古典「義経記」の一節から始まるこの章で、深田はまたも日本の山名の由来について見事な持論を展開する。「越の中山」が「名香山」となり、音読して更に字を飾り「妙高山」になったというのは、なるほどそうか、と感心せざるを得ない。おそらく深田の推理のとおりなのだろう。だが、深田がいつも妙高山を眺めていた信越線は今では分断され、「長野を出た信越線の汽車が牟礼の隘地を過ぎて柏原の広みへ出ると初めて妙高山が見え・・・・一番見事なのは関山付近から見た姿・・・・」というのは今は「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」になっている。
だが、ほぼ同じルートを高速長野道が通っているから、そこから深田の見たのと同じ妙高山を見ることができる。というか、高速道路はどこでも名山が見えるようにうまくルートどりされていて、私は北陸道を走って上越に近づく時にいつも妙高山と頸城三山を見る。そして長野道に入ると目前に妙高山が迫り、その後も黒姫山や飯縄山が現われ、目を奪われる。
次に深田が語るのは「典型的な円形カルデラ」ということと、「山麓の大斜面は我が国の最も古いスキー場」ということ。円形カルデラについては、妙高山のみならず、黒姫山、斑尾山、飯縄山など、そのあたりにはカルデラ形状の山が多いのは、たぶん火山の溶岩の性質によるためと思われる。
スキー場については一時のピークを過ぎ、増えすぎたスキー場は近年の降雪減少の影響もあって減っており、妙高山の北のアライ・リゾートなどは休業状態だが、妙高山の南斜面の杉ノ原スキー場のリフト・トップから外輪山の一角の三田原山に山スキーで登るのはクラシック・コースになっている。
私が妙高山に登ったのは2004年9月、関温泉からで、鎖の岩場を登って最高点峰と三角点峰に達した。だが、私にとっての妙高は2013年1月に杉ノ原スキー場から登った三田原山から見た妙高山である:「11時に外輪・稜線(たぶん2,280m地点)に到着する直前、スキーヤーたちが立つ稜線の向こうに、火口原を隔てた妙高山・中央丘が見えてきた。絶景。だが稜線に立つと、妙高山・中央丘ははるか眼下の火口原からにょっきりそびえていて、およそ非現実的な情景に少しとまどう。これはすごい」。
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古典「義経記」の一節から始まるこの章で、深田はまたも日本の山名の由来について見事な持論を展開する。「越の中山」が「名香山」となり、音読して更に字を飾り「妙高山」になったというのは、なるほどそうか、と感心せざるを得ない。おそらく深田の推理のとおりなのだろう。だが、深田がいつも妙高山を眺めていた信越線は今では分断され、「長野を出た信越線の汽車が牟礼の隘地を過ぎて柏原の広みへ出ると初めて妙高山が見え・・・・一番見事なのは関山付近から見た姿・・・・」というのは今は「しなの鉄道」と「えちごトキめき鉄道」になっている。
だが、ほぼ同じルートを高速長野道が通っているから、そこから深田の見たのと同じ妙高山を見ることができる。というか、高速道路はどこでも名山が見えるようにうまくルートどりされていて、私は北陸道を走って上越に近づく時にいつも妙高山と頸城三山を見る。そして長野道に入ると目前に妙高山が迫り、その後も黒姫山や飯縄山が現われ、目を奪われる。
次に深田が語るのは「典型的な円形カルデラ」ということと、「山麓の大斜面は我が国の最も古いスキー場」ということ。円形カルデラについては、妙高山のみならず、黒姫山、斑尾山、飯縄山など、そのあたりにはカルデラ形状の山が多いのは、たぶん火山の溶岩の性質によるためと思われる。
スキー場については一時のピークを過ぎ、増えすぎたスキー場は近年の降雪減少の影響もあって減っており、妙高山の北のアライ・リゾートなどは休業状態だが、妙高山の南斜面の杉ノ原スキー場のリフト・トップから外輪山の一角の三田原山に山スキーで登るのはクラシック・コースになっている。
私が妙高山に登ったのは2004年9月、関温泉からで、鎖の岩場を登って最高点峰と三角点峰に達した。だが、私にとっての妙高は2013年1月に杉ノ原スキー場から登った三田原山から見た妙高山である:「11時に外輪・稜線(たぶん2,280m地点)に到着する直前、スキーヤーたちが立つ稜線の向こうに、火口原を隔てた妙高山・中央丘が見えてきた。絶景。だが稜線に立つと、妙高山・中央丘ははるか眼下の火口原からにょっきりそびえていて、およそ非現実的な情景に少しとまどう。これはすごい」。
火打山に向かうトラバース・ルートからの妙高山:振り返ると妙高の頭がにょっきり見えている
佐渡山から見る妙高山:円盤の上の坊主頭、
妙高山の三角点とカラフル頂上標識、三角点(北峰)の標高は2,446mのはずだが、150m離れた南峰(最高点)2,454mの表示