言い切り、その良さを並べ立てる深田。それはもちろん双耳峰の美しさ、「端正でも、雄大でも、峻烈でもない・・・そういう有り合わせの形容の見つからない非通俗的な美しさ・・・・粋(いき)という言葉が適当しようか」というのは、もう小林秀雄を思わせる文芸評論である。
深田はこの山を糸魚川街道の湖のほとり(木崎湖あるいは青木湖だろうか)や五竜岳頂上から見て「二つの槍がスックと頭をもたげている・・・・・流れゆく薄雲の合間に隠見する吊尾根・・・・・・ああいう構図はどんな天才的な画家も思いつくまい」と絶賛する。
深田はこの山を見ただけではない、「山はその頂を踏むことによって一層親しみを増すもの・・・・私は昭和9年の夏に小林秀雄君と二人で初めてその頂上に立った。それ以来鹿島槍は私の心を擒にして今日に及んでいる」というから、生涯で一番好きな山であったことは間違いない。
冒頭に記載された三好達治の歌(彼は鹿島槍の双耳に舟を見ている)、最後に触れている茨木猪之吉画伯の絵も深田にとって鹿島槍の一部だったに違いない。
私はこの山に南側の扇沢から二度登った。最初は5月にスキーを担ぎ、冷池山荘に泊って翌日頂上に立ち、二度目は10月に、大勢の登山者に混じって日帰り(宿泊の人も、トレイルランの人もいた)。
この時は最初、別の山に登るプランで、鹿島槍まで日帰りするつもりではなかったのだが、種池山荘から見た鹿島槍の双耳が見え「よし、鹿島槍に登ろう」と決めてしまった:「鹿島槍は芸術品のような優美な姿で、人を惹きつける魅力? を持っているらしい」。
鹿島槍の双耳は、五竜岳頂上からも間近に見たが、剱岳頂上からも(深田は立山連峰から眺めてはやや精彩を欠くと言っているが)見ている。五竜に登った時は最初、遠見尾根から1峰に見えていたのがやがて双耳に分かれてゆき、鹿島槍だったのか、と気づいた。まだ登っていない南峰に行くのが次の目標である。
林を抜けると布引山、鹿島槍・南峰、北峰が並び、双耳が三つに見える。ここまで来て初めて見ることができる三峰の鹿島槍
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「鹿島槍は私の大好きな山である」と言い切り、その良さを並べ立てる深田。それはもちろん双耳峰の美しさ、「端正でも、雄大でも、峻烈でもない・・・そういう有り合わせの形容の見つからない非通俗的な美しさ・・・・粋(いき)という言葉が適当しようか」というのは、もう小林秀雄を思わせる文芸評論である。深田はこの山を糸魚川街道の湖のほとり(木崎湖あるいは青木湖だろうか)や五竜岳頂上から見て「二つの槍がスックと頭をもたげている・・・・・流れゆく薄雲の合間に隠見する吊尾根・・・・・・ああいう構図はどんな天才的な画家も思いつくまい」と絶賛する。
深田はこの山を見ただけではない、「山はその頂を踏むことによって一層親しみを増すもの・・・・私は昭和9年の夏に小林秀雄君と二人で初めてその頂上に立った。それ以来鹿島槍は私の心を擒にして今日に及んでいる」というから、生涯で一番好きな山であったことは間違いない。冒頭に記載された三好達治の歌(彼は鹿島槍の双耳に舟を見ている)、最後に触れている茨木猪之吉画伯の絵も深田にとって鹿島槍の一部だったに違いない。
私はこの山に南側の扇沢から二度登った。最初は5月にスキーを担ぎ、冷池山荘に泊って翌日頂上に立ち、二度目は10月に、大勢の登山者に混じって日帰り(宿泊の人も、トレイルランの人もいた)。この時は最初、別の山に登るプランで、鹿島槍まで日帰りするつもりではなかったのだが、種池山荘から見た鹿島槍の双耳が見え「よし、鹿島槍に登ろう」と決めてしまった:「鹿島槍は芸術品のような優美な姿で、人を惹きつける魅力? を持っているらしい」。
鹿島槍の双耳は、五竜岳頂上からも間近に見たが、剱岳頂上からも(深田は立山連峰から眺めてはやや精彩を欠くと言っているが)見ている。五竜に登った時は最初、遠見尾根から1峰に見えていたのがやがて双耳に分かれてゆき、鹿島槍だったのか、と気づいた。まだ登っていない南峰に行くのが次の目標である。
p209 茨木猪之吉:(1888-1944):大正・昭和初期の画家。 浅井忠・中村不折に師事。 小島鳥水と親交が深く、日本山岳画協会を設立。 昭和19年穂高岳で消息を絶つ、57歳。