この山を名山にしているのは高さでも平野からよく見えるからでもない、「時たま高いところへ登ったとき、前山のかなたにこの立派な山・・・・膨大な背を持った苗場・・・・を見つけてそれを言い伝え、おのずから信仰の山になったのであろう・・・・・苗場だけはまるで鯨の背のようにその膨大な図体を横たえている」というところまでで深田はもう3ページまで費やし、より高く平野からよく見える妙高山などと伍すると説く。
そして後半2ページでは150年前の鈴木牧之の登山について語り、苗場の頂上で彼らが見た驚くべき情景を語り、苗場山がどの山にもない個性を持つ名山であることを示す:「この絶頂は周り一里といふ。濛々たる平蕪、高低のところを見ず。山の名に呼ぶ苗場といふ所、ここかしこにあり。そのさま人の作りたる田の如き中に、人の植えたるように苗に似たる草生えたり。苗代を半ば取り残したる様なる所もあり」。
深田が苗場山に登ったのはずいぶん昔で、赤湯から登ったとあるから、神楽ヶ峰の方角からではなく、南の赤倉山経由で登ったのではないかと思われる。一方、鈴木牧之が登ったのは神楽ヶ峰からいったんコルに下って急峻な雲尾坂を登るもの。深田は最初の登山の後、スキーで神楽ヶ峰まで2度登っているがそこから苗場までは行っていない。
私が苗場に登ったのはまさにこのスキーによる神楽ヶ峰経由コースで、急峻な雲尾坂を苦労して登り、そして頂上台地に着く。このときの私自身のメモは夏冬の違いはあるが、鈴木牧之や深田と同様、驚きに満ち、我を忘れている:「眼前に息を呑む光景が広がる。こいつは、すごい。真っ平な雪原が大きく広がり、緩くえぐれた雪原の端がほぼ垂直に切れ落ちている。小さな点となって広大な雪原台地を歩く。すばらしき自然の造形。ちっぽけな人間の人生」。
NNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNNN
この山を名山にしているのは高さでも平野からよく見えるからでもない、「時たま高いところへ登ったとき、前山のかなたにこの立派な山・・・・膨大な背を持った苗場・・・・を見つけてそれを言い伝え、おのずから信仰の山になったのであろう・・・・・苗場だけはまるで鯨の背のようにその膨大な図体を横たえている」というところまでで深田はもう3ページまで費やし、より高く平野からよく見える妙高山などと伍すると説く。
そして後半2ページでは150年前の鈴木牧之の登山について語り、苗場の頂上で彼らが見た驚くべき情景を語り、苗場山がどの山にもない個性を持つ名山であることを示す:「この絶頂は周り一里といふ。濛々たる平蕪、高低のところを見ず。山の名に呼ぶ苗場といふ所、ここかしこにあり。そのさま人の作りたる田の如き中に、人の植えたるように苗に似たる草生えたり。苗代を半ば取り残したる様なる所もあり」。
深田が苗場山に登ったのはずいぶん昔で、赤湯から登ったとあるから、神楽ヶ峰の方角からではなく、南の赤倉山経由で登ったのではないかと思われる。一方、鈴木牧之が登ったのは神楽ヶ峰からいったんコルに下って急峻な雲尾坂を登るもの。深田は最初の登山の後、スキーで神楽ヶ峰まで2度登っているがそこから苗場までは行っていない。
私が苗場に登ったのはまさにこのスキーによる神楽ヶ峰経由コースで、急峻な雲尾坂を苦労して登り、そして頂上台地に着く。このときの私自身のメモは夏冬の違いはあるが、鈴木牧之や深田と同様、驚きに満ち、我を忘れている:「眼前に息を呑む光景が広がる。こいつは、すごい。真っ平な雪原が大きく広がり、緩くえぐれた雪原の端がほぼ垂直に切れ落ちている。小さな点となって広大な雪原台地を歩く。すばらしき自然の造形。ちっぽけな人間の人生」。
神楽ヶ峰への斜面を半分登り返したところで振り返り、初めて苗場の全景を見る。頂上台地は尾根と台地斜面で隠れており、巨大な山がたたずんでいる。
頂上台地に到着。眼前に息を呑む光景が広がる。こいつは、すごい。真っ平な雪原が大きく広がり、緩くえぐれた雪原の端がほぼ垂直に切れ落ちている。小さな点となって広大な雪原台地を歩く。すばらしき自然の造形。ちっぽけな人間の人生。雪原の上には凍りついた樹木の他には何も見えない。頂上はどっちだ。たぶん右手の高みだろう。真っ平とはいえ緩い傾斜があり、右手の高みの向こうは見えない。そちらに向かうスキートレースもあるので、そちらに向かう。
ゴンドラを降りると和田小屋があった。昔は由緒のある小屋とは知らずにいたが、だいぶモダンに改装されているようだ