【海外サイエンス・実況中継】小さなチップに大きな可能性(前)
Post date: Jan 30, 2012 7:43:28 PM
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_/ 『海外の大学院留学生たちが送る!サイエンス・実況中継』
_/ September 2009, Vol. 50, No. 1, Part 1
_/ カガクシャ・ネット→ http://kagakusha.net/
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第3弾メルマガスタートに伴い、何人かの新しい執筆者が参加してくれました。
今回は、その一人の宋さんに、「最近発表された論文の簡単な紹介とその将来
的な可能性など」に関連したトピックとして、「小さなチップに大きな可能性」
を紹介してもらいます。今回は前編で、基本事項の説明が中心になります。こ
のメルマガは、テキストのみの配信のため、残念ながら動画や図などを組み込
むことはできないのですが、研究をわかりやすく説明するため、宋さんには図
を描いて頂きました。おそらく、本メルマガ始まって以来の初の試みです。ぜ
ひアクセスして、本文と一緒にご覧下さい。それでは、どうぞお楽しみ下さい!
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最近発表された論文の簡単な紹介とその将来的な可能性など
小さなチップに大きな可能性(前)
宋 云柯
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20世紀後半から、私たちはバイオサイエンスの急激な発展を目の当たりにして
きました。20世紀のバイオサイエンスは、分子細胞生物学、生化学等に代表さ
れる、バルクの実験(比較的大量のサンプルをチューブ等の中で扱う実験)が
主流でした。しかし、ヒトゲノムが解読され、コンピューターが発展した今、
従来の実験・診断技術の問題点が浮き彫りになってきました。その問題点とは、
そして私たちが求める次世代のバイオ実験とは、一体どのようなものなのでしょ
うか?
1. ハイスループット(high-throughput)な実験
体内や細胞中に存在する、重要なバイオ分子(DNA, タンパク質など)は膨大
な量のため、従来の実験方法に則り、その一つ一つについて実験・医学診断を
行うには、莫大な時間と費用がかかります。よって、一気に多数のサンプルを
扱う、非常に効率的な(=ハイスループット)バイオテクノロジーが必要です。
2. ごく少量のサンプルを扱う実験:
一人の患者から得られる体液、血液、組織断片の量は限られています。これら
貴重なサンプルを有効に使うためには、一つの実験に使うサンプル量を少なく
抑える必要があります。しかし、少量のサンプル中には、目的のバイオ分子
(DNA やタンパク質など)は多く含まれおらず、サンプルを希釈すると、目的
の分子の濃度が低すぎて、実験が行えないことが多々あります。よって、実験
に適する分子濃度を保つためには、少量のサンプルを希釈せずに、直接扱うこ
とのできる方法が重要になります。
3. Point-of-care の診断
「診断は病院でしかできない」という今の医学は、「インターネットはネット
カフェにしかない」ことと同じです。医療関係者が、病院以外の場所でも診断
を行うことができるようになれば、医療はさらに便利なものになります。
4. オートメーション化された実験
計算に関しては、人間よりもコンピュータの方が得意であるように、プロトコー
ルが決まっている実験作業も、コンピュータ・ロボットに操作させた方が効率
がよいと考えられます。また、その方がコストが低く、作業時間も短くなりま
す。さらに、オートメーション化により、医療関係者以外の方でも、自分で簡
単に医学診断ができる日が来るかもしれません。
上記の1~3のポイントを可能にする技術として発展してきたのが、ナノ・マ
イクロテクノロジーの技術を駆使した、マイクロ流体工学(microfluidics)
です。この技術では、多くの場合、次のような小さなチップを使って目的の実
験を行います。
図1:microfluidicsチップの例
図1は、スタンフォード大生体医工学科のスティーヴン・クエイク(Stephen
Quake)教授が開発したチップです。図1で、右の透明なプラスチックがチッ
プで、その中に見える赤・緑・青等のラインは、マイクロ流路、またはマイク
ロチャンネルと呼ばれる細い管状の空間です。マイクロ流路は、中に液体を通
すことができます(通常は透明ですが、図では色水を使って、マイクロ流路を
見やすくしています)。液体は、チューブから供給されます。左にあるのは、
アメリカの1セントコイン(ペニー)で、これをチップと比較すると、チップ
がどれだけ小さいかが理解できます。では、このチップを用いると、どうして
上記の3つのポイントが可能になるのでしょうか?
A. ハイスループットな実験、ごく少量のサンプルを扱う実験
マイクロ流体工学では、小さなチップに何百、何千というマイクロ流路を敷き
詰め、その中の液体の流速や流量などを、シリンジポンプや空気タンクなどを
用いて、簡単にコントロールすることができます。これによって、ピペットで
は扱いにくい、ごく少量(ナノリットルやピコリットルスケール)のサンプル
を扱うこと、そして多数のサンプルを用いた実験を同時並行することが可能に
なります。
さらに、このようなハイスループットな実験により、多くのデータを取得し、
そしてバイオインフォマティクス(Bioinformatics)や計算生物学(Computa-
tional Biology)によって、そのデータを処理することで、従来の生物学では
得られなかった、新しい情報を得ることができます。たとえば、体液中・組織
中で発現している遺伝子を網羅的に調べることで、患者と健常者の遺伝子発現
の違いを明らかにし、病気のメカニズムを、遺伝子レベルで解明することがで
きます。また、多くの遺伝子やタンパク質間の関係を調べることで、「どうし
たら病気を治すことができるか」だけではなく、「どうしたら病気を事前に防
ぐことができるか」という、予防医学の観点を医療にもたらすことができます。
B. Point-of-care の診断
「チップの上で実験をする」という意味で、マイクロ流体チップは、Lab on a
Chip(=チップの上の研究室)と呼ばれることがあります。一つのチップの中
に、実験に必要なものが全て詰まっていれば、それを持ち歩くことで、どこで
も実験・診断をすることが可能になります。たとえば、国連がアフリカに医療
関係者を派遣し、各村の住民の医学診断を行うような場合、このようなチップ
があれば大変便利です。または国内の農村でも、このようなチップが役に立つ
でしょう。
C. オートメーション化された実験
コンピューターを用いて、チップ上のいろいろなスイッチを制御することで、
実験・診断の自動化が可能になります(チップ上のスイッチについては、次回
のエッセイでご紹介いたします)。実験はオートメーションにより、さらに正
確に、さらに速く(= high-thoughput)、そして(人件費がかからないので)
安く行うことができます。電気信号を扱う半導体のシリコンチップは、計算機
として大いに発展してきました。実際の物質(サンプル)を扱うマイクロ流体
チップは、生物学・医学・化学等の分野に、次なる革命をもたらすチップとな
りえます。
オートメーションのもう一つの利点は、ボタンを押せば誰でも使えることです。
製造コストを抑えることができれば、将来、洗濯機やテレビと同じ感覚で、自
宅に自動診断装置を一台置くことで、日常的に医学診断を自分で行うことが可
能になるかもしれません。
● 技術について
マイクロ流体チップは、主にソフトリソグラフィー(Soft Lithography)とい
う方法で作られています。チップを作るステップは二つあり、一つ目はチップ
の鋳型を作るステップ(図2)、二つ目が鋳型からチップそのものを作るステッ
プです(図3)。チップの素材としては、一般的に PDMS というポリマーが用
いられます。このポリマーは通気性が良い、コストが低い、加工が簡単などの
利点があります。また、このポリマーの加工のしやすさを利用して、チップ上
にバルブ(弁)やポンプを作ることが可能です。繰り返しになりますが、これ
らを含めて、次回のエッセイでは、チップの上に作ることができる、いろいろ
な面白いスイッチをご紹介したいと思います。
図2:マイクロ流体チップの鋳型の作り方(Positive Photoresist を用いた場合)
まずは、コンピュータを使って、マイクロチャンネルの二次元図を描きます。
これを印刷会社に送り、透明のプラスチックフィルムに印刷してもらいます(
これをマスクと言います)。マイクロ流路は黒く印刷されるので、その部分だ
けは光を通さないことになります。例として、三本のマイクロ流路を作る場合
を考えます(A)。次に、ポジティブ・フォトレジスト(Positive Photoresi-
st)と呼ばれる、光を当てることで性質が変わる液体を、シリコンウエハー
(平らなシリコンの円盤)の上に垂らします。そしてウエハーを回転させ、余
計なフォトレジストを落とします(B)。マイクロチャンネルが印刷されたマ
スクをウエハーの上にかぶせ、紫外線を当てます。すると、マイクロチャンネ
ルが描かれている部分だけ紫外線を通さず、ほかの部分のみ紫外線がポジティ
ブ・フォトレジストにあたり、その照射された部分が変性することになります
(C)。この後、ウエハーをデベロッパー(developer)と呼ばれる液体で処理
すると、紫外線に当たって変性したポジティブ・フォトレジストが剥がれ落ち、
マイクロチャンネルの形をしたポジティブ・フォトレジストのみが残ります
(D)。後はこのウエハーを焼き、その上に残ったポジティブ・フォトレジス
トを固定すれば、鋳型の完成です。
図3:マイクロ流体チップの作り方
鋳型を容器に入れ、PDMS (Polydimethylsiloxane) というポリマーを流し込み
ます(A)。PDMS はもともとは液体ですが、反応開始剤と混合し、熱すると固
体になります(B)。固まった PDMS をウエハーの鋳型からはがします。する
と、鋳型で飛び出た部分(マイクロ流路の部分)では、PDMS は凹んでいるこ
とになりますので、マイクロチャンネルの模様が PDMS にネガとして映ってい
ることになります(C)。これを扱いやすい大きさに切ります。最後に、切っ
た PDMS をスライドガラスに張ります。すると、PDMS とスライドガラスの間
の隙間がマイクロ流路になります(D)。マイクロ流路の幅や高さは、マスク
の分解度やphotoresist の性質によっては、1マイクロメートル以下、または
ナノスケールにまで小さくすることができますが、一般的なマイクロ流体チッ
プでは、数十から百マイクロメートルほどです。
● 今週のまとめ
生物実験を小さなチップ上で行う技術であるマイクロ流体工学の発達により、
少量のサンプルを迅速にテストすることが可能になった。マイクロ流体工学に
よる実験のハイスループット化やオートメーション化は、バイオ・医学・化学
等の分野に革命をもたらす可能性を秘めている。
今回のエッセイへのご意見は、こちらへどうぞ。
http://kagakusha.net/modules/weblog/details.php?blog_id=140
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自己紹介
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宋 云柯(そう うんか)
中国北京出身、6歳のときに来日。慶應志木高校、慶應義塾大学理工学部生命
情報学科卒業。現在は Johns Hopkins School of Medicine, Department of
Biomedical Engienering 博士課程2年目。主に Microfluidics, BioMEMS,
Single Molecule Detection に関する研究をしています。
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編集後記
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日本にいたときから、アメリカには中国人が多いときいていましたが、実際に
来てみると改めてその事実に驚愕します。科学雑誌 Science の調べによると、
卒業生のアメリカ大学院Ph.D.学位取得数のランキングは、(1)中国の清華
大学、(2)北京大学、(3)カルフォルニア大学バークレー校、(4)韓国
のソウル大学となっています。その調べを裏付けるように、実際、ホプキンス
医学研究科でも(1)ホプキンス学部卒48人、(2)清華大学33 人、(3)
台湾国立大学25人、(4)ソウル大学22人、(5)ペンシルバニア州立大19人、
(6)MIT18人・・・となっており、中国・台湾勢がかなりの割合をしめて
いることがわかります(日本人は1人、2人でした)。中国人はその数の多さゆ
え、どうしても自分たちでコミュニティーを作り、アメリカ人学生やその他の
国から来た留学生を遠ざけてしまっているように思います。文化背景の関係で、
中国人同士で話している方が面白いことは、私も実際に感じますが、もう少し
コミュニティーのバリアーを薄くし、ほかの国の人と溶け合ってみても面白い
のかな、と最近思っています。(宋)
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