木曽駒ヶ岳2,956m、宝剣岳2,931m
深田はこの山についてまず山名の由来諸説を語り、最有力なものとして残雪の駒の形を挙げているが、現在ではなんと、伊那側から見た山腹に三種類もの雪形が見えるとされている(「種まき爺(盆踊り娘)」「島田娘」「左向きの駒形」。三つの内二つは人形だから、山名の由来という訳ではないのだろうが、こっちを由来にしていたら、駒ヶ岳ではなくて、爺ヶ岳、美ヶ岳とでもなっていたのか?)。
「馬八尺以上を竜という」というのはインドや中国のずいぶん古い話らしく、高さ六尺を馬といって諸侯の乗物、八尺以上を竜と言って天子(王)の乗物だったという。
次に深田が語る「木曽側の上松からの登山ルートというのは、深田は下ったことがあると書いている。伊那側から登って木曽側に下るというような登山は今ではなかなか思いつかない。かつて頂上に祀られ、木曽側の麓に移されたという保食大神(うけもち)というのは全国にたくさんあり、木曽だけということではないらしい。
次に伊那側からの大部隊登山のことが書かれているが、こういう集団登山の風習が高じて現在のロープウェイ設置に繋がったのだろうか。こうなってしまっては、深田が書いている「息を切らしながら森林帯の中の急路を登ってついに高山帯に出たときの壮快さは格別である」「濃ヶ池というのは氷河の遺跡の圏谷の底にあるが、濃い青色の水を湛て、頂上に近い登山路から深く見降ろされる」というのは味わえない。
だが、ロープウェイで千畳敷カールに上がると正面に宝剣岳がそびえ、浄土乗越を越えていくと西に御岳が現われ、南に空木岳と南駒ヶ岳が並んで見えていた。このあたりは(季節は違うと思うが)深田が最後に書いている「四周の眺望をほしいままにした」に近く、東に八ヶ岳に南アルプス、富士山も見え、北には乗鞍岳に槍・穂高も見えていた。
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深田はこの山についてまず山名の由来諸説を語り、最有力なものとして残雪の駒の形を挙げているが、現在ではなんと、伊那側から見た山腹に三種類もの雪形が見えるとされている(「種まき爺(盆踊り娘)」「島田娘」「左向きの駒形」。三つの内二つは人形だから、山名の由来という訳ではないのだろうが、こっちを由来にしていたら、駒ヶ岳ではなくて、爺ヶ岳、美ヶ岳とでもなっていたのか?)。
「馬八尺以上を竜という」というのはインドや中国のずいぶん古い話らしく、高さ六尺を馬といって諸侯の乗物、八尺以上を竜と言って天子(王)の乗物だったという。
次に深田が語る「木曽側の上松からの登山ルートというのは、深田は下ったことがあると書いている。伊那側から登って木曽側に下るというような登山は今ではなかなか思いつかない。かつて頂上に祀られ、木曽側の麓に移されたという保食大神(うけもち)というのは全国にたくさんあり、木曽だけということではないらしい。
次に伊那側からの大部隊登山のことが書かれているが、こういう集団登山の風習が高じて現在のロープウェイ設置に繋がったのだろうか。こうなってしまっては、深田が書いている「息を切らしながら森林帯の中の急路を登ってついに高山帯に出たときの壮快さは格別である」「濃ヶ池というのは氷河の遺跡の圏谷の底にあるが、濃い青色の水を湛て、頂上に近い登山路から深く見降ろされる」というのは味わえない。
だが、ロープウェイで千畳敷カールに上がると正面に宝剣岳がそびえ、浄土乗越を越えていくと西に御岳が現われ、南に空木岳と南駒ヶ岳が並んで見えていた。このあたりは(季節は違うと思うが)深田が最後に書いている「四周の眺望をほしいままにした」に近く、東に八ヶ岳に南アルプス、富士山も見え、北には乗鞍岳に槍・穂高も見えていた。
p314 山名の由来:「種まき爺(盆踊り娘)」は一番左の○で囲んだ雪形です。5月上旬から下旬にかけて見られます。かごから種をまいているお爺さん(あるいは左を向いた娘が袖をたらして手を左に伸ばして踊っている)という雪形です。 真ん中の「島田娘」は非常に有名な雪形です。4月中旬から5月下旬に見られます。今では結婚式などでしか見られなくなった島田髪を結った左向きの娘さんの形が良く現れています。 次に左向きの「駒形」。4月中旬から6月上旬にかけて現れます。
p315 「馬八尺以上を竜という」:高さ六尺(一・八〇メ-トル)を馬といい、古来諸侯の乗り物でした。馬八尺以上を龍といい、天子(王)の乗り物でした。五尺以上の小型は駒といいます。さて、インドでは馬は牛、獅子(ライオン)、象(ゾウ)とともに聖なる動物で四獣といいます。西アジアやエジプト、さらにギリシャ・ロ-マでは優れた馬は空に上り、時に翼が生えて天馬と呼び、これはインドにも紀元前に伝わりました 。(拝島大師本覚院)
p315 保食大神(うけもち):保食神(ウケモチノカミ)とは、『日本書紀』では保食神と呼ばれ、食物を司る神として描かれます。『古事記』ではイザナギ神・イザナミ神の「神産み」から生まれます。神名の大宜都比売(オオゲツヒメ)とは「大いなる食物の女神」という意味です。記紀でスサノオとツキヨミに切られ、死体から様ざまな穀物を生み出した食物神です。