島崎藤村の「夜明け前」は残念ながらまだ読んだことがない。深田の言う「十曲峠」とうのは今の馬籠峠のことと思われるが、この山の大きな姿を私は麓のあたりから見て、「あっ恵那山だ」とすぐ分かった。
美濃の平野の中では抜きんででいるのだが、標高2,190mの恵那山はこれより遥かに高い日本アルプスの峰々からも意外にもよく見える。南アルプスから中央アルプスを見たとき、その南端に少し離れて丸い大きなピークが立っていて、それが恵那山だとすぐ分かる。
深田はウェストンが恵那山に登ったことを書いているが、ウェストンは6月の山開きまで待つよう忠告する神主を無視して、深い残雪の恵那山に登っている:「雪が登山の助けになる・・・と聞いて彼(神主)は驚いていた・・・・雪は柔らかだった・・・一歩ごとに膝まで・・・埋まった。2,205mの最高点(当時の高度計による計測なのだろう)の高さに達して山嶺の東側に二、三歩降りてみると、春爛漫と輝く暖かい自由な地にやってきた・・・・」。
次に深田はかつて中仙道が通じていた神坂峠について歌を二首(一つは一部のみ)挙げていて、能因法師の歌の「みさか」は恵那山のことだろうと指摘している。神坂峠1,569mは恵那山頂上の5㎞ほど北にあり、今は車道が通じていて建物も建っているようだが、深田が書いているとおり「山稜上の一鞍部」でありピークではないから、深田の指摘通りなのだろう。
ウェストンが辿ったのはたぶん西の恵那神社からの「二十合目まである・・・長い道」だったと思われるが、深田は恵那神社から中津川を更に遡り、南東稜から登っている。
今では北東の本谷川から北東尾根を辿るのが一番近いようで、私はその道を登って、大勢の登山者に混じって紅葉の頂上に立った。
深田は「恵那山は忘れられた山になっている・・・私の友達でこの山に登った人はごく稀である」と書いているが、今や日本百名山となった恵那山は里山の雰囲気で登れる名山となり、賑わっている。
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島崎藤村の「夜明け前」は残念ながらまだ読んだことがない。深田の言う「十曲峠」とうのは今の馬籠峠のことと思われるが、この山の大きな姿を私は麓のあたりから見て、「あっ恵那山だ」とすぐ分かった。美濃の平野の中では抜きんででいるのだが、標高2,190mの恵那山はこれより遥かに高い日本アルプスの峰々からも意外にもよく見える。南アルプスから中央アルプスを見たとき、その南端に少し離れて丸い大きなピークが立っていて、それが恵那山だとすぐ分かる。
深田はウェストンが恵那山に登ったことを書いているが、ウェストンは6月の山開きまで待つよう忠告する神主を無視して、深い残雪の恵那山に登っている:「雪が登山の助けになる・・・と聞いて彼(神主)は驚いていた・・・・雪は柔らかだった・・・一歩ごとに膝まで・・・埋まった。2,205mの最高点(当時の高度計による計測なのだろう)の高さに達して山嶺の東側に二、三歩降りてみると、春爛漫と輝く暖かい自由な地にやってきた・・・・」。
次に深田はかつて中仙道が通じていた神坂峠について歌を二首(一つは一部のみ)挙げていて、能因法師の歌の「みさか」は恵那山のことだろうと指摘している。神坂峠1,569mは恵那山頂上の5㎞ほど北にあり、今は車道が通じていて建物も建っているようだが、深田が書いているとおり「山稜上の一鞍部」でありピークではないから、深田の指摘通りなのだろう。
ウェストンが辿ったのはたぶん西の恵那神社からの「二十合目まである・・・長い道」だったと思われるが、深田は恵那神社から中津川を更に遡り、南東稜から登っている。今では北東の本谷川から北東尾根を辿るのが一番近いようで、私はその道を登って、大勢の登山者に混じって紅葉の頂上に立った。深田は「恵那山は忘れられた山になっている・・・私の友達でこの山に登った人はごく稀である」と書いているが、今や日本百名山となった恵那山は里山の雰囲気で登れる名山となり、賑わっている。