1922-30 (2021年5月16日読了)
8
「様々なる意匠」:冒頭の一文を読んだとき、昔がよみがえり、頭の中が湧きかえり、目頭が熱くなった。これこそがいわゆる小林節の走りだろう。当時、意味の方はさっぱりだったが、この文章の語りに幻惑され、魅了された。
「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という我々の思索の唯一の武器は、依然として昔ながらの魔術を止めない・・・・・しかも、もし言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影にすぎまい」
この文章を読むのは実に何十年ぶりだが、その頃は何度読み返しただろう。そこかしこに想い出が詰まっているが、当時はまるで理解できていなかった(今もたいして理解できないのだが)。ここで小林が取り上げているのは言葉がもつ力である。それは冒頭の一文に実に美しく、名文(小林節)でもって語られる。結局、この言葉がもつ魔術が文芸のみならず、人の生活、人の人生を揺さぶっているという事か。
そして小林は様々なる批評の意匠について一つづつ批評を加えていく。単に散歩しているだけだと言いながら、その鋭い洞察はそれらの本質を巧みに切り出して見せ、思いがけない方角からその意匠を見せてくれる。
「一ツの脳髄」:これは高校生のときに何度か読んだ想い出の作品。当時は話についていけず、最後に浜辺で主人公が歩けなくなったところで突然話が終了してしまって当惑した。いったいこれは何なんだ?もちろんテーマは主人公の脳髄。主人公は神経症に悩んでいて、療養のために伊豆にやってきたのだ。だが、旅先で見るもの、海の波や船の客、旅館の女中は主人公を苛立たせ、いやなことを想像してしまう。一方、思いがけず煙草の煙の輪を吹き出してみて元気になり、神経症の正体に思えた海面の黄色い石を原稿用紙に描くことで落ち着いた気分になる。つまり、自分の脳髄に合うことに遭遇したり、合わせるようにすることで元気になれるのだ。
だが翌日、浜辺を歩いて振り返ったときに見た長く伸びた自分の下駄の跡は彼の脳髄には全く思いがけないものであり、なんとか合わせようとしても無理なので、彼はそこから一歩も歩けなくなってしまう。このままでは悲惨極まりないのだが、小林は松葉杖の男を登場させ、主人公を助けに向かわせている。それがこの暗い小説を救う光になっている。
「白い波がスーッと滑らかに砂地を滑って上がってくると、貝殻の層に達して急に炭酸水が沸騰するような音に変わった。それが無数の形の異なった貝殻の一つ一つ異なったふるえを感じさせた。私はぼんやりと波の運動を眺めているうちに妙な圧迫を感じはじめた。帽子をとると指を髪の中に差し込んで乱暴に頭を掻いてみた。なんだか頭の内側が痒いような気がした。」
KKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKKK
蛸の自殺
なんともいきあたりばったりの小説。最初、謙吉は海水浴に行く。真夏の情景。そして友人の女性から蛸の自殺の話を聞く。突然場面は謙吉の自宅となり、そこで謙吉は妹と二人で肺炎らしい母親の看病をしながら、父親の法事に行くことにしている。父が死んで母は病弱になり、天理教の人たちがやってくるのが気に入らない。その夜、母が血を吐いたので謙吉は夜中に医者を呼びに行く。翌日、謙吉は一人で汽車に乗って法事に行く。その車両の中で出会った変な顔のばあさんと息子。息子が席を立ったときに座ってしまった男に、謙吉は声をかけて息子に席を代わってもらい、少し嬉しくなる。そして、自殺した蛸に足が生えて来て生き返るという話が頭に浮かぶ。幻滅と苦笑(一時の幸福感)、それがこの小説のテーマのようだ。
「足の裏の焼け付く白砂からは焔のような陽炎が燃えて、その向こうにまどろんだ緑の斑点をつけた赤い壁の岬が上に頭を出した入道雲といっしょにブルブルと慄えている。」
「自殺ってば妾、蛸の自殺を見てよ・・・・・お腹が空いたので自分の足を食べたんですって」
「男は波の音に挑戦するように張り上げる声と一緒に、肩まで捲り上げた黒い腕を上下に振っていた・・・・ふと『おん馬鹿様』と怒鳴っていた神主の声は、大きなものだと感心した。ロマン・ローランとかベルグソンだとかいう言葉が繰り返される」
「朝飯をすますと縁側に藤椅子を出してアンナ・カレーニナの続きを読み始めた・・・・・幾時の間にか本は何処を読んでいるか解らなくなった。硝子障子の外は未だ細い雨が降っていた」
「犬がやかましく吠えたてた・・・・こんなことで叩き起こすのは気の毒だというよりも寧ろそんなつまらぬことで大仰に夜晩く起こしにこなくてもいいではないか、・・・という妙に執拗な羞恥から暫く叩くのを躊躇した。その時門が開いた。謙吉は嬉しかった。」
「『貴方、失礼ですが横の方と席を代わってあげてください』・・・・言わせたものは自分以外のものであった・・・・すかさず『いや、恐れ入ります』と自分から頼んだ様子で息子が立ち上がらなかったらと考えて、今更のように自分の無鉄砲に驚いたもののなんだかうれしい経験をしたという得意は隠せなかった」
一ツの脳髄
これは高校生のときに何度か読んだ想い出の作品。当時は話についていけず、最後に浜辺で主人公が歩けなくなったところで突然話が終了してしまって当惑した。いったいこれは何なんだ?もちろんテーマは主人公の脳髄。主人公は神経症に悩んでいて、療養のために伊豆にやってきたのだ。だが、旅先で見るもの、海の波や船の客、旅館の女中は主人公を苛立たせ、いやなことを想像してしまう。一方、思いがけず煙草の煙の輪を吹き出してみて元気になり、神経症の正体に思えた海面の黄色い石を原稿用紙に描くことで落ち着いた気分になる。つまり、自分の脳髄に合うことに遭遇したり、合わせるようにすることで元気になれるのだ。だが翌日、浜辺を歩いて振り返ったときに見た長く伸びた自分の下駄の跡は彼の脳髄には全く思いがけないものであり、なんとか合わせようとしても無理なので、彼はそこから一歩も歩けなくなってしまう。このままでは悲惨極まりないのだが、小林は松葉杖の男を登場させ、主人公を助けに向かわせている。それがこの暗い小説を救う光になっている。
「白い波がスーッと滑らかに砂地を滑って上がってくると、貝殻の層に達して急に炭酸水が沸騰するような音に変わった。それが無数の形の異なった貝殻の一つ一つ異なったふるえを感じさせた。私はぼんやりと波の運動を眺めているうちに妙な圧迫を感じはじめた。帽子をとると指を髪の中に差し込んで乱暴に頭を掻いてみた。なんだか頭の内側が痒いような気がした。」
「ガラス窓をはめ込んだ交番のようなものが取ってつけたように船の中ほどに立っている。屋根にヒョロ長い煙り出しがある。交番の中で鐘が鳴った」
「船は動き出すと無暗に振動した。而も波がある訳ではない。自分の機械でガタガタふるえているのだ。ずいぶん気の利かない話だと思った」
「船のつくる波が流氷のように青白く光って海面にひろがった。突然、その海の底に棲んでいる魚の凍ったような肌が生臭い匂いと一緒に脳髄にひやりと触れた。私は身震いした。」
「・・・・これらの人々が皆醜い奇妙な置物のように黙って船の振動でガタガタ揮えているのだ。自分の体も勿論、彼等と同じリズムでふるえなければならない。それが堪らなかった・・・・不機嫌な顔をして口をすぼめて煙を吹き出した。すると意外にも煙はポッポッポッと輪をこしらえて勢いよく飛び出した。いくら静かに吹き出そうとしてもポッポッポッと輪になってしまう。私は少し元気づいた」」
「女は一人でよく喋った。私は女のだだっ広いおでこの内側に駝鳥の卵のような黄色いイヤにツルツルした脳髄が這入っていることを想像した。女の喋る言葉が次々にその中で製造されているなどと考えた。・・・・・一人になるとホッとした」
「私は原稿用紙を広げた・・・・然し書き出してみると自分が物事をはっきりと視ていないことに驚いた。外界と区切りをつけた幕の中で憂鬱を振り廻している自分の姿に腹を立てては失敗した。自分だけで呑み込んでいる切れ切れの夢のような断片が出来上がると破り捨てた」
「前の年の冬の曇った日だった・・・・・灰色の海面にポッカリとスベスベした頭を出している黄色い石を見た。・・・・私は自分の憂鬱の正体を発見したと思った。・・・・知らぬ間に私は原稿用紙の上に未だ蝕まれた穴の数まで覚えている石の恰好を幾つも書いていた。そして今では神経病時代のそんな経験をたわいもない事として眺められるだけにはなっていると思った」
「私は後頭部を湯につけた。然し頭は湯の温かみを反撥した。何が起こるか分からないというような不安がした。兎も角、これを東京まで静かに運んでいかなければならない。・・・・ヤイヤイ云って旅行に出てきたくせにもう帰ってきたのかと家で云われるのを考えた・・・私は注意深く、労わるように頭を湯ぶねのヘリに乗せた」
「ちょうど自分の脳髄をガラス張りの飾り箱に入れて毀れるか毀れるかと思いながら捧げていくような気持ちだった。然し何時の間にかそれは毀れていた。そして重い石ころに代わっていた」
「下駄の歯が柔らかい砂地に食い込む毎に海水が下から静かに滲んだ。・・・・それは脳髄から滲み出る水のように思われた。水が滲む、水が滲む・・・・自分の柔らかい頭の面に一足一足下駄の歯をさし入れた・・・・私は引き返そうと思って振り返った。と、砂地に一列に続いた下駄の跡が目に映った。思いもよらぬものを見せられた感じに私はドキリとした。私はあわててそれを脳髄についた下駄の跡と一つ一つ符号させようと苛立った。私はもう一歩も踏み出すことができなかった。・・・・茫然として据えた眼の末に松葉杖の男の虫のような姿が・・・ヒョコヒョコと此方にやってくるのが小さく小さく見えた」
飴
私は奈良に向かう列車に乗っていて、向には赤鼻に膨らんだ二重廻しを着た男がおり、途中で乗ってきたお神さんに二人は飴をもらう。私も赤鼻もその飴がいやだったが、よく喋るお神さんの手前、二つ目ももらってしまう。お神さんは途中で降りたが、たくさん入った飴の袋を置いていった。二人とも、嫌いなはずのその飴の魔術にかかり、また口に入れるが、口に入れた飴を棄て、二人は元気づいて話し始める。ところが二人が奈良で降りたとき、私が無視した飴の袋を赤鼻が持ってきて、しかも、自分には飴の袋を入れるところがないと言い訳し、私の抱えていた風呂敷の中にねじ込んで去っていった。私はその飴こそが怪物だと気づき、袋を握って佇む。ゴーゴリの小説のように、故意に落としても誰かが拾ってくれるようにできているのでは?そしてすっかりしょげ返る。飴こそが主役だったのだ。
「表現が回りくどく、拙劣な癖に口だけ休みなく動くのが退屈な話を益々退屈にした。飴を食わされた二人は碌に合槌も打てない。・・・・お神さんは聞いていてもいなくても少しも困らない蓄音機のように喋った。・・・・お神さんは男の飴がなくなったのが解ったらしい・・・あわてて袋を差し出した・・・・男は・・・手を・・・・団扇(うちわ)のように振りながら辞退した。顔に似合わぬ歯切れのいい東京弁だ。女は執拗に迫った・・・男はとうとう振っていた団扇を広げて袋の中に入れた。・・・・蓄音機は鳴り出した。盤をひっくりかえして螺子を巻いたのだ」
「だが今、俺が首尾よくこれを猿沢之池に叩き込んだところで、畢竟、幕切れで見えをする喜劇役者にすぎないからな・・・・・私は苦笑も出ない程しょげた。」
断片十二
小説批評、時事評論の断片の寄せ集め。小林が当時(いつもそうだったのかもしれないが)大量の本を読んでいたことが分かる。小説のタイトルや作者名がでてこないのは最初と四つ目の二つのみ。「会話の電気」というのは言外に伝えようとする思い?だろうか。「才気」「微苦笑」「技巧(スタイル)」「ユーモア」は二つ、「Meditative瞑想的」「魂で書く」「自然描写」「子供の描写」などテーマが明確なのが九つ。それらのテーマを勘違いしている人の批評やすぐれている作者の紹介だが、批評のの方はバッサリと辛辣。作者は十返舎一九、村上浪六、フローベル(ボヴァリー夫人)、久米正雄(微苦笑芸術)、志賀直哉、広津和郎(閑人)、菊池寛、芥川龍之介、イプセン(人形の家、ペール・ギュント、人民の敵)、トルストイ(戦争と平和)、国木田独歩、ベネット、コンラッド、ハーデー、チェホフ、ボードレール(パリの憂鬱)、横光敏一(赤い色)、宇野浩二(兄弟)で18人。7ページの批評のためにその何十倍もの本を読んだのだ。
「広津和郎氏の『閑人』の如きはテーマは確かにユーモラスに違いないが、作者がそれを取り扱う態度にユーモアが欠けている結果、純粋のユーモアの味は完全になくなっているのだ。勿論この場合、氏の作品の価値には関係のない問題であるが。」
女とポンキン
東京から半島の海岸で弥次喜多を読んでいる私のところに、頭としっぽを残して毛を刈られた犬と飼い主の女がやってくる。彼女はポンキンは狸だという。風で本が海に飛ばされ、彼女が「面白い」と言ったのに腹を立て、私はポンキンを海に放り込もうとしたが、彼女が悲鳴をあげて私の手を掴んだので、私は驚いて手を離す。翌日、出目金のような眼鏡の若者がやってきて女とポンキンを探していた。父が病気で、女は頭が少しいけないらしい。後日、二度目に女とポンキンに会ったのは、父の葬式の翌日だった。女は良いところを切り抜いたタゴールの本と切り抜きを私に渡す(これは弥次喜多が飛ばされたのを笑ったことのお返し?)が私は切り抜きがあればいいと言って本を海に投げる。女は自分が気違いと思われているのを気にしているようだ。ポンキンが毒蛇のヤマカガシに近づくのを見てかん高い声を出し、一生懸命止めようとする女の顔を見て、私は本当に美しいと思った。それからだいぶ経ち、再び海岸を訪れた私に気づかずに女は通り過ぎるが、ポンキンの方は覚えていて振り返った。私が寒さに震えたのは、女に忘れられて寂しかったから?たわいもない純愛小説?言葉遊び、美の発見、そしてナイーブな若者の心。
「面白い犬を持っていますね」「これ狸よ・・・・バリカンで刈ってやったの。こうするとライオンに見えるでしょう」「成る程」
・赤の御飯(まんま)の花=イヌタデ
「『ポンキンいけません』とかん高い声を出した。見ると・・・二尺あまりのやまかがしが音もなく動いていた。・・・この瞬間、女の涙に光った蒼白い一所懸命な顔を本当に美しいと思った」
「ポンキンは一寸立ち止まり、振り返って私を見た。途端、その顔が笑ったように思われ、私は顔をそむけた。私は冷たい風の中でふるえた・・・」
紀行断片
友人二人と東京の南の島々、八丈島から小笠原・父島までの旅行記。八丈島では頭に荷物を載せた女、父島では林業試験所を見るが、興味はなさそう。八丈島では牛や景色、医者のアメリカの話、父島では黒い海と珊瑚礁の白い浜。貝や砂糖キビをとって食事するが、ニセ大学生の出頭君を除き、医者と小林は寝られない。翌日も雨だったがズブ濡れになって宿に帰っている。おかしな無茶苦茶な旅?
「八丈島は冷たい金属の海に頭を出したやはり冷たい金属に見えた」
「夜、・・・・・Rimbaud を読む・・・・・俺もランボオと共に脳髄の desordre(混乱)を肯定するものだ」
「青ヶ島が見えた・・・・何か大きな動物の死体に苔の生えたように静かであった」
「十四日朝、父島が見えだす。複雑な contour(輪郭)。・・・白い砂浜に沿うて浜楓、ゴム、たまな等の 闊葉樹の防風林が青い・・・・島庁でパパイヤをご馳走になる」
佐藤春夫のジレンマ
マキ・イシノという天才画家が世間からは変人と見られているというアイロニイを、佐藤春夫が作品「FOU(おれもそう思う)」の中で書いているのだが、小林は、「あらゆる天才の存在というものは、社会に対して一つのアイロニイ」と評し、天才マキ・イシノは自分自身を表現できるが、彼以外の者(つまり佐藤春夫?)には表現できないとし、これが佐藤春夫の陥っているジレンマだと指摘する。「ルソーには木の葉だけが必要だった」「ラフォルグは自分のアイロニカルな姿を生涯の関心事とした」とする一方、「佐藤氏が『美しき町』を長く書いていられない所以は・・・・氏にとっては『美しき町』を書くことが生きることではないからだ」という結論は少し違うのでは?その前に記した「空想していく佐藤氏の姿は完全に感傷の波に漂う幻想家である」というのがカギであり、佐藤春夫は感傷と幻想の中に生きていたのでは?
「マキ・イシノは『天才は社会に対して一つのアイロニイなり』という概念の衣を著て氏の奏する情調の音楽につれて舞踏する。私はマキ・イシノの画が見たい。案内書はいらないのだ。だが展覧会場が巴里と聞いては余りに遠すぎる。」
性格の奇蹟
ここでも小林は腹を立てている。いろいろ並べ立てているが、言いたかったのは最後の本格小説(客観的、三人称、中村武羅夫の造語)と心境小説(主観的、一人称、久米正雄)の論争についての批判のようだ。小林の結論は「真の芸術家にとって美とは彼の性格の発見ということ・・・・そして彼の発見した性格の命令はただ一つ・・・・独創性に違反することはいかなる天才にも許されぬ」ということであって、昨今の小説家は独創性を欠いているということのようだ。彼らが表面的、形式的なことばかりに熱中し、中身がない、つまらないということか。
ランボオ1
冒頭はランボオの生涯を簡単に述べる。彼は37才で骨髄炎がもとで死んだが、詩を書いていたのは16~19才のわずか3年間。ランボオの天才を見出したベルレーヌと旅に出たが、喧嘩別れとなり(なんとベルレーヌは拳銃でランボオを撃ったらしい)、ランボオは作家を棄て、語力を生かして諸国を放浪した。確かに、作家よりは通訳や語学教師、商人の方が割がよかっただろう。
わずか3年間でランボオはそれまでに知られていたものとは全く違う詩を創り、とにかく人々を驚かせ、不安にさせ、単なる古き良きものとは対極にあるものを創り出したらしい。「主調低音」というのは小林が良く使う表現だが、ランボオの主調低音は「触れるもの全ての斫断」つまり既存の芸術手法の破壊だったようだ。こうして触れば切れてしまうようなすさまじい詩を創るのだが、そんなことが長続きするはずがない。結果、ランボオは「最高塔」から身を投げる。この研ぎ澄まされた詩に小林が魅了されたのはよくわかる。小林が良く使う一刀両断の批評、読んでいて胸がすくような「小林節」に通ずるものが感じられるからだ。だが、小林はボオドレエルと同様「人生を切り刻む」ことまではせず、自我を失わなかった。芸術家というのは大変な職業だ。
「宿命というものは石ころのように往来にころがっているものではない・・・・我々の灰白色の脳細胞が壊滅し再生すると共に我々の脳髄中に壊滅し再生するあるものの様である」
「『悪の華』を不朽にするものは・・・・理知、情熱の多様性ではない。そこに聞こえるボオドレエルの純粋単一な宿命の主調低音だ。」
「ランボオは芸術家の魂を持っていなかった。彼の精神は実行家の精神であった。彼にとって詩作は象牙の取引と何ら異なるところはなかった・・・・・彼は、逃走する美神を自意識の背後から傍観したのではない。彼は美神を捕らえて刺し違えたのである。おそらくここに極点の美学がある」
「『酩酊の船』は瑰麗な夢を満載して解纜する。『われ非情の河より河を下りしが・・・・流れ流れて思ふまま、われは下りき』・・・・・彼はこの時既に死につつある作家であった。・・・・・『思えばよくも泣きたるわれかな。来る暁は胸抉り、月はむごたらし、太陽は苦し・・・・竜骨よ砕けよ、ああ我は海に死なむ』」
「彼は野人の恐ろしく劇的な触覚をもって触れるものすべてを斫断することから始めた・・・・人生斫断は人生嫌厭の謂いではない。・・・全人生を眺めるもう一つの静かな眼・・・・『俺の心よでしゃばるな、獣物の蟄(ねむり)を眠っていろ』・・・・これこそランボオにとって最も了解しがたい声であったのだ」
「彼は旋転する・・・・彼は全力をあげて人生から窃盗を行った。・・・・『酩酊の船』は解纜する・・・・しかし・・・彼は・・・流絢たる新しい劇を建てていたのである・・・・彼の見たものは下りゆく大伽藍であった。上りゆく湖水であった。・・・・あらゆるものは彼の願望に従って変形され染色される。あらゆる発見が可能である。あらゆる発想が許された・・・・『かくて私は言語の幻覚をもって、私の数々の妖術的詭弁を説明した。私はついに、私の魂の錯乱が祝聖されるのを見た』」
「彼は陶酔の間に自らの肉を削ぐごとく、刻々にその魂を費消していった・・・・この時だ・・・彼が自身の魂を労わったのは・・・・『最高塔の歌、時よ、来い、ああ、陶酔の時よ、来い・・・・・よくも忍んだ、忘れてしまおう。積もる恐れも悲しみも・・・・』」
「残された道は投身のみである・・・・・『さて、俺は俺の想像と追憶とを葬り去らねばならない・・・・』・・・・・マストの尖頂から海中に転落する水夫は過去全生涯の夢が恐ろしい神速をもって彼の眼前に通過するのを見ると言う。最高塔の頂から身を躍らせたランボオはこの水夫の夢を把握して・・・・これを再現したのである・・・・ランボオはアフリカの砂漠に消えた」
「ランボオが破壊したものは芸術の一形式ではなかった。芸術そのものであった。この無類の冒険の遂行が無類の芸術を創った・・・・・人々はランボオ集を読む。そして飽満した腹を抱えて永遠に繰り返すであろう『然し大詩人ではない』と」
富永太郎
25才で死んだ詩人への追悼文。キーワードは虚無。富永が最初の毒を飲んだのは虚無を点検し終わった時、そして最初の毒を飲むとまた虚無が現われた。小林のこの矛盾した記述はたぶん混乱していたのだろうが、結局、詩を書き続けた挙句に身体は衰弱し、見つけたものは焦慮や厭嫌物ばかりだったと言いたいのだろう。それでも小林はそんな富永を「現代日本の生んだ唯一の詩人」と絶賛している。ランボオのように、無制限に真実を追求した詩人ということだろうか。
「おい、ここを曲がろう。こんなところで血を吐いちゃ馬鹿々々しいからな」
測鉛 「測鉛」とは投げ入れて水の深さを測る器具のこと。六つの文の断片のテーマは人間と芸術家。「人間が見たものを表現するとそれが作品で、みんなが忘れている(気がつかない?)ことに気づいて(見て)表現するのが芸術家、ということか?
ボオドレエル「エドガア・アラン・ポオ」序
ボードレール全集における二つのポーの評論の序。ボードレールはこれを25才前に完成し、「残る23年の生涯をほとんどポーのために費やした」というのは本当だろうか?「難解だった」この評論を小林が翻訳したらしい。
「「ボードレール」は19世紀のフランスを代表する詩人です。生前に刊行された唯一の詩集『悪の華』によってフランス近代詩の創始者となりました。 」biz.trans-suite.jp
測鉛Ⅱ
ここでは「批評とは何か」を論ずる。芸術を測る物差しなどないから、どうしても文芸評論は主観的に、印象的なものになる。小林はまず「印象を了解せよ」と言う。それこそが「自意識」であり、「批評精神」であり、この「趣味≒良心をもつ批評」でもって「生命を発見する」ことができると言い、「批評論とは生命の発見を定着したもの」と結論する。ベルグソンは現実は常に変化するので定義できないというようなことを言っていたが、小林がここで言っているのはたぶん、表層的なものでなく、作家or芸術家=生きた人間、もしくは彼らを突き動かしているもの(主調低音?)を見つける、あるいは感じ取ることなのかもしれない。
後段では大衆文芸について論じているが、これは単に羅列に思え、結論が分かりにくいが、つまりは40万人もの人々が小説を読む時代になったことこそが重要なのかもしれない。
「印象批評・・・・印象を判断するのではない。印象を了解するのだ。」
「立派な作品は天来の声を持っているかもしれない。だが作者が天来の声を待って仕事をしたなら作品は永遠に出来上がりはしない。彼は恐ろしい自意識をもって働いたのだ。では自意識とはなんだ?批評精神に他ならぬ。批評を措いて創造というものはないのである。」
「趣味の無い批評家、つまり良心のない批評家は如何なる作品の前に立っても驚かぬ。何故って徐にポケットから物差しを取り出せばよいからである。だが少しでも良心をもつ批評家は・・・・もし君が君が前にした天才の情熱の百分の一でも所有していたなら、君は彼の魂の理論を了解するのである。」
「室生氏は芥川氏の河童を作者のオモチャ箱だと言っている・・・・問題は作者が何故に自分のオモチャ箱を人に見せずにいられなかったかにある・・・・ここに作者内奥の理論があるのだ。ここに作者の宿命の主調低音が聞こえるのだ」
「芸術家は生命を発見しただけでは駄目である、発見した生命が自身の血肉と変じなければならぬ・・・・批評論とは生命の発見を定着したものだ。作品とは生命の獲得を定着したものだ。」
「批評とは生命の獲得ではないが発見である。これ以外に批評の信義は断じて存せぬ。」
「新潮社の世界文学全集が四十万の読者を得たそうだ。ヴィクトル・ユーゴーと中里介山と横光利一とこう名前を並べてみると、一体どれが一番多く読まれているんだか僕には全く見当がつかぬ。大衆万歳だ。」
芥川龍之介の美神と宿命
こいつは難しい。読めば読むほど矛盾が感じられる。冒頭で自殺と作品は関係ないと言っているが、最後に、作品(散文)を棄てて美神(人生を切実に生きない)を選んだと言い、「芸術は『見る』という一語に尽きる」と言いながら、「芥川氏は見ることを決してしなかった」という。「測鉛Ⅱ」でも「批評は生命の発見、芸術家は生命を発見しただけでは駄目で、・・・作品とは生命の獲得を定着したものだ」と言っている。だが、ここで小林の言いたいことは分かった。その1、芥川は理智的に作品を書いたのではなく、感情的かつ絵画的(戯画的)に作品を作った。その2、ただし、芥川の感情的芸術は単純ではなく、「人生を自身の神経をもって微分」することで緻密な作品を創造した。その3、芥川は作家という職業が自分の宿命とは感じなかった(大正という混乱期に生きたせいかもしれない)、そして「人生を切実に生きない」ことに美学(美神)を見出した。だから自殺は自明となるのだが、小林はあえてそのことを書かず、尻切れトンボぎみに文章が終わっている。最初は戸惑ったが、あえて書かなかった理由は分かる。荒削りなところはあるが、完璧な理論構築だと思う。
「彼の作品と彼の自殺とは何等論理的関係はない。重要なのは自殺なる行動ではなく、自殺の理論である。つまり彼の自殺的宿命である。」
「彼は決して人の信ずるように理智的作家ではないのである。神経のみを持っていた作家なのである。
「『或る日の大石内蔵助』『枯野抄』『お富の貞操』等彼の作品中最も心理的なものすら僕に心理的興味より絵画的興味を起こす所以はおそらくここにある」
矛盾?「人間は生命を創ることはできない。唯見るだけだ。錯覚をもって。僕は信ずるのだが、あらゆる芸術は『見る』という一語に尽きるのだ・・・・・・・・・芥川氏は見ることを決してしなかった作家である。彼にとって人生とは彼の精神の函数としてのみ存在した。そこで彼は人生を自身の神経をもって微分したのである。」
結論?「彼にとって自然が美神となり、理論が宿命となる代わりに・・・・・恒久の実質のないものに見えた散文が彼の宿命と見え、人生を切実に生きない・・・・・抒情詩が彼の美神に見えた。」よって彼は自殺した?
「悪の華」一面
ここにはいくつかのキーワードが現われる。まず「自意識」と「象徴」、次に「感覚」と「言葉」、そして「思索」と「創造」。ボードレールはいわゆる浪漫派と象徴派の間に位置するらしいが、たぶん、浪漫派以前の芸術家たちが目指していた写実的なものから、新たなる芸術家の探る感覚的なものへの一つの美しき金字塔ということだろうか。昔から芸術家であれ誰でも自意識はもっているが、ボードレールはその自意識そのものを自分の芸術、つまりに詩のなかにとりこんだ。そして「詩」というものが言葉で表現される以上、「詩」はそれが対象とした自然そのものでなく、ある象徴でなくてはならない。小林が「ここに深刻な問題がある」と言っているのは、対象たる「自然」や「人」それに「自分」にしても常に変化しており、これらを「死んでいる」「言葉」で表現することなど不可能だということだろう。これはベルグソンの指摘した「生きた存在を定義することはできない」と同じことだろう。そして、詩人はそれ以上「思索」することを止め、ただ「創造」する。「アンニュイ(退屈)」と言っているのは、思索することを止め、眼に入った美しい自然を見て、そこに『象徴」を見出し、自動的に詩を「創造」するということだろう。ボードレールにあっては異様に美しい詩を作り出す超高度な性能をもっていた。だが、思索することなしの単なる反射活動のような「創造」では、長続きはしないということか。凡人にあっては、同じことをしても最初から美しい詩など作れないだろう。結局、ボードレールが美しい詩を創れた「秘密」を小林は解き明かしてはいない(自分でそう言っている)。
「人はあらゆる真理を発見することはできるが、あらゆる真理を獲得することはできないものだ・・・・ボードレール・・・・の全身を旋回した真理はただ一つである・・・「悪の華」はその精妙なる実現をもってするも、この血球の秘密の前にはついに狭隘蕪雑な花園にすぎまい・・・・僕は僕の繊弱な夢を見るばかりである」
「『悪の華』一巻はこの数年来、つまり僕の若年の決定的一時期をほとんど支配していたと言っていい。・・・・19世紀における最も深刻なる人間の情熱はおそらく自意識の化学という事であろう」
「自分の心臓の吸血鬼、永遠の笑いの刑に処せられて、しかも微笑することももはやできない、あの偉大な見捨てられた人たちの中の一人だ(我とわが身を罰する者)」
「人々にとって自意識する主体に触れんとすることは流れを遡行することで生きることではない。彼らはただ流れる・・・・・ボオドレール・・・・は自意識を自意識した。人々の生きることが彼には死ぬことであった所以である。ここにいかにも意味ありげなる粉飾を擬してあらゆる近代詩歌に君臨する一つの貧弱な言葉がある。象徴(さんぼる)と。」
「自然は神の宮にして、生ある柱、時折に捉えがたなき言葉を漏らす。人、象徴の森を経て、此処を過ぎゆき、森、なつかしき眼差しに人を眺む(悪の華、交感第1節)」
「芸術家が山を見る時、彼は山の存在と意味とを合一して山という死んだ記号を生きた象徴とする・・・・だが、存在と意味とが分離する以前の小児原始人の心に死んだ記号などというものはあり得ないものだ。象徴は彼らの心中に生々たる内的確実性をもって存している。彼らは常に『象徴の森』を横切るのである」
「全ての形種の芸術はそれぞれ自身の裡に感覚の世界と言葉の世界とを持っている。美という実質の世界と倫理という抽象の世界とを持っている。つまり型態の世界と意味の世界とを持っている。思うにここに深刻な問題がある」
「およそ如何なる芸術家も芸術を型態学として始めるものだ・・・・かかる世界においても芸術家は多少は美しい仕事を残すことができる・・・・やがて強烈な自意識は美神を捕らえて自身の心臓に幽閉せんとするのである。このとき意味の世界は魂に改宗的情熱を強請するものとして出現する・・・・・これは一目的にすぎなかった芸術を自身の天命と変ぜんとするあらゆる最上芸術家が経験する一瞬である」
「詩人が認識の悲劇を演ずるとき、彼は初めて『象徴の森』を彷徨するのである・・・・・眼前に現われたXという自然はそのまま忽ち魂の体系中に移入される。彼は彼の魂がもつだけの大きさの自然という象徴をもつ。現実とはこれら無数の象徴の要約として辛くも了解できるものとなる。・・・・この純粋な数の世界に住んで詩人は彼の魂を完全に計量し得べきものと感じないか!・・・・この絶望的追跡は『悪の華』の中で無類の美しさをもって歌われた」
「かくしてついに彼は己の姿を羸弱な裸形としてすら捕らえることができるであろうか?捕らえた裸形は忽ちまた一象徴として分解してしまうであろう。・・・・彼は今時間の微分子からなる空間となり、空間の微分子からなる時間となる。かかるとき彼は存在するのか?・・・・・この時人間の魂は最も正しい忘我を強請けされる。彼は一種の虚無を得る」
「一種の虚無である、だが虚無ではない。Xは生存を続けねばならない。ここにXは思索するという獲得の形式を棄てて創造という消費の形式に変ずるものである」
「ボオドレエルの掴んだ退屈(アンニュイ)とは決して単調(モノトニイ)ではない。それは極度の緊張である。・・・人間情熱の最も謙譲なる形式である。・・・・・詩人は何を歌わんとするか?彼の魂には表現を要求する何物も堆積していない、なぜなら彼は一つの創造という行為の磁場と化したから。・・・・詩人にとって生きるとは詩学するのみではないか!・・・・あらゆる形種の人間の思想、感情、あらゆる形態の自然の物質はここに創造という力学の形式としてのみ存する。」
「『悪の華』は退屈を退屈したものの燦然たる形骸である。・・・・ボオドレエルは詩人は何物かを表現すると信じていたフランス浪漫派に介在して、詩人は何物も表現しないということを発見した最初の人であった。創造的自我という最も純粋なる一状態の発見・・・・・彼はこの発見そのものを創造の理論としてしまったのである。」
「彼が25歳で枯涸した所以は彼の創造がかかる逆説をはらんでいたためではないか?あらゆる芸術はついに死すべきだ。否最後の一行を書き終わった時彼の詩は死すべきだ。芸術家とは死を創るゆえにわずかに生を許されたものである。刹那が各人の秘密を抱いて永遠なる所以である」
様々なる意匠
冒頭の一文を読んだとき、昔がよみがえり、頭の中が湧きかえり、目頭が熱くなった。これこそがいわゆる小林節の走りだろう。当時、意味の方はさっぱりだったが、この文章の語りに幻惑され、魅了された。
「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という我々の思索の唯一の武器は、依然として昔ながらの魔術を止めない・・・・・しかも、もし言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影にすぎまい」
この文章を読むのは実に何十年ぶりだが、その頃は何度読み返しただろう。そこかしこに想い出が詰まっているが、当時はまるで理解できていなかった(今もたいして理解できないのだが)。ここで小林が取り上げているのは言葉がもつ力である。それは冒頭の一文に実に美しく、名文(小林節)でもって語られる。結局、この言葉がもつ魔術が文芸のみならず、人の生活、人の人生を揺さぶっているという事か。
そして小林は様々なる批評の意匠について一つづつ批評を加えていく。単に散歩しているだけだと言いながら、その鋭い洞察はそれらの本質を巧みに切り出して見せ、思いがけない方角からその意匠を見せてくれる。
最初は主観批評と印象批評、小林はこれら批評の方法が重要なのではないと説く。ボードレールの批評が人を動かすのは批評の方法によってではなく、『無双の情熱の形式をとった彼の夢だ』と断ずる。次に小林は批評の普遍性について述べる。批評家が対峙する芸術家たちの仕事は単純なものではなく、複雑で豊富だ。そして、『豊富性の裡を彷徨し・・・・・解析の眩暈(げんうん)の末、傑作の豊富性の底を流れる作者の宿命の主調低音を聞くのである』と結論する。つまり、それぞれの芸術家や傑作を乱暴に普遍性の整理棚に並べることなどできないということか。表面的なことばかり言い立てているが、作品をちゃんと読んでるのか!と小林は叱っているのだ。
次はマルクス主義文学への批判、『プロレタリアのために芸術せよ』という主張に対し小林は、『あるプロレタリアの観念学が人を動かすとすればそれは・・・作品と絶対関係においてあるからだ』と説く。方法論とは無関係に、ブルジョア指向でもプロレタリア指向でも、人を動かすのが名作だ。まあ、マルクスはブルジョア指向の芸術は止めろと言いたかったのだろうから、正面から批判している訳ではない。
4章は象徴主義、ボードレールが手掛けたこの意匠を小林はそもそもの言葉の魔術から放し始める、『中天にかかった満月は五寸に見える、理論はこの外観の虚偽を明かすが、五寸に見えるという現象自体は何等の錯誤も含んではいない』。この一文こそが、象徴主義の本質を捉えていると思う。ボードレールは言葉を使って、現実には存在しないもの、空想でしか得られぬ何かを表現しようとした。それは自然そのものだった、いや、自然よりも巨大なキャンバスだったのだろうか?だが、ここでも小林は方法論には捉われない。『ドン・キホーテは人間性という象徴的真理の豪奢な衣をまとって星の世界までも飛んでいくだろう。然し私には、檻に入れられたドン・キホーテと悲し気に従っていくサンチョとの会話がどんなにすばらしい生々しさで描かれているかを見るだけで充分だ』と言う。つまり、どんな方法論で書かれていても、心を打つような名作を読みたいということだ。
「遠い昔、人間が意識と共に与えられた言葉という我々の思索の唯一の武器は依然として昔ながらの魔術を止めない。劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない。しかももし言葉がその人心幻惑の魔術を捨てたら恐らく影にすぎまい」
「意匠」=趣向、工夫
「私には常に舞台より楽屋の方が面白い。このような私にもやっぱり軍略は必要だとするなら、「搦手から」これが私には最も人生論的法則に適った軍略に見えるのだ」
「搦手」=城の裏門、敵の後面、転じて物事の裏側、背後
「批評の方法が如何に精密に点検されようが、その批評が人を動かすか動かさないかという問題とは何の関係もない・・・・例えば・・・・恋文の修辞学を検討・・・・実現した恋愛を恋文研究の成果と信じるなら彼は馬鹿である」
「いわゆる印象批評の御手本、例えばボオドレエルの文芸批評を前にして、舟が波に掬われるように繊鋭な解析と溌溂たる感受性の運動に、私が浚われてしまうということである。このとき・・・・私がまさしく眺めるものは嗜好の形式でもなく尺度の形式でもなく、無双の情熱の形式をとった彼の夢だ」
「人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別しえよう。彼の批評の魔力は彼が批評するとは自覚することである事を明瞭に悟った点に存する・・・・・批評とは竟に己の夢を懐疑的に語ることではないのか!」
「ここで私はだらしのない言葉が乙に構えているのに突き当たる、批評の普遍性、と。だが・・・・・最上の批評は常に最も個性的である。そして独断的という概念と個性的と言う概念とは異なるのである。」
「芸術家たち・・・・の仕事は常に種々の色彩、種々の陰翳を擁して豊富である・・・・この豊富性の裡を彷徨して私はその作家の思想を完全に了解したと信ずる。その途端、不思議な角度から新しい思想の断片が私を見る。見られたが最後、断片はもはや断片ではない・・・・・こうして私は私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性の底を流れる作者の宿命の主調低音を聞くのである。このとき私の騒然たる夢は止み、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである」
マルクス主義文学への批判「もしすぐれたプロレタリヤ作者の作品にあるプロレタリヤの観念学が人を動かすとすれば、それはあらゆるすぐれた作品が有する観念学と同様に、作品と絶対関係においてあるからだ、作者の血液をもって染色されているからだ。・・・・・人は便覧(マニュアル)をもって右に曲がれば街へ出ると教えることはできる。然し座った人間を立たせることはできない・・・・・芸術家にとって目的意識とは彼の創造の理論に外ならない。創造の理論とは彼の宿命の理論以外の何物でもない」
芸術のための芸術への批判「ある世紀が有機体として溌溂たる神話を有するとき、その世紀の芸術家たちに『芸術のための芸術』とは了解しがたい愚弄であろう。ある世紀が極度に解体し衰弱して何等の要望も持つことがないとしたら、又芸術も存在しない」
「芸術は常に最も人間的な遊戯であり、人間臭の最も逆説的な表現である。例えば天平の彫刻・・・・・吾々が彼らの造型に動かされる所以は彼らの造型を彼らの心として感ずるからである」
謎かけ?「人は芸術というものを対象化して眺める時、ある表象の喚起するある感動として考えるか、ある感動を喚起するある表象として考えるか二途しかない・・・・・しかし芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない、実践である。作品とは、彼にとって己のたてた里程標にすぎない、彼に重要なのは歩くことである」
「人間が火を発明したように人類という言葉を発明したことも尊敬すべきことであろう。しかし人々は・・・・・言葉本来のすばらしい社会的実践性の海に投身してしまった。人々はこの報酬として生き生きとした社会関係を獲得したが、また罰として、言葉は様々なる意匠として、彼らの法則をもって、彼らの魔術をもって人々を支配するに至ったのである」
「中天にかかった満月は五寸に見える、理論はこの外観の虚偽を明かすが、五寸に見えるという現象自身は何等の錯誤も含んではいない。人は目覚めて夢の愚を笑う。だが、夢は夢独特の影像をもって真実だ。・・・・・言葉もまた各自の陰翳を有する各自の外貌をもって無限である・・・・・『人間喜劇』を書こうとしたバルザックの眼におそらく最も驚くべきものと見えたことは、人の世が各々異なった無限なる外貌をもってあるがままであるという事であったのだ」
「エドガアアラン・ポオの死と共にその無類の冒険、詩歌からあらゆる夾雑物を取り去り、その本質を決定的に孤立させようとした意図はボオドレエルによって継承され、マラルメの秘教に至ってその頂点に達した・・・・・文字を音の如き実質あるものとなし、これを蒐集して音楽の効果を出そうとした」
「小説は問題の証明ではない。証明の可能性である・・・・・ある作品がその裡に如何なる問題を蔵するか判別できぬほど生動していればいるほど、この可能性は豊富なのである。作品の有する象徴的価値なるものはこの可能性の一形式にすぎない。ドン・キホーテは人間性という象徴的真理の豪奢な衣をまとって星の世界までも飛んでいくだろう。然し私には、檻に入れられたドン・キホーテと悲し気に従っていくサンチョとの会話がどんなにすばらしい生々しさで描かれているかを見るだけで充分だ」
「現代を支配するものはマルクス唯物史観における「物」ではない、彼が明瞭に指定した商品という物である・・・・・商品は世を支配するとマルクス主義は語る、だが、このマルクス主義が一意匠として人間の脳中を横行するとき、それは立派な商品である。」
「19世紀・・・・象徴派詩人等・・・・己の観念に比して文字の如何にも貧弱なることを見た・・・・・今日、新感覚派文学者等・・・・彼等は凡そ観念なるものの弱小を嘆いて・・・・己の観念の弱小に比べて、文字は如何に強力なものと見えたか」
「今日、大衆文芸が繁栄する所以は人々は如何にしても文学的錯覚から離れ得ぬことを語るものである」
志賀直哉
驚いたことに、志賀直哉はエドガー・アラン・ポオと対極にある作家らしい。「ボオドレエル」であれほど自然や印象や観念に捉われ、ポオやボードレールを先駆者のように語ってきた小林は、なんと自分のすぐ近くに全く異なる資質の芸術家を発見した。たぶん志賀直哉は写実的作家のような語られ方をしてきたと思われるが、小林は彼を「古典的」と言い、ポオやボードレールが苦悩した現代の「懐疑」や「悔恨」を持たないという。
志賀直哉は恐ろしく記憶力がよく、一度見たものは脳裏に正確に刻み込まれる。だが、その記憶が文章として表われるとき、現実に起こったことよりもより自然なもの、人々がなるほどと思うものとなり、そうやって彼の小説は笑いをさそい、そして涙腺を緩めるものらしい。『豊年虫』の一部は高校時代の国語の教科書か予備校の試験問題か何かで読んだような気がするが、とにかく私は志賀直哉を読んだことはない。読むべきなのだろうか。まあ、小林秀雄を読んだ後だな。
「志賀氏をチェホフに比するという甚だしい錯誤は余り甚だしい錯誤である点で、利用するに便利である・・・・・チェホフは27才で『退屈な話』を書いた時、彼の世界観は固定した・・・・この最も宇宙的な自意識をもった作家の笑いは常に二重であった・・・・・然るに・・・志賀直哉氏の問題はいわば一種のウルトラ・エゴイストの問題なのである。氏に重要なのは世界観の獲得ではない、行為の獲得だ。・・・・こういう作家の表現した笑いは必然に単一で審美的なのである」
「『清兵衛と瓢箪』の笑いは、清兵衛とこの世との交錯から生まれたのではない。作者の清澄の眼によって、我々が笑いという言葉で御粗末に要約する美の一表情が捕らえられているのである。清兵衛は瓢箪のような曲線を描いて街を走るのだ」
「近代の文学・・・その最大の情熱である懐疑と悔恨・・・・凡そ近代の作家で志賀氏ほどこれらの性格から遠いものは稀である。・・・・志賀氏は正しく古典的な人物である」
『殺した結果がどうなろうとそれは今の問題ではない・・・・・その時はその時だ。その時に起こることはその時にどうにでも破ってしまえばいいのだ。破っても破っても破り切れないかもしれない。然し死ぬまで破ろうとすれば、それが俺の本当の生活というものになるのだ』(范の犯罪)
「これが氏の思索の根本形式だ。これは思索の形式と言うよりも寧ろ行動の規定と見える・・・・まことに氏にとっては思索することは行為することで、行為することは思索することであり、かかる資質にとって懐疑は愚劣であり悔恨も愚劣である」
「これはエドガア・ポオの手法とはおよそ対蹠的(たいせきてき)な手法である・・・・・制作の全過程を明らかに意識することが如何に絶望的に精緻な心を要するものかと知りつつこれを敢行せざるを得なかったポオの如き資質と、制作することは手足を動かすということのように一眦(いっし=一目で)をもって体得すべき行動であると観ぜざるを得ない志賀氏の如き資質・・・・・・」
『全て事実を忠実に書いたものだが、唯、一箇所最も自然に事実ではなかったことを書いたところがある・・・・私の二番目の妹が・・・このことはよく覚えていると云ったが、それがその一箇所だけ入れた事実でない場所だった。私は、そこは作り話だとは言いにくくなって黙っていたが、妹が出鱈目を言うはずはない・・・・自然なるが故に却って事実として妹の記憶によみがえったのだろう・・・・』
「氏の印象の鮮明は記憶による改変を許さない。堆積した諸風景は無意識の裡に整理されて独立した生き物となって独立した表現となって姿を現わす。」
「『豊年虫』・・・・達人でなければかような小品を創ろうとはしないだろう。この小品に氏の魂の形態が強力にではないが、又強力ではないために最も簡明に結晶化されているように私には思える・・・」
・「直哉は白樺派の作家ですが、作品には自然主義の影響も指摘され無駄のない文章は、小説文体の理想のひとつと見なされて高く評価されています。芥川龍之介は、直哉の小説を高く評価して自分の創作上の理想と呼び、小林多喜二は直哉に心酔していました。また小林秀雄は視覚的把握の正確さを評価しています。志賀直哉唯一の長編小説である『暗夜行路』(1921年 - 1937年)は近代日本文学の代表作の一つに挙げられ、小説家・大岡昇平は近代文学の最高峰であると讃えています。 」(奈良学園セミナーハウス)
「人々は『和解』を読んで泣くであろう。それは作者の強力な自然性が人々の涙腺をうつからだ。泣かない人があったとしたら、それは君の心臓が枯渇しているからではない、君のあまり悧巧でもない脳髄が少しばかり忙しがっているからに過ぎない。」
からくり
これはレエモン・ラジゲのことを語った短編。それともラジゲを出汁に使った短編かな。どっちにしろ、小林はラジゲの『ドルジェル伯爵の舞踏会』を読んでガアンとやられてしまったらしい。二十歳で腸チフスで死んでしまったこの天才は、おそらくこの世のからくりを見ていたに違いないと小林は言う。それはどんなからくりだったのかは、文面からは分からないが、人の行動や発言や態度について、その原因や仕組みを巧みに解き明かして見せたのだろうか。小説の主人公はいとこから来た絵葉書を読み、渡り鳥を探す。それにしても、ラジゲを読めと言ったXというのは誰なのだろう。
・聊かも(いささかも)
「ツェッペリン伯号・・・・風船は凡そ世の義理人情を無視して、澄まして世界を一周してしまった。『一見甚だ変哲もない写真でありますが、よくお味わいくださった方々には、実に興味津々たる映画であったと信じます』と弁士がまことに当を得た弁解をすると、電気がパッとついて俺は見事にスカされた」
「俺は雑踏の裡をゆき乍らいつもの通り不幸であった。黒色がすべての輻射光線を吸い込んで黒色であるように不幸であった」
「うしろから俺の肩を叩くものがある。振り向くとXであった。・・・・俺はもう五線玉を探す必要がなくなったことを残念に思った」
「彼は俺にスタウトを二本飲ましてくれ、レエモン・ラジゲの『ドルジェル伯爵の舞踏会』という小説を読めと言った。・・・・ラジゲというのは二十歳で死んだフランスの少年である。・・・子供のくせに小説を書くなどとんでもない奴だ・・・・・Xは俺の話を聞いてつまらなそうな顔をした。俺も仕方がないからつまらなそうな顔のまねをした。『それで、どうしても読まないというんだな』『どうせスカされるんだ、いやなこった』『じゃ勝手にしろ、馬鹿』 もちろん俺は、其の夜家に帰り、炬燵に火を入れ、南京豆を食べながら、ひそかにラジゲを読み始めたのである・・・・・ところが、思いがけず俺はガアンとやられてしまった・・・・・俺は一気に(尤も俺はあんまり幸福になって途中で本の上にだらしなくよだれを垂らして暫く眠った)夜明け近く『ドルジェル伯爵の舞踏会』を出た」
「俺は彼の舞踏会を出て、凡そ近代小説がどれもこれも物欲しそうな野暮天に見えた。これほど的確な颯爽とした造形美をもったロマン(長編小説)を近頃嘗て見ない。それにしても子供のくせになんという取り澄まし方だろう。やっぱり天才というものはあるものだ」
「俺は信ずるが、彼はある色を鮮やかに見たに相違ない、その色の裡に人間どもがすべて裸形にされ、精密に、的確に、静粛に担球装置をした車軸のように回転するのを見たに相違ない。神の兵士たちに銃殺されたこの人物が垣間見たものは、正しくこの世のからくりだったに相違ない」
「名前なんか分からない渡り鳥の大群が風で凹んだり出っ張ったりしながらやんやん飛んできます。今、山のお湯にいます。お湯の中でチンポコが実にかわいらしく見える。」
アシルと亀の子
アシルと亀の子というのは昔持っていた全集に載っていて、読んだことがあるはずだが、まるで覚えていなかった。なんだか小説のような表題だが、中身はギンギンの文芸評論。小林が川端康成に『文芸時評』を書くんだと言ったら笑われたというのは、この頃はまだ批評家として認められていなかったということか。それとも様々な意匠やボードレール論のようにやたら難しい論文を書いていたためか?ここでは二つの論文を取り上げて批評しているが、なんだか一夜漬けで、論文二つを読み飛ばし、その二つの論文を見事に一刀両断してしまった・・・・という感じ。一刀両断された二人はそれなりに才能をもち、いろいろと勉強し、世の中の動きを注視し、芸術や文学がどのようなものであるか、どうあるべきかを論じているようなのだが、小林は彼らの『論理が甘い』と断ずる。二つのキーワード『形式が内容を決定する』『芸術は単なる技術である』ということについては小林は二人に同意するのだが、そこから先の論理展開が間違っていると断ずる。一つは、形式が大切なのはポオも語っていたが、そこから先の方法論が語られていない。一つは芸術が単なる技術だとしても、集団化するということにはならない。書きぶりはちょっと乱暴に見えるが、論理明晰、一夜漬けにしては完璧な批評であろう。ただ、小林が冒頭に述べている『私にとって一番本質的とみえる問題』というのは何だろう?芸術の方法論?芸術家が冷徹な科学的自意識を持つこと?
「川端康成氏に『今月の雑誌一そろい貸してくれないか、文芸時評を書くんだ』と言ったら、『君みたいに何にも知らない男がかい』と彼はふきだした」
「私はできるだけ素面で作品に対して、出来るだけ正直に私の心を多少は論理的に語ろうとする」
「中河与一氏の『形式主義芸術論』・・・・・著者の心底を見極めようとしたら大骨を折らねばならぬ、という点で私を退屈させた。私の退屈は自体問題にならないが・・・・私にとって一番本質的とみえる問題からはそっぽを向いてしまっている」
「ここで氏の鼻歌のような論理の発展を私がごく簡単に論理的に改変してみる奇妙な芸当を許していただきたい。この書中、この世で形式が内容を決定するという事実について最も清潔で的確に私に思われた言葉は氏が書中に引用している石原純氏の言葉である『・・・・・力の場が空間および時間から成立する四次元連続体の計量的性質によって完全に言い表される以上は・・・・空間時間の或る特定なる状態においてのみ物質の存在を依存せしめなければならない。言い換えればこの場合に内容は全く形式に依存するのである』」
「形式の発展には氏の言うように意志や個性が参加しないという事は理屈に合わない・・・・・この本の中に方法論なるものが一言でも述べられているか・・・・・近代唯物弁証法は中河氏の図式と比較して凡そ比較にならぬほど精密なものだ・・・・・この論文集が『形式は大切だぞ』という以外何も語られていない・・・・・芸術はある種の物的な形の意識的な創造であり、形式以前に内容はないということは今から百年前、エドガア・ポオが身をもって語った真実である」
「大宅壮一氏『文学的戦術論』・・・・・この元気のいい本が私の心を動かさなかった・・・・この著書に現われた根性は中々頼りないどころではない・・・・だが、この勇敢率直な根性とは何であろうと考えたとき、私の方で勝手に頼りなく思ったのだ」
「知的労働の集団化に関する氏の意見・・・・・唯物論的超個人主義的解釈を獲得すること・・・芸術は経験的習練によって獲得され、成長する単なる技術である・・・・人間の労働、技術が意識的に組織化され、集団化されてゆく・・・・」
「フランスのある大衆作家が幾人もの助手を雇って制作したということと、あなたが他人の手を借りずに論文を制作するに際してあなたの大脳皮質に棲息する諸概念が強力するということと何処に本質的差異があるか。抽象論だ?冗談言っちゃいけない、論理を極限まで持って行かないから、あなたのような掛け声ばかり騒がしい論文が出来上がるのである・・・・・芸術が単なる技術であると考えることは現代の芸術家にとって大切なことだろうが、このことから芸術家が集団化するなぞと考えるのはとんでもなく甘いことだ。大切なのは集団化ではない。芸術家が冷酷な科学的自意識を持つという事である」
「ボオドレエルに不健全性、葛西善蔵に酔漢などという符牒を貼っているようなケチ臭い自意識では文芸批評なんかできんのである。彼らに美を感じるか、感じないかなどと言う甘ったれた問題にさまよっていては駄目なのである。彼らの作品というあるがままの存在があなた自身の自意識の完全な機能とならなければ駄目なのである」
ナンセンス文学
ここでのテーマは「笑い」。ナンセンスというのは笑いをさそうものだからだろう。小林は(猫が笑うかどうかは別にして)笑いには二つあるという。一つはベルグソンが語った生命のメカニック類似による笑い。二つ並んだよく似た顔、(知らなかったけど)今聞いたから知っています、などが笑いを呼ぶ。落語の三代目小さんのもこの笑い。これがナンセンス文学に通ずる笑いだと思うが、小林はもう一つ、微笑という笑いを挙げる。「母親は子供に微笑する、子供は母親に微笑する、ここに機械化はありはしない・・・・・微笑するとは生きる喜びである」と語り、こういう微笑とその倫理的な側面を備えたナンセンス文学を望む、と結ぶ。言いたいことは分かるが、微笑の文学はナンセンス文学ではないような気がする。
「笑うのは人間だけだ。尤も私のお袋なぞは猫も確かに笑うと主張している」
「あらゆる笑いは波だと同様に人間精神が衝撃を受けた場合の救い手として現れる・・・・フトイトは言っている・・・・笑いは睡眠中の夢と同じように精神の危機を防衛する一手段だ」
「人体の態度、姿態、運動はこの人体が一つの単なるメカニックであると吾々に思わせることに正確に比例して滑稽である(ベルグソン)」
「ナンセンスとはメカニックという事である。誰もナンセンスたけで笑うものはない。自然なものに対してナンセンスを感ずるから笑うのである。メカニックだけで笑う人はいない。重要な点はメカニックが生命に植え付けられているという事実だ」
「よく似た顔が二つ並んでいたら滑稽だろう。一つ一つ眺めていてはおかしくもなんともない。これは既にパスカルが観察したところである」
「ナンセンス文学という名称も溌溂たる文学活動を機械化してみたことに相違ない」
「私はここで、今まで触れなかった最も重要な笑いの形式に触れよう。それはベルグソンの『笑い』においては規定されていない微笑という笑いである・・・・・私は私の愛している人を笑うことはできない。私はその人に対して微笑むだけだ。母親は子供に微笑する、子供は母親に微笑する、ここに機械化はありはしない・・・・・微笑するとは生きる喜びである」
「私は最近の『ナンセンス文学』が過去の微苦笑文学の齎したものよりももっと明朗な笑いを表現したいという、倫理的欲求であることを望む」
新興芸術派運動
新興芸術派というのはプロレタリア派に対抗して一部の作家が起こしたものらしいが、これらの理論主体の論争に小林は手厳しい。マルクス主義が起こった時のヨーロッパでは理論至上主義の観点からだと思うが、文学無用論まで進展し、それを乗り越えて今の近代文学に至っているのに、日本の理論活動はそこまで突き詰めていない。突き詰めないで都合の良い理屈だけを振り廻しても世の中には受け入れられない。なぜならそんな理論は読者や一般人には不要だからだ。ついでに小林は、文学作品というものは万人に同じでなく、個人個人の鑑賞は皆違っているとまで指摘するが、これはちょっとやりすぎか。だが、最後の一節、「作家の制作理論には単なる学的思惟のみでは足りないであろう、そこにはあらゆる種類の熱情の参加が必要であろう」、更に、批評家も「冷酷な自意識と正直な感動とを同時に所有」しなくてはならない、という指摘は実に鋭い。小林の全身全霊をこめた批評分析に比べれば、彼らのやっている論争などまるでなってないということだ。
「いつか正宗白鳥氏が大宅壮一氏の『文学的戦術論』を評してこれが文学無用論まで進展していないことが不満であると言った。これは決して白鳥氏の単なる皮肉ではないのであって、ヨーロッパにマルクス主義の社会運動が起こった時、文学無用論なるものは当然起こるべきものであった・・・・・解析的精神の冷酷な反逆を受けて文学は極端な例をとれば例えばマラルメの場合のようにその表現を失うに至った。・・・・ヨーロッパに存在していた文学は、既に文学無用論との久しい血戦を切り抜けて生きていた文学である・・・・私は日本の近代作家で文学の正当な懐疑に錯乱した人物を一人も知らない」
「凡そ平凡な事実を見ぬふりをする理論家ほど世に有害無益な存在はない。・・・・人はかかる不誠実を冒すことによって己の理論を安易にすることは可能だが、又理論はその安易性に正確に比例して豊富な世の現実性に対して茶番となる。だが、幸いなことに社会はかかる安易な理論茶番性に対しては常に敏感である。敏感であるということは、社会がその発達のために正当に許された重要な衛生学であって・・・、正にかかる理論が吾々生活人には不必要であるという平凡強力な事実の裡に存するのだ」
「社会科学を担ぐ文芸評論家の運動はまことに勇ましい、勇ましいものはいつでも滑稽だ・・・・なぜ彼らの理論が滑稽かというと勿論これは滑稽の法則によるのであって、そこでは世の最も平凡な事実が勇ましく見ぬふりされているためなのだ。それは作品の個人の鑑賞という事実・・・・個人の鑑賞に触れて、作品というものが突然この世に姿を現わすという事実にあるのだ」
「作家の制作理論には単なる学的思惟のみでは足りないであろう、そこにはあらゆる種類の熱情の参加が必要であろう。批評家が己の鑑賞を点検するときだって同じことだ。この点検には彼の全肉体を要するではないか。これが一体文学青年の仕事かね。冷酷な自意識と正直な感動とを同時に所有することが甘い事か、しょっぱい事か」
アシルと亀の子2
プロレタリア小説家と芸術家小説家の論争を痛烈に批評する小林。彼のあ刃先はこの論争を取り上げた三木清にも及び、『機会が合ったら明瞭にこたえてほしい』とまさにボコボコに批判している。小林の批判の根底にあるのは、一つは日本においては文学批判が甘いということ(西欧では文学自体を否定するところまでいったという)、二つ目は『作品を決定する最後のものとして作家の制作過程を取らねばならぬ』ということ、つまり、プロレタリア理論や芸術のための芸術をいくら追求しても『良い』作品は生まれないということのようだ。プレハノフやフリチェ、ワイルドの「深き処より」、フロイト、フロオベエルの「ブウヴァルとペキュシュ」と「マダム・ボヴァリィ」と、いろんな欧州の作家や作品を引き合いにだしてみせ、含蓄の深さをにじませる。『君たちはこれらの作品を読んでみたのかね』という訳だ。
「西洋の近代文学はその発生の当時から熱烈な自己批判を孕み、これが文学自体への懐疑まで進まんとする傾向を蔵していた。我国の近代文学者にとって文学はしばしば愚痴の対象になったが、文学が正当に懐疑されたことは嘗てない・・・・・諸君の喧嘩で文学が論議されるに際してプロレタリア派は社会学的関心を捨てることを恐れ、芸術派は美学的関心から自由になることを恐れている・・・・・諸君の制作過程にはおそらく諸君の論議にはおかまいのない溌溂たる制作固有の法則が働いているのではないか。諸君の論争の奇体な錯乱はそこにある。」
「作品の鑑賞は先ず作品を心を開いて享け入れるという、すなわち個人の感情によって行われるという単純な論理しかない」・・・・・三木氏のこの指摘は正しいが、「単純」ではないと小林はいう
「(三木氏の提言1)作家も批評家も芸術的感情そのものを社会的に批評しなければならぬ」については、「あらゆる批評の前提として自己批評がある」と同意するが、「芸術的批評は社会的批評に結び付く」訳ではないと批判。
「(三木氏の提言2)芸術批評は単なる印象批評に終わる恐れがある。・・・・技術批評・・・更に・・・社会的基礎まで突きいるべきだ」については、「印象批評と技術批評の区別などとはそもそもおかしい・・・・この技術の社会的基礎とは?」と批判。明確に述べていないが、『自己批評』というものは技術とか社会とかの枠にはめられるものではなく、個々の作家の生活、彼自身に他ならないと言いたいのだろう。
「(三木氏の提言3)『芸術のための芸術』という思想・・・・が既に一定の社会的根拠をもつ以上、芸術的批評の立場はまた社会的に批評されねばならぬ」については、「何か世の中のためになるようにと願って制作しなかった作家は一人もいない」とする一方、「芸術のための芸術などという符牒も芸術の功利性も作家には本当は意味をなさぬものである」と批判する。「ちょうど人の目指す幸福なんでものが世の中にはないように」少しわかりにくいが、ここは「作家にとって作品は彼の生活理論の結果である」という小林の芸術理論から出てきていることは明確。
アシルと亀の子Ⅲ
これまでと様変わりし、ここで小林は二人の作家を激賞する。だが、その二人は全く違った作風のようである。滝井孝作は『見事な文体』をもっているという。『氏の文章は綿密贅沢であり、氏の眼のように生々しくド強い眼も少ない』というのは、妻にした遊女のそれとない仕草の表現や、母親に捨てられそうになった男の子の、母が出ていくときの様子と1ヶ月後に戻ってきたときの安堵と驚きを感情表現抜きに書いていることを言っているのだろう。確かに、こういう作家、作品は見る目をもった人がいて初めて世に出るのだろう。
「この作家ほど風物と人間との合流を清澄な眼で眺めている人はないであろう。・・・・氏の眼は人生から自然に逃げない、正統な小説家として自然から人間を演繹しているのである」
もう一人、牧野信一は理智派であるというが、同じ理智派の芥川龍之介とはちょっと違うらしい。『牧野信一が生きた幻は凧でも芸術でもない、いわば理智の幻である』とは、『風景中に描かれたあらゆる風物、あらゆる人々は皆、それぞれ自分勝手に呼吸して生きることを許されていない、作者の理論に関して象徴的な荷物を負わされている』ということらしい。だが牧野氏の理智はそれほど精緻、堅固でもないらしく、『酒場の前まで来ると中から女が飛び出してきて、そんな恰好であたしの眼をごまかそうとして通り過ぎようとしてたって駄目だ』と叫ぶらしい。ところが小林はこれも『彼の作品の主人公は常に女に一喝される事を必要としている・・・・女は彼の理論を破る実在として姿を現わす』と解明してみせる。
「例えば人は最も精密な理論を辿りあぐんで緊張した理論の裡にいるとき、理論そのものが欲情をもって君の知らない歌を歌ってくれるように思ったことはなかったか。対象が限りなく解析されていくとき、理論の糸もついに切れねばならぬ。人はもう対象のない解析の力だけしか感じることはできぬ、そんな時、この力が君の知らない理論の影像を突然見せてくれるように思ったことはなかったか。牧野氏はそういうことを殆ど本能的に感じて、これを楽しんでいる詩人である」
ともかくも、まったく個性の方向が違う二人のようである。小林はこの二人の才能を発見したのだろうか。
アシルと亀の子Ⅳ
小林は最初、自分の評論が難しいと言われたことに反論するが、結局、難しい事自体は認め、作家はもっと難しい事に取り組まねばならぬと叱咤する。武田鱗太郎氏はただの通俗小説とこきおろされ、一方、横光利一氏は「文学の本質的部分をまともに語った」と評価する。評価した理由は『文学は人間学である。人間を基本とした方法論である』ということであり、そこから小林の『むつかしくない理屈』がこねられ始める。「文学=人間学=人間を基本とした方法論」はゲーテの言う「人間に関係する世界、芸術はそれを扱う」で文学の本質を定義してみせる一方、マルクスの言う「重要なのは生産諸力の増大を含む運動の継続であり、無教育と知識人の差などは取るに足りない」として、文学を含む芸術など生きていくことに比べれば二の次だと認めるが、「人間の全秘密は無教育と知識人の五十歩百歩の差の中に含まれる」と文学と芸術の意義を指摘してみせる。そして次の小林の議論は「言葉」に移る。「人間精神とは言葉を生産する工場」であり、マルクスの言う経済学上の意味を持ち、「ある人の心理とはその人の語る言葉そのものである」。つまり、言葉と切り離された精神も事物も心理も存在しない、言葉こそが重要であり、言葉で見事に描かれているから「アンナ・カレーニナ」は大小説なのであり、私は心理派ではなく、写実派だ」と言うドストエフスキイは明らかに言葉を重視していた。そして小林は「絶対言語」なるものを持ち出し、それぞれの芸術派固有の内的法則をもつとし、「その固有の法則のうちに沈潜する個々の芸術家の実践上の現実主義のみが普遍的な芸術概念に触れるであろう」と締めくくる。要するに、個々の芸術家の作品を掘り下げてみることによってのみ、芸術の本質に触れることができる、と言いたいのか?やっぱり難しい。マルクスを持ち出してるのはちょっと無理があるのでは?
「私の評論がむつかしいという奇態な抗言を屡々聞く。私はむつかしい理屈を捏ねた覚えはない・・・・・仮に私の評論がむつかしいとするならばそれは二つの理由による・・・・第一に、わたしの表現技巧が拙劣であること、第二には単純な事実を語ることは複雑な理論を語ることよりも遥かに困難なわざであるがためだ・・・・・私は知っている。私の評論は諸君の小説より百倍もむつかしい、だが、バルザックの小説より千倍もやさしいのだ」
「その昔、ゲエテが正当に語ったところ・・・『われわれは人間に関係することなき如何なる世界も知らない。われわれはこの関係をあらわしている芸術以外の如何なる芸術も欲しない』」
「『生産諸力の増大、社会諸関係の破壊、観念形式、の不断の運動が行われる。一定不動なるものは、ただ運動の抽象、不死の死、あるのみ』(マルクス、「哲学の貧困」)・・・・マルクスの言うように、『人足と哲人との差異は番犬と猟犬との差よりも小である』。学的認識といい芸術的認識といいまた五十歩百歩の問題だ」
210502 お化けは出た方がいい なんとショート・ショート。ニコラス・ゴーゴリだという利口な年配男が、子供が読むような新文学ばかり書いていると若い男を罵るが、「叔父さんのだって退屈だ」と痛いところをつかれ、消えてしまう。幽霊だったのか?それとも当時の若い作家の退廃ぶりを嘆くものの、これも世情なのかと思い始めた小林秀雄のため息なのか?
アシルと亀の子Ⅴ
前文は大雑誌の夏季特集への批判。当時の読者階級を動かしているのは新聞や雑誌だと認めながらも、だからといって誰も全部は読めないような500ページもの大特集を組むべきではない。まあ、編集業界も食ったり食わせたりしなくてはならないし、読まなくたって買う人はいるのだろう。本論は広津和郎氏の作品「文士の生活を嗤う」に対する批判。小林は広津氏のそれまでの作品をチェホフの天才、「真正なアンテレクチュエル(知識人)」を描いた作品になぞらえ、高く評価する。だが広津氏が「文士の生活を嗤う」で、「作品の出来栄え」よりも「作家というものが・・・・生活というものに対して力をもっていない」と語る点については、「凡そ作品というものの唯一の興味はその出来栄えにある・・・・作品の出来栄えを最大の関心事としない文士は如何なる社会状態においても文士たる存在理由なない」と言い切り、「己の作家たる必然性を冷然たる自己批判をもって確信し・・・・この確信の上に立って最上級の制作を残した後、又冷然として文学に訣別して実行に躍りこんだランボオのような人もある」と指摘する。作家の地位、収入は昔も今も高くはないのだろう。だが、それを承知で作家になった以上(地位や収入の改善に取り組むのは良しとして)、最大の目標は良い作品を作るということなのだろう。アシルと亀の子、お化けは出た方がいい、と続く試行錯誤の結論だろうか。
「氏の制作に漂って常に私を動かす、氏の誠実と純情とが、「文士を嗤う」一文においては、というのはまた恐らくひいては氏の作家たる根本理論の領域においては飄々として蒼ざめて見える事を悲しんで悪いであろうか」
文学は絵空ごとか これは「アシルと亀の子VI」に当たるが、題を変えるよう要請されてこうしたらしい。この言葉は正宗白鳥が語っていたもので、最初は彼の批評、いや、小林は正宗白鳥を「一流作家」と呼んでいるから、批評ではないのだろう。小林は白鳥は懐疑派とか虚無派ではないと言っておきながら、「正宗氏は人生を信用していないように小説を信用していない。人生への懐疑が小説という形式で完了すると信じていない」という。正宗白鳥は懐疑派ではないが人生や小説を疑っていることになるが、この二律背反的倒錯への答えを小林はこの後に述べる。それは「言葉が嘘と共に生まれ」「三人の天才(ポオ、ボオドレエル、マラルメ)が言葉を嘘から救助しようとした」がうまくいかず、「セルバンテスは・・・・言葉の嘘をあるがままの嘘として高所より受け入れ、この嘘を逆用する道を選んだ」ということ。つまり、正宗白鳥は言葉の嘘、人生における嘘、小説における嘘も承知していて、その上で小説を書いていた、ということなのだろう。
「印刷機械が発明されて、人々は小説を楽しむという快楽を発見した。・・・今日、小説の愛読は人々の第二の天性と化している。人々はただ訳もなく小説を読んで暇をつぶす。小説の隆盛は偏に大衆の加護による。では、なぜに大衆は小説に味方したか。それは小説というものがその根底において言葉の社会性を信用するものであるがためだ。社会的偏見を肯定してかかるものであるがためだ。・・・・小説は人生の意匠と妥協する。この小説の生まれながらの大衆性に対して敢然と反逆した人物が小説の開祖セルバンテスであったとは面白いことである」
「このセルバンテスの発見した小説の根本理論(嘘を逆用する道)は今日に至っても聊かも傷つかない正当な小説理論であると私は信じている・・・・・セルバンテスは言ったのだ、文学は絵空ごとだ、と。セルバンテスが死んで300年、文学が小説の異名とまでなった今日、われわれが文学は絵空ごとであると確信するのにはや彼の天才は要らぬ筈だ。精神とは嘘であり、言葉とは嘘であることを痛烈に知ったジャン・コクトオという一つの精神が言う『私たちは盲目ではない。だから、ものを書く馬鹿々々しさははっきり感じている。然し私たちは苦しまない、だから私たちは黙っていないのだ』」
小林秀雄君のこと by深田久弥
これは昭和30年の第二次小林秀雄全集配本月報に載せられたもので、小林が日本文壇に登場した改造の第2回懸賞(昭和4年)のときの裏話、小林の「様々なる意匠」は「新風に違いないが難解」であったがために二等に甘んじたこと、しかしその後、小林の文芸時評「アシルと亀の子」は「今までの時評風を一擲した彼独特の清新な評論」であり「高踏的な斬新な熱のこもった論調はただそれだけで読者をなんとなく魅了するに充分であった」こと、そして今や、「小林秀雄こそ教祖である。その対談が一冊の本になるほど一言一句が尊ばれた文士が明治以来我が国に存在したろうか」と日本の生んだ偉大な天才に賛辞を贈る。深田と小林は大学では1年違い(年はどうだろう?)、会ったのは深田が改造入社後、そして懸賞二等を小林に知らせに行ったのが深田で、そのとき小林は一等を取ると決め込んで借金までしていたというから、よほど自信があったのだろう。そして彼の文体は難解だが、「彼の文芸評論はわが論壇に一新風を展いた・・・・・その後の有能な若手の文芸評論家のすべての模倣するところとなった」ということがこの昭和4年からの20数年間の間に起こったのだ。
・雪ノ下 (ゆきのした)は 神奈川県 鎌倉市 鎌倉地域 にある地名。. 現行行政地名は雪ノ下一丁目から雪ノ下五丁目と大字雪ノ下。
・パセティック【pathetic】 [ 形動 ] 哀れをさそうさま
「ヴァレリーの言葉を借りれば『彼の慣用句がいつしか彼等の論文となり、彼の性癖が彼等の戒律となり、何気なく言った嫌味が彼等の理論に展開し、彼から教説が引き出され、彼の簡単なマクシムから無限の注釈が導き出された・・・・・・一種素朴な、そして素朴的に神秘的な偶像崇拝精神が、この偶像破壊者の名とその遺物とを礼拝するのである』」