【海外サイエンス実況中継・特別号】大学院留学:Ph.D.所得後、アメリカで企業就職、そしてシリコンバレーで起業

Post date: Jan 09, 2012 5:29:41 PM

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_/ 『海外の大学院留学生たちが送る!サイエンス・実況中継』

_/ November 2007 Vol 22 No 1

_/ カガクシャ・ネットワーク → http://kagakusha.net/

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「なぜアメリカの院を選んだか」の特別号シリーズをお送りします。今週は、

大学院時代に生化学を専攻し、現在はシリコンバレーで起業されている、二村

さんです。 二村さんが経営するInfiniteBio(http://infinitebio.com/ )は

順調に業績を伸ばされています。アメリカで大学院を修了し、自分の会社を

立ち上げるまでに至った秘訣とは何でしょうか?女性の方には、「女性への

メッセージ」も必見です。

(杉井)

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なぜ日本でなくアメリカの大学院を選んだのか?

二村 晶子

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■ 自己紹介

日本で東大農学部の農芸化学科を卒業し、アメリカでイリノイ大学シカゴ

校にて生化学の分野でPhDを取り、あるきっかけから住友商事のライフサイ

エンス系の子会社を2001年にカリフォルニアで立ち上げ、ベンチャーキャピ

タルの仕事をした。その後2006年にアメリカの会社を独立させ、現在シリコ

ンバレーにて、日米の大小の企業を対象に、ライフサイエンス戦略アドバイス、

投資アドバイス、日本の技術をアメリカ市場に販売、薬剤開発のコラボレー

ションなどの日米間におけるパートナーシップの構築、などコンサルティング

会社を運営している。

いずれは研究開発も自社で行うべく準備中であるが、日本のユニークな技術

をアメリカの製薬企業に売る仕事が延びており、なかなか忙しくて準備が進

まないのが現状。

米国大学院に進むことに決めた理由はいろいろあるが、米国大学院に進んだ

ことで、私がそのような決断をしたことにつながって、本当にラッキーだっ

たと思っている。大学院に進んだ理由、大学院で学んだこと、そして今の

仕事にどのようにそれが関係しているかを述べたい。大学院で学んだことを、

ここで詳しく述べるには限界がある。大学院で学んだことで重要であったの

は、ライフサイエンス全般の知識をつけること、自分の専門を築くこと、

良い研究をデザインすること、自分の考えをクリアに発表すること、など多

くあった。しかし、このようなトレーニングが非常に重要であったという

ことが、今の仕事をしながら初めて理解できたように思う。

■ アメリカの大学院を選んだ理由

私は1995年から2001年まで、イリノイ大学シカゴ校医学部で生化学学科の

ドクターコースに所属し、2001年にPhDを修得した。

日本ではなくアメリカの大学院に行くことに決めた理由はいろいろあるが、

大きな理由は、自分が育った環境にあると思う。私の父は、日本で大学を

出た後、ハーバード大学大学院に行った。私と兄は小さなころから「大学は

日本で行き、大学院はアメリカに行きなさい」と言われて育った。

その後、私はスウェーデンで中学時代の1年間を過ごすことになり、アメリ

カンスクールに通った。その一年間は私の若い時代、もっとも充実した一年

になったのだが、その大きな理由が学校の教育にあった。アメリカンスクー

ルは宿題も多かったが、勉強するときは自分個人の実力を伸ばすような工夫

がされており、アメリカの教育の方が自分には合っているのではないかと

感じた。

その1年の間に、当時スウェーデンウプサラ大学の客員教授であった父に

ついて国際学会に行った。私はその当時14歳だったが、国際学会という場

で、世界中から人が集まり、過去に会ったわけでもないはずの人たちが、

共通の話題で盛り上がっているのを目前にした。その時に、私はサイエンス

が世界の共通語であること、そして英語もコミュニケーションの手段として

重要であることも認識した。世界各国の人々が自分の研究内容を知り、それ

について英語で議論ができること。そういうことが、自分が生きるうえで、

最低条件なような気がした。

■ 大学(学部)を卒業し、渡米

私は東京大学の農学部農芸化学で学部時代をすごしたが、自分の専門を深く

勉強していくに従って、留学ということの意味が分かってくるようになった。

科学論文はほとんど英語で書かれているし、サイエンス自体を英語でやった

方が、サイエンス情報のアクセスや自分が発信する情報の影響力から考えて

も、効率がよく、有利ではないかと思った。また、ライフサイエンスの多く

の分野で研究の先端はアメリカにあることも認識し始めた。私が小さいころ

から父に言われていたこと、「大学院はアメリカに行きなさい」と言う理由

が分かったような気がした。

私が大学の教授に私の留学の意向を話すと、「東大の大学院にそのまま進めば

安泰なのに」と言われた。当時、私が留学を決心した1994年、1995年は、

日本ではバブルははじけたものの、特に景気が悪いという時期ではなかった。

その反面アメリカは景気が悪い時期であった。日本では、まだ「安泰」とい

うような言葉が使われていたし、どうしてあえてアメリカへ行くのか、とい

うような雰囲気もあった。女性が危ないアメリカへ行くのは反対、というよ

うな意見を言う人もいたし、周囲は私の意志をサポートする人が多かったわ

けではなかった。

しかし、私は「安泰」という言葉には全く興味がなかったし、チャレンジを

望んでいたので、留学の決心は変えなかった。当時周囲に、ライフサイエン

ス系で留学する連れがいたわけでもなく、留学の準備に十分時間をかけるこ

とはできなかったが、学部を卒業するころにはイリノイ大学シカゴ校医学部

生化学学部から入学の通知が来た。

■ ラボ選びについて

シリコンバレーで仕事をしていると、ベンチャーキャピタリストの間で有

名な教授の研究室出身というと、起業してもベンチャーキャピタリストなど

の投資家が飛びつく、という環境がある。私がシカゴで研究室を選んだとき

は想像もしていなかったことだ。

私がPeter Gettins教授の研究室の存在を知り、研究室にジョインすることを

希望したのは、大学院に入学してからである。Gettins教授が、たんぱく質の

構造と機能という私が一番興味を持っている分野に従事していたこと、研究

室の雰囲気が他の研究室に比べていつも明るく、他の研究室よりもみんな声

が大きくて、とても楽しい雰囲気があったからだ。そして、論文の出版数も

学部の中でもっとも多い研究室だった。私はこの研究室に所属したことは、

論文を出す観点からも、好きな研究をするという意味でも、大正解だったと

思う。

しかし、将来ベンチャー企業の立ち上げることがしたい、ベンチャーキャピ

タリストになりたい、と希望する場合は、私が所属した研究室はベストとは

思えない。まず、第一に私の先生が、自分の技術を使ってビジネスをしよう

とは全く考えていなかった。そうすると、企業にも投資家にもコネクション

はできないし、ビジネスの成功例などを身近に見る機会がない。私の場合は

そのようなコネクションは、住友商事と仕事を始めてから築いたものである

が、大学院時代に将来のビジネス上も重要なコネクションを作りたければ、

そのような観点を考慮しても良いと思う。

Gettins教授の研究は血液中の重要なたんぱく質を扱っているので、起業マイ

ンドがあれば、ビジネスのネタには困らないはずであるが、彼はまったくそ

ういうことには興味はなかった。しかし、結果的には私は卒業後、自分でコ

ネクションを開拓し、コネクションに困ったわけではないし、個人的には、

このような戦略で研究室を選ぶことを必ずしもサポートしているわけではな

い。一つは、このような戦略的に研究室を選んだ人たちが、必ずしも計画通

り成功しているわけではないと思うからだ。また先生は忙しくて、一人ずつ

指導している時間はないかもしれない。

今の仕事を始めてから、実際に、そのようなバイオインダストリーにおける

「スター」教授の研究室を出ている人たちの多くが、ベンチャーキャピタリ

スト、大手法律事務所で活躍する弁護士、弁理士、などになっていることが

分かった。大手法律事務所で活躍するには、常にホットな顧客がいなくては

やっていけないが、「スター」教授がいろいろな会社を研究室からスピンア

ウトさせ、それらの会社には、ピカピカのベンチャーキャピタルが付いて、

いずれ大きなIPOをしている。そのような会社を顧客につけなければ、弁護

士としての事務所における立場が揺らいでいく。

このように、「スター」教授の研究室を出た人たちは、弁護士、ベンチャー

キャピタル、または教授の考えを実現できる研究者として活躍し、それぞれ

の人たちがグループを作り、お互いを守りながら成長しているように見える。

しかし、その中でも当然ながら実力があることが重要で、チャンスが与えら

れたにも関わらずそれをうまく活用することができなかった人は、当然チャ

ンスを失っていくだろう。

■ 実力社会について

私が大学院に入って驚いたのは、一度大学院に入ってしまえば、努力さえ

していれば先生に認められるだとか、努力さえしていればPhDが取れる、と

いうわけではないということである。それは今考えれば当然のことと思うが、

実際に目の前で何人ものクラスメートが退学を余儀なくされているのを見て、

正直なところ驚いた。私の学年で10人のクラスメートがいたが、最終的にPhD

を取ったのは、なんと私一人であった。私の学年は、退学率が高かったよう

だが、他の学年でも半数以上の人たちは何かしらの理由で退学した。

日本での学生生活を思い出してみると、私は常から気になっていたことがあっ

た。それは試験のたびに、自分がどれだけ最低限の努力によって試験をパス

したか、というような変なプライドを持つ人が多かったということだ。試験

前にも「全然勉強していないよ」というような台詞を口にし、試験にパスして、

自分が効率よい人間だというような態度を取る。勉強が好きです、とか一生

懸命勉強しています、という態度を取ると、そんなに勉強しなくても卒業で

きるのに、という目で見られることがある。そういう態度に私は違和感を

持っていた。どうして、自分が勉強しなくても成績が良いというフリをした

いのか、と。

アメリカに来てからみんなが懸命に勉強をしているのを見て、その自然な態

度に、私はこちらの方が肌にあっていると思った。試験前なのに勉強してい

ない人(あるいはフリをしている人)がいれば、周りの人たちは「あなたは

なんで試験前なのに勉強していないの?」と言う。勉強するために大学院に

来ているのだから勉強するのは当たり前で、勉強しないのであれば、大学院

に来る意味がないのだ。そういう純粋な気持ちを表せる環境が私は自然だと

思い、居心地がよく感じた。

試験があるたびに、誰もが真剣に勉強していた。それでも容赦なく、毎回半

分の人を落とすテストもあった。そのような大きなプレッシャーは、私も大

学院に入るまで想像していなかった。それだけ厳しい基準で学生を落第する

ので、カンニングをしている人がいれば、学生が先生に報告する。他の人を

蹴落として自分がプログラムに残らなくてはいけない、という風土があった。

私が入学したころは、アメリカの景気は悪く、とりあえず大学院に行こうと

いう人が多く、大学院の競争率が特に高かった年である。アメリカは実力社

会かと思えば、意外に交渉する人には寛大で、「何でもネゴ次第」と思わせ

るところもあるし、派閥が物を言うところもある。しかし、基本的には、

個人個人が自分の力を常に人に見せていかなくてはいけない社会だと思う。

世界中から夢を持った人が集まるアメリカで、どのように自分をアピール

していくか、が鍵であると思う。そのようなトレーニングも、今ビジネスを

する上で、非常に役に立っている。

■ 人と人のつながり

アメリカの大学院に行ったことで、人と人のつながりが重要であることを

益々感じるようになった。今仕事をしていて、どのように仕事のパートナー

を選ぶか。もちろん、技術的に補完的なものを相手が持っている、ビジネス

の経験が補完的である、ネットワークをあわせると相乗効果がある、などの

理由がある。

しかし、実際に、「この人と一緒に仕事をしたい」と相手が思わなかったら、

長い関係は望めないであろうし、信頼関係もできないだろう。アメリカに住

んでいる間に、どれだけ「この人と将来一緒に仕事をしたい」と思わせるか、

がとても重要だと思う。これは、実力とか、人徳だとか、相手が感じる「ケ

ミストリー」が問題で、簡単に行えるものではない。例えば多くの人が「正

直な人」に共鳴するだろうし、「思いやりがある人」に惹かれるであろう。

また、仕事をする上では、「実力がある人」は何と言っても魅力的だろう。

アメリカの社会は人と人のつながりを重視する社会であるから、常に回りに

評価されていることを忘れない方がよいと思う。

私がアメリカの大学院に行ってよかったと思うことは数多くあるが、特に、

今の仕事を考えると、世界の先端を行く人たち、研究者、ベンチャーキャピ

タリスト、ビジネスマン、と難なく直接コミュニケーションが図れることは、

アメリカの大学院に行ったからこそ可能なことだと思う。

たとえば、私たちの仕事では、日本の技術をリアルタイムで北米市場に紹介

する。北米市場に紹介する、といっても日本語を英語に訳しただけではだめで、

北米のサイエンス、およびビジネスカルチャーに合わせて、しかも相手の

会社から適切な有力人物を探して、その人たちにアピールする必要がある。

ビジネスを交渉の場面でも、米国企業側の交渉内容を同じ土俵で評価し、

日本のクライアントになるべく有利なように契約をまとめなくてはいけない。

そのような交渉も、アメリカの風土での相手の温度を理解しながら行う必要

がある。

また、様々な状況であっても、仕事で出会った人と、長い関係を築いてき次

に発展させることも、私のような仕事では腕の見せ所である。正しいキーパー

ソンを探してコンタクトすることや、実際の交渉も含めて、私が北米の大学

院を出ていなかったら、これらの実行はもっと難しかっただろうと思う。

交渉の相手が、同じ環境で教育を受けていれば、交渉もやりやすい。

■ 女性へ

自分が20代だったころよりは、私自身、女性の社会的地位に対する不満が

減ってきたように思う。それは自分がアメリカのビジネス社会に慣れてきて、

活躍する女性を目にしているせいなのか、自分の年齢が上がるにつれて、

差別を感じなくなってきたためなのか、あるいはその両方なのか、様々な

要素があると思う。

私の現在の仕事では、北米の大手製薬企業やバイオテク企業相手にビジネス

をすることが多いが、そこで強く感じるのは、重要な地位についている女性

のexecutive(重役)の多さである。例えば、会社を訪問し、先方から5人か

ら10人の関係者が出てきて、私たちのチームとディスカッションをする場合。

先方のトップは、大手製薬企業では、ある疾患部門のリーダーであったり、

そのサイトのディレクターであったりするが、それらの地位についているの

が女性であることが多いのだ。

自分より年齢が上の男性の部下を引き連れてミーティングすることもしば

しばある。そのような環境にいると、「女性の活躍が目立つ」という表現を

すでに超えていて、強いリーダーシップのある人物には、男性であろうと

女性であろうと、関係なく活躍できる、ということがよくわかる。

その反面、日本の環境はまだまだ違うと思う。例えば、先日大阪に、ある

ベンチャー企業の投資説明会(投資家向けに、ベンチャーが資金調達のため

にセミナーを開く)で、私が講演をした。その後、講演をした3名と、投資

家を交えてランチョンが行われたのだが、そこに集まった30名くらいのなか

で、女性が私一人だった。最初、何か雰囲気が異様だと感じたのだが、周囲

を見回すと、女性が一人だったのである。セミナーの際に、いろいろなサポー

トをするために同室していた女性たちは、別の控え室でお昼を取っていて、

ランチョンには参加しなかった。

このことからも、日本では表で活躍する女性はまだまだ少ないことを実感し

た。アメリカにいると、投資家関係の学会に集まる日本のベンチャーキャピ

タルの仕事をしているのは女性が増えてきているように思うので、傾向とし

ては、女性はもっともっと活躍する社会になっていくとは思う。日本の製薬

業界のビジネス関連部門、研究部門、金融の企業、それぞれ、今後は女性の

活躍が少しずつ増えていくのではと予想される。しかし、まだまだしばらく

は女性にとって活躍できる場が少なく、「面白くない」環境が続くのではな

いかと思う。

女性で、研究や仕事の環境に不満を持っている方は、早めにアメリカに出て

きて、自分を鍛えながら、楽しく、やり甲斐を持って仕事をすることをお勧

めする。実力社会のアメリカで自分を鍛えながら、日本の社会にも貢献でき

るような今の仕事は、大変やり甲斐があると私は思っている。

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自己紹介

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二村 晶子

東大農学部の農芸化学科を卒業。イリノイ大学シカゴ校にて生化学の分野で

PhDを取得。その後、住友商事のライフサイエンス系の子会社を2001年にカリ

フォルニアで立ち上げ、ベンチャーキャピタルの仕事をする。2006年に会社

を独立させ、現在シリコンバレーにて、日米の大小の企業を対象に、コンサ

ルティング会社、InfiniteBio(http://infinitebio.com/ )を運営している。

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編集後記

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今回執筆した二村さんは、このメルマガを発行している「カガクシャ・ネット

ワーク」(2000年発足)の初期からのメンバー。当ネットワークが目指す、

「理系人のネットワーキング力を高める」を、まさに身をもって体現している

人です。またこのエッセイを通じて、アメリカの大学院は、純粋な「研究者・

科学者」だけではなく、「起業家」を養成するにも適した環境であることが分か

るかと思います。

(杉井)

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