【海外サイエンス実況中継・特別号】大学院留学:本当にアメリカが良い?~日本からシンガポール留学、そしてアメリカへ

Post date: Jan 09, 2012 5:23:13 PM

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_/ 『海外の大学院留学生たちが送る!サイエンス・実況中継』

_/ July 2007 Vol 14 No 2

_/ カガクシャ・ネットワーク → http://kagakusha.net/

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なぜアメリカの大学院を選んだか,の特別号をお送りします。今週は、

ニューヨーク州立大で海洋生物学を専攻する菅野さんが執筆してくれました。

アメリカの大学院に留学した経緯を語ってくれます。日米の研究事情の比較

に加えて、シンガポールでの交換留学の経験についても触れられています。

(杉井)

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なぜ日本でなくアメリカの大学院を選んだのか?

菅野 公寿

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■ 研究所の紹介

ニューヨークの州立大学群の中でも最も研究に力が入れられている、

State University of New York at Stony Brook(以下SUNYSB)

の、Marine Sciences Research Center(MSRC)に2005年8月から

所属しています。Stony Brook市はマンハッタンから東へ100km、

ロングアイランドの中心にあります。ここはアメリカの中でも生活水準が

高く、いわゆる高級住宅街に位置づけられていて、治安に関して不安を抱い

たことは今までのところ1度もありません。近辺にはBrookhaven National

LaboratoryやCold Spring Harbor Laboratoryがあり、SUNYSBと

提携して教育と研究を行っています。

以下の文章は2006年初めに書いたものです。「MSRCに所属する1年目

の学生は大体こんな感じなんだな」といった感じで参考程度にしてください。

研究の進め方は千差万別なので、一般論を語ることは自分には出来ません。

■ なぜアメリカの大学院に通うのか?

?金銭的援助が充実している?

私の「月収」は、手取りで1,500ドルほどです。健康保険や授業料は払って

いません。これらは全て、大学院と所属する研究所が負担してくれています。

私が特別なのではありません。Ph.D.コースに所属するクラスメイト17人

全てが、同じように給料を得ています。

在籍1年目(2005年度時点)の収入は、Teaching Assistant (TA)をする

ことによって得られます。実験の授業を1人で2セクション担当しています。

授業の予習をし、1セクションあたり24人の生徒を1人で指導し、日々の

クイズや期末試験を作成し、宿題を採点し、定期試験の試験監督をし、と

本当に「先生」をするのと並行して、自分の勉強を続けています。

MSRCの場合、大学院1年目は基本的にラボに所属せず、各自が研究室を見て

まわる期間(いわゆるローテーション)ととらえられています。1年目の間

に必修授業(生物海洋学、海洋化学、海洋物理学、海洋地質学)をとり終え

た後、ラボに所属して、2年目以降は基本的にはRA(Research Assistant)

として研究活動と並行して授業を受けるようになります。

ただし、ラボのPI(Principle Investigatorの略で研究室の主催者)に

十分な資金がない場合、TAと自分の研究と授業の3つを並行して行わなけれ

ばならないこともあります。しかし、この状況はせめて授業の負担が大きい

1,2年目には避けたいものです。この状況に陥った場合、本格的に研究に

集中するのは困難だと思います。

日本では基本的に、大学院生はお金を払って通う勉強させてもらう「学生」

という位置づけです。したがって博士課程に進んだ場合、博士号が取れる

30歳前後まで、授業料を払い続けなければなりません。一方アメリカでは、

大学院生は給料をもらうべき「職業」として認知されています。ここには、

新入社員が研修中も会社から給料を貰えるのと同様に、大学院生は科学者と

して1人前になるための研修期間中であり、この期間中は当然給料を与える

べき、という考えが根本にあるのだと理解しています。

ただし、給料を与えないとアメリカ人の大学院生を集められない、という

側面もあるようです。給料をもらいながら好きな勉強が出来る、この1点

のみでもアメリカの大学院に進学する理由としては十分でした。

■ 進学の準備

?書類?

アメリカの大学院選考過程は、日本のように「フェア」に点数で合否が決定

されません。ETS発行のTOEFLやGREのオフィシャルスコアは確かに要求され

ますし、成績証明書、エッセイなど、必ず提出しなければならないものもあ

ります。しかし、たとえテストのスコアが芳しくなくても他の要素(例えば、

優れた論文を既に書いている、強力なコネがある、など)がよければ合格す

ることもあります。

また、予期せぬ不都合が生じた際直ちに大学院にコンタクトを取ると、書類

の不備を多少考慮してくれる場合があります。私は、12月にGRE subject

のひとつであるBiologyを東京で受験するつもりで京都から実家の埼玉に帰省

したのですが、受験前日にパスポートを京都に置いてきてしまったことに気

がつきました。GRE受験には身分証明書としてパスポートを提示しなければ

ならないので、テストを受けることができませんでした。

Subjectスコアが必須の大学院の先生にこのことを伝えたところ、「とにかく

出願しなさい」とアドバイスされました。そして数ヵ月後、不思議なことに

合格しました。こういうこともあるので、とにかく、合格するためにできる

限りのことをすることが重要だといえると思います。

?シンガポール国立大学(NUS)へ交換留学?

大学院はアメリカに進学することに決めていたので、日本の大学院は受験し

ませんでした。多くの人が大学院入試勉強する時期に合わせて、シンガポー

ル国立大学(NUS)で交換留学生として勉強する機会を頂くことができまし

た。目的は2つありました。一つは、進学先で学ぶであろう科目を先取りす

ること、もうひとつは、英語での生活になれること、でした。いわば、アメ

リカ大学院生活の準備期間というわけです。

あまり知られていないかもしれませんが、シンガポールは英語が第1公用語

で、教育は小学校から全て英語で行われています。シングリッシュと呼ばれ

る独特のアクセントはありますが、英語であるので一応理解できます。ちな

みに日本人の抑揚のない英語も、一部でジャングリッシュと呼ばれ、悪名高

いです。

この選択は大正解でした。まず勉学面ですが、分子生物学と細胞生物学の

授業を受け(教科書は「Molecular Biology of the Cell」「Molecular

Cell Biology」「Gene VIII」など)、基礎知識を身に付けるのに大いに

役に立ちました。この時の経験は、生命科学系の論文を理解するのに大変

役立っています。海洋生物学の授業で習ったことは、MSRCの必須科目である

生物海洋学の授業を理解するのに、役立ちました。

生活面で直接シンガポール生活が役立ったことは今のところないのですが、

問題に直面しても「何とかできる」あるいは「何とかなる」という心構えを

もてたことで、精神的なゆとりをもたらしてくれたのかもしれません。実際

こちらの書類処理は非効率なこと極まりないので、無駄にいらだつことなく

生活できるという、適応能力が必要だと思います。

もちろん英語力も向上しました。何も準備せずに受けた2度目のTOEFLで、

留学生の基準点である250点を取ることが出来ました。日常的に英語に接

することで、TOEFLで点数を取る程度には英語全般の能力が上がったようで

した。試験のための勉強は面白いものではありませんでしたので、実際に

交換留学しながら自然と英語を身に付ける方法は、自分にあっていました。

しかしGREのほうは芳しくありませんでした。Verbal:310、Quantitative:

800、Writing:3.5で、特にVerbalはクラスメイトの中で最低点だという

自信があります。GREで良い成績をとるには、GRE向けの勉強をしなけれ

ばならないということでしょう。しかしこちらに来てわかったことですが、

授業を受ける、という点では問題はありません。長文の答案を書いたり、

エッセイを書いたりする際に、思ったことうまく文章に表現できずに苦い

思いをすることもありますが、GRE向けの勉強をすれば解消される、という

ものではないと思います。

■ 本当にアメリカが良い?

?日米比較?

教育面、研究面(2006年当時の自分に経験があった海洋生命科学の話しか

できませんが)のいずれにおいても、アメリカだからこそ優れている、と

いう印象は今のところ受けたことがありません。アメリカの教育制度の優れ

た点として「ディスカッション主体の能動的な授業がよい」、ということが

しばしば強調されますが、そういう授業を求めるのならば、日本でだって

できるはずです。先生に協力してもらったり、同じ動機を持った仲間を見つ

ければよいでしょう。やらなければならないことがわかっていて、なおかつ

十分やる気があるのならば、後は行動に移すかどうか、だけです。

日々の生活や教育を通して、科学界での公用語である英語の能力が高まると

いうことも聞きますが、これも日本にいながら出来るはずです。セミナーを

自主的に英語でやってみればよいし、英語で会話する時間を作ればいいの

です(リードしてくれる人や誤りを正してくれる人が必要かもしれませんが)。

研究を進める際に参照すべき論文は基本的に英語で書かれていますから、

言葉の言い回しは自然と蓄積しているはずです。あとは発信する機会を見出

せれば必ず英語力は伸びるはずです。

先に述べたように、確かに時間制限のある試験の答案を書く際や、ディス

カッションをする際に同級生の発言を理解することができないときに語学の

ハンデを感じることはあります。しかし、自分の研究テーマを把握し、その

分野の語彙を増やし、事前に準備すれば対応できるレベルだと思います。

そうすれば、意見を聞き取れないことに引き起こされる、授業中やディス

カッション中に感じる劣等感からも開放されるのではないかと思います。

研究面においても、日米に大きな差はないと思います。海洋生命科学の研究

で使われるキット(商品化された分子生物学の実験セット)は、日本で使わ

れているものもアメリカで使われているものも同じです。読んでいる論文も

同じですし、情報収集方法も今はインターネットで行う場合がほとんどなの

で、同じです。アメリカの科学が特別だ、ということは今のところ感じて

いません。アメリカで出来ることは、やる気さえあれば日本でも出来ると

思います。

1点だけ確実にアメリカが優れているといえる点は、大学院生に課されてい

るTA制度です。先に紹介したように、学費と保険は免除され、生活費は月

1,500ドル支給されています。中にはTAを嫌う人もいますが、私はむしろ、

TAを「させてもらえる」というべきだと考えています。

学部生にとってみたら、英語力の(アメリカ人と比べて)不十分な外国人に

教わるよりもアメリカ人に教わったほうが良いと感じているかもしれません。

実際に留学生TAに対する学部生からの不満はよく耳にします。特に、学部生

本人の勉強の姿勢に問題がある場合、彼ら彼女らは自分の努力不足を棚に

挙げて、留学生TAの英語力のせいにしがちです。アメリカ人の大学院生を

雇った場合、この問題は未然に防げるにもかかわらず、TAを「させてもら

える」のです。

このようなプレッシャーがあるからこそ、足りない英語力をカバーするため

に、事前に十分準備をします。英語でしゃべる練習も少しします。この過程

で英語力は確実にアップします。あまり自分の詳しくない分野も同時に学習

することができ、語彙も増えます。教えなければならないので、たとえ簡単

な内容でも、自分が受ける授業よりもときに真剣に勉強します。TAをして

初めてわかったことですが、この過程で、学部生が授業を受けることで得ら

れるより大きなものを、大学院生は得ていると感じています。

■ なぜあえてアメリカ?

私はここまで、この文章の中で「留学」という言葉をあえて避けてきました。

というのも、日本の大学院に「進学」する選択肢もあった中で、金銭的援助

が充実しているアメリカの大学院に「進学」することにしただけだからです。

最初に強調したように、給料をもらいながら好きな勉強が出来ることが最大

の理由でアメリカに来ました。しかし、実際日本にもすばらしい研究室は

たくさんあるはずですし、尊敬できる先生を見つけることができたならば、

お金を払ってでも大学院に通う価値はあると、今は思います。

進学するにしても、分野によってはアメリカ以外の選択肢を考えるのもよい

かも知れません。ちなみに、シンガポール国立大学の生命科学系大学院生は、

アメリカの大学院に通う大学院生同様に、十分サポートされています。また

国の政策として生命科学とナノテクノロジーは推進されているので、この

分野を目指す方は考慮する価値があるかもしれません。

ただし、日本の大学院がこのままでよい、ということではありません。日本

の大学院生も金銭的にサポートされるべきです。高価な機材を研究室単位で

導入する代わりに研究室の間で共有し、浮いたお金を学生のサポートに回せ

ば、大学院生は大いに助かります。人材への投資は設備への投資よりも大切

なはずです。特に研究室という小さな集団ではなおさらです。

大学院進学はいわば「賭け」です。研究室に所属してみて初めてわかること

があるのと同じように、大学院に通ってみて初めてわかることがたくさん

あります。私のクラスメイトがマスター(修士)コースの学生として通って

いた大学院は、先生同士が互いに嫌いあっている学校だったと聞きました。

それが一因でマスターを取得することができずに、MSRCのPh.D.コースに

進学してきたそうです。やはり実際アメリカに来てみないとわからないこと

は多いです。多くの必須科目はあまり面白くないということが不満ではある

ものの、MSRCは自分にあった学校であったので、ほっとしています。

選択を誤ったと感じたら、修正すればよいだけの話です。「賭け」ですから

いつもうまくいくわけではありません。アメリカ大学院への進学準備はかな

り大変なので(自分にとっては大学受験よりもずっと大変でした)、それを

こなすことができたのならば、方向転換は出来るはずです。

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自己紹介

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菅野 公寿

京都大学農学部を2005年春に卒業。4回生のとき、半期シンガポール

国立大学で過ごす。海洋生命科学を続けるため、2005年8月にState

University of New York at Stony Brook, Marine Sciences

Research Centerに入学する。入学後1年たった時点で、実験や観測で

得られたデータを数理モデルを用いて説明できるようになるため、また数理

モデルを用いて予測できるようになるために、数理生物学に専攻をかえる。

そしてその結果、今とても苦しんでいる。現在は、1年後のプロポーザル

提出に向けて、自分の博士論文の大雑把な構想を練っている。勉強の合間に

はタンゴを一生懸命踊っている。

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編集後記

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この文章は2006年の初めに書いたので、当時とは大分考えも変わりまし

た。そのため、元の文章にあったあまりに一般的すぎて役に立たない記述や、

経験不足から来る自分の明らかな誤解は削除しました。それは、自分が多少

なりとも経験をつんだ証、と良い方向にとらえようと思います。

(菅野)

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