蛭ヶ岳1,673m、檜洞丸1,600m、丹沢山1,567m、塔ノ岳1,491m、大山1,252m、焼山1,060m
この山塊についての深田の記述を読むと、丹沢が縦横に登山道が設けられ、大勢の人たちに登られる山になったのはごく最近のことというのが分かる。「青野原から焼山に登りヒメツギあたりまで行って道が分からなくなって引き返した。それが最初だった」という道を私はまだ歩いたことがないが、今では焼山1,060mから登山道が蛭ヶ岳はじめ縦走路まで通じている(ヒメツギというのは分からないが、焼山の南西にある黍殻山にはネット登山案内が多数)。
武田久吉博士のハガキで注意されたのは丹沢の上流に広々とした河原がある原因についてだが、確かに丹沢の縦走路を歩いていると深くえぐられた谷や細尾根になっている箇所を見た覚えがある。私が登った丹沢の沢は水無川本谷から塔ノ岳と葛葉川本谷から三ノ塔程度の初心者コースだが、これらの谷は狭いながらも深くえぐれていて、ずっとゴルジュのような感じだった。
大山(おおやま)について深田は、雨降山と呼ばれたこと、消防の寄進の碑がたくさんあること、それに実朝の有名な歌が載せられている。私がこの山に登った時の写真に「八番組、鳶中」「九番組、鳶中」「十番組、鳶中」という三つの石灯籠が山頂直下の道沿いに並んでいるのがあるが、これは江戸時代に奉納されたものなのかもしれない。
塔ノ岳頂上にはかつて黒尊仏という巨大な岩があり、大震災で崩壊したと深田は書いているが、今の塔ノ岳の広い頂上には二階建ての尊仏山荘があり、安全祈願の石像や石板がたくさん並び、その周りに大勢の登山者が集っている。
深田が蛭ヶ岳に登ったのもずいぶん昔らしく、「そこから見渡すあたりが鬱蒼たる森林・・・・西にズングリした頭の桧洞丸・・・丹沢で第二の高峰であるが、・・・道が無く、怪峰とか秘峰とか呼ばれた」とある。今はもちろん、桧洞丸には縦横に道がある。この桧洞丸もまた私の頭に深く刻み込まれた山で、私は最初に丹沢に向かったとき、初日に大山、二日目に塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳の縦走、そして三日目に西丹沢から桧洞丸に登った。
深田は「ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌を掴めない」と書いているから、当時は西丹沢など開かれていなかったのだろう。今は登山道が東西南北に数え切れぬほどあり、私は西丹沢を畔ヶ丸山から菰釣山まで、桧洞丸から蛭ヶ岳の縦走もしてみたが、まだその全貌を掴めずにいる。
深田は末尾で、「谷川岳に劣らずこの山にも遭難事件が頻繁に起こっている」というのは今も続いているようだが、その内容はクライミングの谷川岳とは違い、「安易な入山が招く事故」「疲労による行動不能」(*)が中心らしい。私も気を付けなくてはいけない範疇だ。
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この山塊についての深田の記述を読むと、丹沢が縦横に登山道が設けられ、大勢の人たちに登られる山になったのはごく最近のことというのが分かる。「青野原から焼山に登りヒメツギあたりまで行って道が分からなくなって引き返した。それが最初だった」という道を私はまだ歩いたことがないが、今では焼山1,060mから登山道が蛭ヶ岳はじめ縦走路まで通じている(ヒメツギというのは分からないが、焼山の南西にある黍殻山にはネット登山案内が多数)。
武田久吉博士のハガキで注意されたのは丹沢の上流に広々とした河原がある原因についてだが、確かに丹沢の縦走路を歩いていると深くえぐられた谷や細尾根になっている箇所を見た覚えがある。私が登った丹沢の沢は水無川本谷から塔ノ岳と葛葉川本谷から三ノ塔程度の初心者コースだが、これらの谷は狭いながらも深くえぐれていて、ずっとゴルジュのような感じだった。
大山(おおやま)について深田は、雨降山と呼ばれたこと、消防の寄進の碑がたくさんあること、それに実朝の有名な歌が載せられている。私がこの山に登った時の写真に「八番組、鳶中」「九番組、鳶中」「十番組、鳶中」という三つの石灯籠が山頂直下の道沿いに並んでいるのがあるが、これは江戸時代に奉納されたものなのかもしれない。
塔ノ岳頂上にはかつて黒尊仏という巨大な岩があり、大震災で崩壊したと深田は書いているが、今の塔ノ岳の広い頂上には二階建ての尊仏山荘があり、安全祈願の石像や石板がたくさん並び、その周りに大勢の登山者が集っている。
深田が蛭ヶ岳に登ったのもずいぶん昔らしく、「そこから見渡すあたりが鬱蒼たる森林・・・・西にズングリした頭の桧洞丸・・・丹沢で第二の高峰であるが、・・・道が無く、怪峰とか秘峰とか呼ばれた」とある。今はもちろん、桧洞丸には縦横に道がある。この桧洞丸もまた私の頭に深く刻み込まれた山で、私は最初に丹沢に向かったとき、初日に大山、二日目に塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳の縦走、そして三日目に西丹沢から桧洞丸に登った。
深田は「ただ表尾根を歩くだけでなく、その奥深く入れば山の規模は大きく複雑で、容易にその全貌を掴めない」と書いているから、当時は西丹沢など開かれていなかったのだろう。今は登山道が東西南北に数え切れぬほどあり、私は西丹沢を畔ヶ丸山から菰釣山まで、桧洞丸から蛭ヶ岳の縦走もしてみたが、まだその全貌を掴めずにいる。
深田は末尾で、「谷川岳に劣らずこの山にも遭難事件が頻繁に起こっている」というのは今も続いているようだが、その内容はクライミングの谷川岳とは違い、「安易な入山が招く事故」「疲労による行動不能」(*)が中心らしい。私も気を付けなくてはいけない範疇だ。
(*)首都圏のハイキングエリアとして人気の丹沢。なかでも、塔ノ岳(とうのだけ、1491m)をはじめとする表丹沢はアプローチしやすいこともあり、通年ハイカーでにぎわう。しかし、安易な入山が招く事故も多発しているという。 神奈川県警秦野署が管轄する範囲は、「表丹沢」と呼ばれる登山者の多いエリアが中心である。昨年は遭難発生が増加し、なかでも疲労により行動不能になる事例が多かったという。 (山渓オンライン)