「雲の峰いくつ崩れて月の山」 この章の冒頭にあるこの芭蕉の句碑は月山頂上の南側にあり、私は初めてスキー場から登った時にこの句碑を見て驚き、感激した。本で読んだものに現実の世界で遭遇したからだ。
この句は遠方から月山を見たときのものだから、頂上に置いても、深田が鶴岡から見たような情景が見える訳ではない。やはり深田の日本百名山をきっかけに句碑が建てられたのだろうか。
私は月山に9回登っているが、全て南のスキー場経由の山スキーである。山頂の月山神社の少し北側にある三角点までは行ったが、そこから北に伸びている気持ちよさそうな雪原スロープや東の肘折温泉へのルートを辿りたいと計画しつつもまだ実現していない。鳥海山と同じく、花の名山なのに夏山に登る計画はなし。いつかは夏にも登りたくなるだろうか。
深田は斎藤茂吉の歌も載せていて、出羽三山を順路で辿ったとある。私も羽黒山に観光客に混じって登り(どこが頂上なのか、よく分からなかった)、湯殿山には深田の書いている「谷川の大きな岩から湯が滾々と噴き出して」いるところではなく、隣の姥ヶ岳から雪尾根を辿って頂上に登った。芭蕉も辿った月山の北尾根とそこにある花の草原に行ってみたい気もするが、その前に雪山の二つのプランをやり遂げなければと思ってしまう。どちらも出発点とゴールが遠く離れてしまうのが私のようなマイカー登山者にはどうにも不便。タクシーを使えばいいのだろうが・・・・・。
深田は「昔の文人で2000mに近い山に登った紀行は珍しい・・・・羽黒山から月山頂上までの登りは、芭蕉にとっては辛かったに違いない」と芭蕉の努力を讃えているが、私も芭蕉のように努力しなければ。
姥ヶ岳から見る月山は私の登山人生の最初期に見たものの一つ。懐かしさと思い出が溢れている。ゆったりと尾根を伸ばした白黒の大きな山。その姿に惹きつけられるように集う人々。
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「雲の峰いくつ崩れて月の山」 この章の冒頭にあるこの芭蕉の句碑は月山頂上の南側にあり、私は初めてスキー場から登った時にこの句碑を見て驚き、感激した。本で読んだものに現実の世界で遭遇したからだ。この句は遠方から月山を見たときのものだから、頂上に置いても、深田が鶴岡から見たような情景が見える訳ではない。やはり深田の日本百名山をきっかけに句碑が建てられたのだろうか。
私は月山に9回登っているが、全て南のスキー場経由の山スキーである。山頂の月山神社の少し北側にある三角点までは行ったが、そこから北に伸びている気持ちよさそうな雪原スロープや東の肘折温泉へのルートを辿りたいと計画しつつもまだ実現していない。鳥海山と同じく、花の名山なのに夏山に登る計画はなし。いつかは夏にも登りたくなるだろうか。
深田は斎藤茂吉の歌も載せていて、出羽三山を順路で辿ったとある。私も羽黒山に観光客に混じって登り(どこが頂上なのか、よく分からなかった)、湯殿山には深田の書いている「谷川の大きな岩から湯が滾々と噴き出して」いるところではなく、隣の姥ヶ岳から雪尾根を辿って頂上に登った。芭蕉も辿った月山の北尾根とそこにある花の草原に行ってみたい気もするが、その前に雪山の二つのプランをやり遂げなければと思ってしまう。どちらも出発点とゴールが遠く離れてしまうのが私のようなマイカー登山者にはどうにも不便。タクシーを使えばいいのだろうが・・・・・。
深田は「昔の文人で2000mに近い山に登った紀行は珍しい・・・・羽黒山から月山頂上までの登りは、芭蕉にとっては辛かったに違いない」と芭蕉の努力を讃えているが、私も芭蕉のように努力しなければ。
姥ヶ岳から見る月山は私の登山人生の最初期に見たものの一つ。懐かしさと思い出が溢れている。ゆったりと尾根を伸ばした白黒の大きな山。その姿に惹きつけられるように集う人々。