これを初めて読んだとき、とにかく引用された太宰治の文章が強烈に記憶に残った:「津軽富士と呼ばれている1,625mの岩木山が満目の水田の尽きるところにふわりと浮いている。実際、軽く浮かんでいる感じなのである。したたるほど真蒼で富士山よりもっと女らしく、十二単の裾を銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透き通るくらいに嬋娟たる美女ではある」。
深田は「北側から見た岩木山を知らない」としながらも、この北側の金木から見た岩木山の太宰の描写を引用している。私が金木から見た岩木山は雪化粧をしていて真っ蒼ではなかったが、土色の水田の上の幅広の二等辺三角形とその上に細く立つ頂上は確かに十二単の美女が佇んでいるようにも見える。それに、今にもふわりと浮かび上がりそうな感じもする。
深田は書いていないが、私が岩木山で思い浮かべるもう一人は大町桂月で、頂上に素敵な歌碑がある:「四方八方(よもやも)の千万(ちよろず)の山を見下ろして心にかかる雲もなき哉」大正11年10月14日、桂月。
因みに、私が一番素晴らしいと思う岩木山は南南西に位置する二ツ森から見た「天を衝く凛々しい」岩木山である。
最後に記載してある深田が初めて岩木山に登った時の記述:「嶽の湯から・・・・雨混じりを登り・・・・肩から爆裂口・・・鳥ノ海を見る・・・本降りで眺望は得られず、帰りは百沢の方に降りた」とあるのは、「我が山山」の冒頭「陸奥山水記」の最後の旅で、このとき深田は頂上まで登っていないはずである。「初めて」とあるから、この後、改めて岩木山に登っているのだろう。
本章最後の「百沢の・・・・草地の気持ちのいい斜面・・・・スキーで飛ばしたらさぞいいだろう」と語っているのは、まさに私が岩木山頂上から百沢スキーに向かって滑走した斜面に違いない。
ミチノクコザクラ:小さな沢沿いに微かな踏み跡がある。何の気なしにその踏み跡を辿ってみると、少し先にミチノクコザクラの大群落が隠されていた。花を踏まないようにして花の間を歩き回る
滑走:準備をしてさっそく百沢に向かって滑る。すぐに頂上は見えなくなり、真下の大雪原がせまる。上の方は雪が締まっていて滑りやすい。鳥海の斜面に出るとポールが立っている。このあたりまで来るとトレースがたくさん付いている。鳥海から一人、ボーダーがゆっくり降りてくる。と、百沢の方から登ってくるスキーヤー
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これを初めて読んだとき、とにかく引用された太宰治の文章が強烈に記憶に残った:「津軽富士と呼ばれている1,625mの岩木山が満目の水田の尽きるところにふわりと浮いている。実際、軽く浮かんでいる感じなのである。したたるほど真蒼で富士山よりもっと女らしく、十二単の裾を銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく静かに青空に浮かんでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透き通るくらいに嬋娟たる美女ではある」。
深田は「北側から見た岩木山を知らない」としながらも、この北側の金木から見た岩木山の太宰の描写を引用している。私が金木から見た岩木山は雪化粧をしていて真っ蒼ではなかったが、土色の水田の上の幅広の二等辺三角形とその上に細く立つ頂上は確かに十二単の美女が佇んでいるようにも見える。それに、今にもふわりと浮かび上がりそうな感じもする。
深田は書いていないが、私が岩木山で思い浮かべるもう一人は大町桂月で、頂上に素敵な歌碑がある:「四方八方(よもやも)の千万(ちよろず)の山を見下ろして心にかかる雲もなき哉」大正11年10月14日、桂月。
因みに、私が一番素晴らしいと思う岩木山は南南西に位置する二ツ森から見た「天を衝く凛々しい」岩木山である。
最後に記載してある深田が初めて岩木山に登った時の記述:「嶽の湯から・・・・雨混じりを登り・・・・肩から爆裂口・・・鳥ノ海を見る・・・本降りで眺望は得られず、帰りは百沢の方に降りた」とあるのは、「我が山山」の冒頭「陸奥山水記」の最後の旅で、このとき深田は頂上まで登っていないはずである。「初めて」とあるから、この後、改めて岩木山に登っているのだろう。本章最後の「百沢の・・・・草地の気持ちのいい斜面・・・・スキーで飛ばしたらさぞいいだろう」と語っているのは、まさに私が岩木山頂上から百沢スキーに向かって滑走した斜面に違いない。
ミチノクコザクラ:小さな沢沿いに微かな踏み跡がある。何の気なしにその踏み跡を辿ってみると、少し先にミチノクコザクラの大群落が隠されていた。花を踏まないようにして花の間を歩き回る
滑走:準備をしてさっそく百沢に向かって滑る。すぐに頂上は見えなくなり、真下の大雪原がせまる。上の方は雪が締まっていて滑りやすい。鳥海の斜面に出るとポールが立っている。このあたりまで来るとトレースがたくさん付いている。鳥海から一人、ボーダーがゆっくり降りてくる。と、百沢の方から登ってくるスキーヤー
p50 石坂 洋次郎(いしざか ようじろう、1900年(明治33年)1月15日- 1986年(昭和61年)10月7日)は、日本の小説家。青森県弘前市代官町生まれ。慶應義塾大学国文科卒。『若い人』で文壇に登場。戦後は新聞小説に活躍。『青い山脈』をはじめとする青春物で、国民的な人気を博した。数多くの作品が映像化されている。
p51 嬋娟:せん‐けん【嬋娟】 〘形動タリ〙 (「 せんげん 」とも) 容姿 が、あでやかで美しいこと。