深田はこの章でまず磐梯山の噴火のことを語り、1888年の噴火で裏磐梯と桧原、小野川、秋元の三湖ができ、バラエティに富む裏磐梯の方が繁盛していると言う。
確かに磐梯山には二つの顔があり、裏磐梯の荒々しい双耳峰は遠く飯豊からも見分けることができた。だが深田は「本当のすぐれた磐梯山に接しようとするには是非表の猪苗代湖から仰がねばならない」と言い、「猪苗代八景の磐梯晴嵐」を挙げ、「湖の東南側にある額取山から高旗山に続く丘陵山脈上」から「最もみごとな眺望・・・・気高く美しい磐梯」を見た時の感動を語る。
実は私は額取山にも高旗山にも登ったことがあり、大将棋山から額取山の頂上とその間の稜線上で、やや霞んではいるが、この気高く美しい磐梯山を眺めながら歩いていた。
磐越道を郡山から会津に向かうと磐梯山は必ず正面右手に現われるから、私は深田よりも数多く磐梯山を見ているだろう。その中には、真っ赤な夕焼雲に浮かぶシルエットの姿の、魔法のような磐梯もあった。
深田は磐梯がイワハシが語源であることを解明してみせ、それから表口から磐梯山に登り、赤埴山や沼ノ平を過ぎ、弘法清水を経て頂上に達し、帰りは裏磐梯に下る。「観光客がざわざわと群れている」というのは気に食わないのだろうが、「一層の繁盛をもたらした・・・・シムメトリーよりもデフォルメを好む傾向」などで登山が万民に親しまれるようになってきていることを楽しんでいるのだと思う。
私は2002年から2005年まで、毎年4回磐梯山に登った。最初は裏磐梯から、2度目は表の翁島口から、そして3度目と4度目は3月に深田の登ったスキー場のリフト・トップから山スキーで登った。2005年は見事に晴れて、真っ白な磐梯山頂上から真っ青な青空の下に猪苗代湖を見た。
空から見る磐梯山、滑らかな斜面をもつ左側の表磐梯と、巨大な噴火口と化した右側の裏磐梯
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深田はこの章でまず磐梯山の噴火のことを語り、1888年の噴火で裏磐梯と桧原、小野川、秋元の三湖ができ、バラエティに富む裏磐梯の方が繁盛していると言う。確かに磐梯山には二つの顔があり、裏磐梯の荒々しい双耳峰は遠く飯豊からも見分けることができた。だが深田は「本当のすぐれた磐梯山に接しようとするには是非表の猪苗代湖から仰がねばならない」と言い、「猪苗代八景の磐梯晴嵐」を挙げ、「湖の東南側にある額取山から高旗山に続く丘陵山脈上」から「最もみごとな眺望・・・・気高く美しい磐梯」を見た時の感動を語る。
実は私は額取山にも高旗山にも登ったことがあり、大将棋山から額取山の頂上とその間の稜線上で、やや霞んではいるが、この気高く美しい磐梯山を眺めながら歩いていた。磐越道を郡山から会津に向かうと磐梯山は必ず正面右手に現われるから、私は深田よりも数多く磐梯山を見ているだろう。その中には、真っ赤な夕焼雲に浮かぶシルエットの姿の、魔法のような磐梯もあった。
深田は磐梯がイワハシが語源であることを解明してみせ、それから表口から磐梯山に登り、赤埴山や沼ノ平を過ぎ、弘法清水を経て頂上に達し、帰りは裏磐梯に下る。「観光客がざわざわと群れている」というのは気に食わないのだろうが、「一層の繁盛をもたらした・・・・シムメトリーよりもデフォルメを好む傾向」などで登山が万民に親しまれるようになってきていることを楽しんでいるのだと思う。
私は2002年から2005年まで、毎年4回磐梯山に登った。最初は裏磐梯から、2度目は表の翁島口から、そして3度目と4度目は3月に深田の登ったスキー場のリフト・トップから山スキーで登った。2005年は見事に晴れて、真っ白な磐梯山頂上から真っ青な青空の下に猪苗代湖を見た。
空から見る磐梯山、滑らかな斜面をもつ左側の表磐梯と、巨大な噴火口と化した右側の裏磐梯