6/4【海外サイエンス・実況中継】進化するハーバードの工学系プログラム

Post date: Jan 30, 2012 8:20:45 PM

こんにちは。6月のメルマガを担当させていただきますPurdue大学の岩田です。

今週のメルマガでは、Harvard SEASプログラムでPh.Dを取得され、その後ボス

トンで起業された土谷大さんのエッセーを紹介させていただきます。留学に至

った経緯、どんどん変化し発展しているハーバード大学の工学系プログラム、

Ph.D取得後の起業と盛りだくさんの内容です。ハーバード大学というと人文系

のイメージがありますが、近年は工学系にも多大な力をそそぎ、世界トップレ

ベルに発展しているとのことで、工学系で留学を考えておられる方は、土谷さ

んのエッセーを参考に、ハーバード大学の工学系プログラムへの出願も一度考

えてみられてはどうでしょうか。

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ハーバード大学工学系、Ph.Dプログラム紹介

土谷 大

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カガクシャ・ネットの皆様、はじめまして。ハーバードで2009年にPhDを取得

し、現在はエネルギーデバイスの新しい会社を立ち上げている土谷です。今

回は私の所属していたハーバードのプログラムのご紹介、米国での起業経験、

そして私自身が留学に至った経緯と後に続く後輩の皆さんへのメッセージを

簡単に纏めてみました。もしお時間がありましたら、最後までお付き合いく

ださい!

<私が留学に至った経緯>

私は学部を卒業してすぐ留学しましたが、準備を始めたのは非常に遅く、

本腰を入れて取り組んだのは大学4年の夏からでした。もともと海外で暮ら

した経験は全く無く、当時は留学資金も英語力もなかったので実現可能な

選択肢だと全く思えませんでした。交換留学に参加する意欲的な学生や帰国

子女の皆さんはお利口さんで偉い人たちだなぁと思って、少し冷やかしの目

で見ていたような気がします。楽勝科目を効果的に取り、ギリギリでも単位

さえ取っていれば、国内の大学院進学か就職は可能だろうなぁと思って、

成績も気にせず授業も行かずにダラダラ大学生活を謳歌している大学生だっ

たと思います。おかげで、大学2年までの成績は落第ギリギリの点数で、

大学3年から挽回したものの、このGPAの低さで大学院出願時には凄く苦しみ

ました!皆さんは、大学1年生きちんと向上心を持って授業に臨んでくださ

い。

さて、私は高校の頃、数学と物理が嫌いかつ苦手で、苦手意識を克服するな

ら若いうちしかない!と思って、思い切って物理系の学部に進みました。と

ころが、理系科目への苦手意識克服の為に進んだ理工学部での学習が全く面

白くなく、大学への足取りは日々重く、このまま理系人間で一生送るのは辛

すぎる!と思い、大学を卒業したら一般企業に就職しようと思っていました。

就職雑誌などで色々と下準備をしている中で、英語力が重要と知ったことか

ら大学3年時にTOEFLを受けてみました。なぜTOEICではないかというと、へ

そ曲がりで人と同じことをすることを極端に嫌がる生活が災いした為です。

ところが結果は散々、テストの案内すら英語で出てくる試験では画面上でク

リックする場所や説明すら分からず、午後9時くらいまでテストセンターを

出れない大失態。中学生レベルの点数しか取れず、マズイことになってしま

ったと思いました。おまけに、理工学部では研究室配属が4年から始まるこ

とから「これを真面目に勉強しました」というような強みがなく、ゼミ配属

が3年から始まる文系の学生と比べると圧倒的に不利なことに気付き、これは

困ったことになったと悩んでおりました。その段階では消去法的に、学校推

薦でのメーカ就職か大学院進学に途中で道を切り替える選択をした訳ですが、

メーカーのリクルーターが課外活動と出身高校しか聞かない態度に嫌気が差

し、一気に火がついて「この国を出る」と豪語して勉強を始めました。とこ

ろが、それまで真面目に勉強しなかった私が一夜漬けで出来ることにも限界

があり、結局TOEFLのスコアは殆ど上がらず、素行の悪さのおかげでGPAも悪

く、慣れない研究生活、課外活動とバイトにフル稼働の中ではGREの勉強す

る時間すらなく、自分には留学は無理と6月頃には一旦諦め、学内推薦を得

て国内大学院進学を決めていました。ところが、たまたま夏に参加した学生

会議から夢を諦められなくなり、飲み会で高校の同級生に「ハーバード行っ

たら、まじギャグとして面白い!」と言われたのがきっかけで、ハーバード

に興味を持ち出願しました。その後、色々数奇なご縁や様々な方の後押しも

あり、ハーバードの博士課程に入学することが出来ました。

<ハーバードの工学系、PhDプログラムのご紹介>

さて、皆さんの多くはハーバードというと人文系に強いイメージがあるかと

思います。私も良く聞かれた質問が「Does Harvard have engineering?(ハ

ーバードに工学はあるの?」という質問でした。駅2つ離れたお隣にMITとい

う巨大な工科大学がありますし、政治・経済に強い影響力を与えている巨大

大学の中で存在が見えづらいのが工学部です。しかし、実は大学の名に恥じ

ない非常に良い工学教育のプログラムを持っています。更に、ハーバードの

大学本部が工学部を強化する方針を数年前から強く打ち出していて、

近年はもの凄いスピードで拡張が進められています!日々の変化と勢いとい

う意味では、他のどの大学にも負けないものがあると思います。現実に、こ

の勢いある組織で学びたいという大学院生がMIT、Stanfordなど旧来からの

トップ校を蹴って入学してきていますので、是非選択肢として考えてみてく

ださい。「小粒でもぴりりと辛い」というのがハーバードの工学系教育の特

徴です。

ハーバードのプログラムの特徴は、リベラルアーツの学校の特徴を工学でも

重要視している点にあります。各学科や専攻の垣根は非常に低く、学生も教

員も自由に行き来することができます。例えば、工学部には

School of Engineering and Applied Sciencesという大きな枠だけあって、

教員も学生も所属の学科というものが全くありません。教員も化学科、

物理科などと兼務していることが多く、学生はハーバードだけでなく、MIT

の授業や研究室も選ぶことが出来ます。ハーバードに入学したが学位論文の

指導教員MITの教員だったりということは日常茶飯事です。ハーバード、

MITはどの学科も世界トップクラスですので、ハーバードに入学するという

より、ハーバードとMITの作り出す巨大な知識クラスターに入学したという

感覚を受けます。基本的には学生の自主性を重視し、学生の決断を実現す

る為に最大限のサポートをしてくれる寛容さがあるのが、ハーバード大学

全体としての特徴だと思います。なお、ハーバードは名称に

Applied Sciencesと残しているように、どちらかというと実用化よりも科学

に重きをおく伝統があり、基礎工学・応用科学に重きをおいたプログラムを

組んできました。例えば、ハーバードの学部生が工学で学士を取る場合、

機械工学・電子工学というような枠組みはなく、

Engineering Scienceという専攻になります。この傾向は少しずつ2006年

以降少しずつ変化していますが、コアとなる部分は変化せずに残ると思い

ます。

授業は現行のカリキュラムでは卒業までに10コース以上履修、平均でB以上

を維持する必要があります。私の入学した2005年は12コース、取る授業は

指導教員と相談して自由に選択できるという形式だったのですが、2年前か

ら専攻ごとに必修授業が設けられ、ここ数年は常に変化しています。最新

の情報については、SEASのWebsiteを参照されることをお奨めしたいと思い

ます。[ref 1]

なお、ハーバードはQualifying Examで人数を落とすということを殆どせず、

その分入学定員を少なく絞っているのが特徴です。私も合格した際、

Admission担当の方に「ハーバードでは入学定員を絞り、入学した学生が全

員成功することをポリシーとしている」と言われ、凄く寛大な学校だなぁと

思ったのを覚えています。入学した人数のうち20%くらいの学生は博士号を

取らずに途中でやめていますが、殆どの場合は修士号を取得して個人の判断

で金融やコンサルなど、別のキャリアを選んでいます。入学人数は年々増え

ていて、私が大学院に入学した2005年は工学系全体で年間50名程度、うち応

用物理は19名、材料科学系の学生は5名程度だったのですが、最近は年間100

名近く入学しているのではないかと思います。たった数年で学生の数が倍に

なっているというのは驚きです。

<材料科学のプログラム>

ハーバードのプログラムは材料工学 (Materials Engineering) を「材料科学

(Materials Science)」に変革するのに重要な役割を果たした学校として知ら

れていて、その中心的な役割を果たしたのがDavid Turnbullという先生でし

た。彼はKineticsという材料を学ぶ学生であれば誰もが学ぶ重要な分野を

開拓した著名な先生で、材料の時間変化を体系的に観察し、基礎理論を構築

した功績は材料分野で広く知られています。結晶化、粒界成長、ガラス転移

など授業で必ず習うであろう内容の基礎的論文を読んでみると、必ずといっ

て良いほどTurnbullの名前が出てきます。彼は熱心な教育者であったことも

知られていて、米国材料科学会(Materials Research Society)は彼の功績

を称えてDavid Turnbull Awardという賞を設けています。[ref 2] ハーバー

ドの材料研究室は、毎年数名しか取らない小さな研究室にも関わらず、材料

界の著名な研究者が多く出ているのは卒業生名簿を見ていただければ分かる

と思います。[ref 3] この伝統があるので、Harvardは材料研究を

Materials Scienceと呼び、他の大学のように

Materials Science and Engineeringと呼ぶことはしてきていません。

Turnbull先生は残念ながら2007年にお亡くなりになってしまいましたが、

今は彼の弟子であったFrans SpaepenとMike Azizが材料科学分野の中心的な

存在としてMaterials Science Groupを引っ張っています。

もう一つ、ハーバードが伝統的に強いのが材料力学の分野で、この分野の

John Hutchinson、James Rice、Zhigang Suoといった先生の名前は、

材料力学を学んだ学生であれば聞いたことがあるのではないでしょうか。

SuoとHutchinsonが書いた”Mixed Mode Cracking in Layered Materials”

は工学系の論文の中で最も引用数の多い論文のですし、破壊力学に出て

くる「J積分」はRiceが自分の名前の頭文字を取って名づけたものです。

これら理論系の大御所の先生に実験系のJoost Vlassak(Stanfordの

Nixのお弟子さんです)が加わり、薄膜材料力学の研究をしてきました。

このように小規模ながら、実験・理論の両面で材料科学に大きな貢献をして

きたハーバードの材料系グループも、最近は少しずつ変化が見られるように

なってきました。きっかけは、2006年を機にハーバードが工学を強化する方

針を明確にしたことです。まず、強化の方針を示すため、ベル研の物理科学

部門を指揮していたVenky Narayanamurtiの指揮の下、それまで

Division of School of Engineering and Applied Sciencesだったものを

School of Engineering and Applied Sciences (SEAS) に格上げし、名称の

変更と規模の拡大の方向性を示しました。このあたりから、教員の採用も急

に増え、シニアレベルではベル研から自然界の材料にヒントを得た新規材料

研究をするJoanna Aizenbergが加わり、UCSBからセラミック材料を研究する

のDavid Clarkeが加わりました。ジュニアレベルでは、酸化膜薄膜の研究を

立ち上げるためにShriram Ramanathanが加わり、材料力学の研究室を立ち上

げるためにKatia Bertoldiも最近加わりました。材料分野の教員リストは

SEASのウェブサイトをご覧ください。[ref 4]

ハーバードの工学系では、ベル研の全盛期の一翼を担い、

LivermoreでPrincipal Associate Directorを努めていたCherry Murrayが

2009年からDeanとしてリーダーシップを取っており、更なる拡張と教育の質

の向上が続いています。[ref 6 ]伸びる組織にいると、個々の能力も自然と

伸びていくもので、私も在籍しながら色々貴重な経験をさせてもらいました。

ハーバードが大学全体の方針として工学系拡張を指示しているので、人材・

資金ともに豊富に使える拡張計画は良い方向に向かっているように思います。

<大学発ベンチャー>

さて2009年卒業後、私はハーバードのSEASから会社を立ち上げています。

SiEnergy Systemsという会社で、安価で耐久性の良い燃料電池を市場に出す

ことを目標としています。[ref 7, 8] PhDを取得した際に投資会社側から声

が掛かって実現したもので、ここ数年はフルタイム一人で会社を立ち上げて

きましたが、新たな投資が入ったことから数名のPhDレベルスタッフを雇える

ようになり、会社として徐々に大きくなってきました。ハーバードというと、

学術の殿堂というイメージで、MITやStanfordに比べると起業家が多いイメー

ジはないかと思います。しかし、学問と社会の接点が多くなる実情を踏まえ、

近年ハーバードも起業を促進する方向へ舵を切るようになって来ました。材

料系分野では、2005年にMazurの研究室から表面の微細構造を用いて光の吸

収率を上げた”Black Silicon”を商業化するためにSiOnyxが誕生、現在は

赤外センサー向けに開発を行っています。[ref 9] 我々の会社は2007年末に

創設され、大学での3年間の研究開発期間を経て、今年の1月に正式に独立し

ました。起業教育はハーバードが大学全体として支援していて、ビジネスス

クールを中心に工学系とも様々な連携が試みられています。科学を商業化す

ることを扱うハーバードビジネススクールの授業があったり[ref 10]、

i-Labというイノベーションを核としたインキュベーターが出来たり

[ref 11]、今後も様々な取り組みが増えるのではないでしょうか。新規企業

を作るベンチャー投資は70%以上がシリコンバレー、ニューヨーク、ボスト

ンに集中していることが知られていています。もしも大学での研究を世の中

に還元することに御興味をお持ちでしたら、まずはこれらの都市に来てみる

ことをお奨めしたいと思います。皆さんにも起業に携わる機会が訪れるかも

しれません。

<まとめ>

本日は、簡単にハーバードの工学系の中にある材料科学分野についてご紹介

させて頂きました。今回は物理や化学系に属する材料研究、ソフトマテリア

ル、マイクロ流体などは取り上げませんでしたが、これらの分野にも非常に

面白い研究室がありますので、もし時間があればチェックしてみてください。

ハーバードは日々変化している大学で、特に工学系の変化のスピードは目を

見張るものがあります。上にも書きましたが、ハーバードの工学系プログラ

ムの特徴は少数精鋭と徹底した学際研究にあり、教育と研究の質は間違い無

く世界トップレベルです。この記事を見た学生の皆様が応募、入学を検討し

てくださることを祈念いたします。

土谷 大

<参考文献>

1.http://www.seas.harvard.edu/teaching-learning/graduate/model-progr

ams

2.http://www.mrs.org/turnbull/

3.http://www.seas.harvard.edu/matsci/people/alumni/alumni.html

4.http://www.seas.harvard.edu/teaching-learning/areas/mechanical/copy

_of_people

5.http://www.seas.harvard.edu/directory/venky

6.http://www.seas.harvard.edu/directory/camurray

7.http://news.harvard.edu/gazette/story/2011/04/fuel-cell-breakthro

ugh/

8.http://www.sienergysystems.com

9.http://www.sionyx.com/

10.http://www.hbs.edu/mba/academics/coursecatalog/2107.html

11.http://www.hbs.edu/construction/lab.html

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自己紹介

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土谷 大(つちや まさる)

2005年慶應義塾大学理工学部卒業、2009年Harvard大学にて博士号取得(応用

物理)。博士号取得後、Harvardから薄膜燃料電池の会社SiEnergy Systemsを

大学からスピンオフさせ、商業化へ向けての開発研究を行っている。専門は

材料科学、特に薄膜を用いたクリーンエネルギーデバイスの研究。2011年4月

より九州大学水素国際研究センター客員准教授を兼任。

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編集後記

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アメリカでは今年はトルネード(竜巻)が多発しており、多数の死傷者が出て

います。私の住むインディアナでも滅多にトルネードは来ませんが、この夏は

すでに2回ほどトルネード警報がなり、避難をしました。自然の力は多大で、

時に予測不可能ですが、少しでも科学や技術が発展して、安全に暮らせるよう

になればと思います。(岩田)

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