この山(というか連峰)もまた深田が山スキーに通った(泊まり込んだ)ところで、「わが山山」の「鹿沢の山々」には宿に1週間泊って「昼は獣の如く動き、夜は神の如く寝た・・・・そしてからだの細胞を全部入れ替えて都に戻ってきた」とあるから、なんともすさまじい。
「日本百名山」にある「青木小屋を根拠にして家形山や一切経山へ遊びに行った・・・・土湯峠を越えて沼尻の方へスキーを駆ったこともあった」というのは、一見簡単そうだが、実は大変な山旅だったに違いない。深田の頃はようやく東側にスキー場ができ、「スカイライン・コースと称する自動車道路」(県道70福島吾妻裏磐梯線)が開通し始めたところで、今では西吾妻山への山スキー・ルートになっているグランデコ・リゾートや天元台スキー場もできていなかった。
深田が記載している「吾妻小富士、東吾妻、中吾妻、西吾妻、一切経山、東大巓、西大巓、家形山」に私は全て登った。中吾妻山には道が無く、スキー場からも離れているのでテント泊で登ったが、すさまじく寒くてガス・バーナーが点火せず、予備ライターでなんとか点火した想い出がある。
私が最初に登ったのは天元台スキー場から西吾妻山で、リフト・トップから距離2㎞、標高差250mを1.9時間で登っている。
深田の頃はロープウェイもリフトもなく、白布温泉から登り、「人形石の峰の上に立つと当の西吾妻山は気の遠くなるほど遥か向こうにある」という人形石は私の出発点よりも少し遠い位置だが2㎞くらいなので「気の遠くなるほど」というのは大袈裟だと思うが、「そこまで行く山稜は稜線というよりも広大な高原で、ここへきて初めて吾妻山西部の雄大なスケールを見た」というのは同感。2009年に西大巓に登って以来、吾妻山には行ってないので、ぜひもう一度、行かねばならない。
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この山(というか連峰)もまた深田が山スキーに通った(泊まり込んだ)ところで、「わが山山」の「鹿沢の山々」には宿に1週間泊って「昼は獣の如く動き、夜は神の如く寝た・・・・そしてからだの細胞を全部入れ替えて都に戻ってきた」とあるから、なんともすさまじい。「日本百名山」にある「青木小屋を根拠にして家形山や一切経山へ遊びに行った・・・・土湯峠を越えて沼尻の方へスキーを駆ったこともあった」というのは、一見簡単そうだが、実は大変な山旅だったに違いない。深田の頃はようやく東側にスキー場ができ、「スカイライン・コースと称する自動車道路」(県道70福島吾妻裏磐梯線)が開通し始めたところで、今では西吾妻山への山スキー・ルートになっているグランデコ・リゾートや天元台スキー場もできていなかった。
深田が記載している「吾妻小富士、東吾妻、中吾妻、西吾妻、一切経山、東大巓、西大巓、家形山」に私は全て登った。中吾妻山には道が無く、スキー場からも離れているのでテント泊で登ったが、すさまじく寒くてガス・バーナーが点火せず、予備ライターでなんとか点火した想い出がある。私が最初に登ったのは天元台スキー場から西吾妻山で、リフト・トップから距離2㎞、標高差250mを1.9時間で登っている。深田の頃はロープウェイもリフトもなく、白布温泉から登り、「人形石の峰の上に立つと当の西吾妻山は気の遠くなるほど遥か向こうにある」という人形石は私の出発点よりも少し遠い位置だが2㎞くらいなので「気の遠くなるほど」というのは大袈裟だと思うが、「そこまで行く山稜は稜線というよりも広大な高原で、ここへきて初めて吾妻山西部の雄大なスケールを見た」というのは同感。2009年に西大巓に登って以来、吾妻山には行ってないので、ぜひもう一度、行かねばならない。
西吾妻山頂上付近の丸い樹氷。どこが頂上か分からないほど緩やか。最高地点に向かって傾斜をシールで登っていく。
二日目は晴れ、中吾妻山への稜線からは西吾妻山が良く見えていた。ゆったりした丸い大きなピーク。
スカイラインのビジターセンターから一切経山方面に登っていくと、背後に巨大な噴火口の吾妻冨士が見えてくる。丸っこい吾妻連峰の中では特異な存在
広大な吾妻連峰にはいろいろなものが隠されている。これは五色沼。
空から見る雪化粧の吾妻連峰。きらめくような白。
p95 タンネ:Tanne 〘植〙モミ(樅); モミの木.