【海外サイエンス・実況中継】北米ライフサイエンスの多様化

Post date: Jan 30, 2012 7:47:59 PM

「大学院留学を実現するためのノウハウ」の一環として、今回はライフサイエンスの領域

におけるプログラムの多様化・複合化について紹介したいと思います。

近年の科学の発展の1つの方向性として、Interdisciplinary あるいは

multidisciplinary と表現される、文字通り、異なる Discipline が交わる、あるいは複

数の Disciplines が組み合わさった領域の発展があげられます。ライフサイエンスの分

野ではその傾向が著しく、その一端である大学院プログラムの発展について紹介したい次

第です。

この文章は、来る3月に発刊予定である「理系大学院留学を実現する方法(仮)」に掲載

予定です。校正前の文章ですが、この時点でも読んでいただけたら幸いです。

大学院留学を目指す方のみならず、日米の違いのひとつとして挙げられることですので少

しでも参考にして頂ければ幸いです。

ご意見などございましたら、ぜひカガクシャ・ネットホームページ経由でもEメールでも

ご連絡ください。

(EMAIL:fumiaki.imamura [AT] hsph.harvard.edu)

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大学院留学を実現するためのノウハウ

北米ライフサイエンスにおける学際領域の発展

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近年、科学技術の向上が社会により高利的に還元されるよう、アメリカを含む多

くの国々で、異なる科学分野をまたがる交流を促す機運が高まっています。医学

においては、基礎研究から臨床、あるいは政策の橋渡しとなる、いわゆるトラン

スレーショナル・リサーチ(Translational Research)が国家規模で支援されて

います。ここでは、その流れについて紹介し、簡単に日米の比較をしたいと思い

ます。

科学技術のすさまじい発展は、先進国の生命科学のみならず、発展途上国への応

用ににまで及んでいます。そうした社会の流れ通り、アメリカの生命科学系の大

学院教育では、学生も研究者も、臨床や公衆衛生などが実践されている現場と非

常に関わりの深い研究を行えること、さらにそれに伴う多彩な知見を学ぶことが

できます。

科学の研究が、その質や科学的意義を保ちつつも早急に応用へと繋がるよう、教

育基盤が整えられつつあります。研究者同士が分野をまたいだ交流が盛んになる

ことは、その環境で学ぶ大学院生にとっては、学業や研究のみならず、将来を考

えても刺激的といえるでしょう。

トランスレーショナル・リサーチとは、基礎研究を臨床研究(Bench to

Bedside)に応用することを目指した領域です。現在では、基礎研究から臨床研

究への流れだけでなく、臨床の知見を基礎研究に(Bedside to Bench)、基礎研

究や臨床の流れを国民全体に(Bedside to bench to population)というように、

科学の広い展開が求められています。

そのニーズに根ざした学際プログラムとして、たとえば、医療工学における物理

学・人間工学の医療技術への応用(Biomedical Engineering など)、コンピュ

ーターサイエンスやナノテクノロジーの医療診断への応用(Bioinformatics な

ど)の領域を、MD/Ph.D. 課程や Ph.D. 課程を設ける大学院が近年増えてきてい

ます。

こうしたプログラムは生命科学系に限りませんが、 Interdisciplinary

Graduate Program(IGP)と呼ばれ、これらのプログラムを通して、学生は学際

領域を系統的に学ぶ機会を得ることができます。1つの研究に従事する中で、必

要性に応じて習熟するだけでなく、そのプログラムの中で、教授陣や学生と交流

を図る環境が整えられることは、価値のあることと言えるでしょう。

こうした潮流が生まれる背景には、アメリカ国立衛生研究所(NIH: National

Institute of Health)が、そうした研究や教育体制を支持していることが挙げ

られます(http://www.ctsaweb.org/)。

全米において、医療系の学術機関は、この流れに従うべく学際交流を盛んにし、

結果として、学生にとってはよりよい環境を作り上げています。すなわち、多く

の学術機関が、その流れに逆らわず共同戦線を組み、新しい研究を立ち上げ、政

府から資金援助を受け、相乗効果を汲み出すことに尽力しています。学会におい

ても、そうした交流が図られ、研究者が呼応し合い新たな可能性を探っています。

今後、科学の領域を行き来できるための専門性と独創性、さらに相互の理解や尊

重がさらに必要とされるでしょう。たとえトランスレーショナル・リサーチのた

めのプログラムではない、あるいは複合学部として課程を設けていない機関であ

ろうと、これからの研究者には、近年の応用科学の流れを理解し、展望を持つこ

とが求められているのは確かです。

また、NIH の支援する研究を含め、アメリカで行われる生命科学の応用研究は、

臨床現場に留まっているわけではありません。環境汚染に関する研究として、地

質学的な研究と人体への影響についての研究とが、同じ傘の下で行われ、教育が

それに伴います。

発展途上国において得られた生物学的な検体が、科学技術と数理統計の英知を駆

使した解析の対象となり、人種の違いと病理に関する科学に貢献します。こうし

た NIH など国の機関が支援する科学のアプローチが、教育現場にまで浸透し、

IGP を可能にするよりよい環境を作ります。

またプログラムを問わず、生命科学の教育現場を巻き込む人的交流の輪は、学術

領域に留まらず、企業や政府機関との関係にまで及んでいます。社会的な交流は、

研究グループの指揮官のみの話ではありません。博士号取得者の専門性や応用力

の価値が理解されているアメリカでは、大学院レベルの教育現場と企業や政府研

究機関の交流が盛んです。

それに伴って、生命科学系の大学院生を対象にした、短期のインターンシップや

ワークショップなどの機会が溢れています。それは研究者が用意した専門の学会

が主催するものや企業や政府の研究機関が扉を開いている機会などふんだんにあ

り、学生でありながら学術領域外にあたる研究やそのマネジメントに触れること

ができます。

こうした仕組みが、生命科学系の分野における、企業とアカデミアとの距離を縮

め、博士研究者を抱えこむ巨大なバイオインダストリーを培い、逆にバイオイン

ダストリーが教育現場を目に見える形で刺激しています。そして、研究成果を修

めることが求められる大学院課程とはいえ、そうした課外の交流が激励されるの

もアメリカの特徴といえるでしょう。

それでは、日本はどうでしょうか。

日本の教育現場でも、文部科学省が主導となり、大学院の教育改革が進められて

います。2007年にはグローバル Center of Excellence(COE)と題して、国際

的に活躍できる研究者を育てることを目的としたプログラムが設けられ、厳選さ

れた国公私立大学の研究施設が、そのプログラムに準じて教育現場を向上させて

います。

生命科学系の教育に限りませんが、文部科学省の公開するその予算額は、年間で

300億円を上回ります。アメリカのトランスレーショナル・リサーチの促進にか

けられる予算は、2010年に締め切られる公募で100億円相当となります。日本

における博士号取得者が定職に就けない余剰博士の社会問題を踏まえ、世界中か

ら研究者が集うアメリカの基盤や社会とのつながりを考えると、単純な比較はで

きませんが、現時点では日本が国家規模で、アメリカの研究者教育を、力強く追

従していると考えるのが妥当でしょう。

また、医学研究において日米の大きな違いの1つとして挙げられるのは、分野に

よるところもありますが、教育現場や基礎研究現場にも、医師や臨床心理士、薬

剤師など、臨床現場に近い専門家が従事していることが挙げられます。

アメリカでは、研究環境において現場を知る専門家が、積極的に教育や基礎研究

に従事し、基礎研究と応用研究との敷居が低くなり、さらに異分野の交流が成さ

れやすい環境ができあがっているといえるでしょう。

研究留学として、日本人の医師が基礎研究を学びに、あるいは基礎研究者が臨床

に近い基礎研究の応用機会を求めることは多くなりましたが、アメリカの特徴が

よく現れた傾向といえます。しかし、真にアメリカの仕組みの利点を最大限吸収

するには、大学院教育に身を投じることが必要なのは言うまでもありません。

最後に、アメリカでは、従来より、学術機関と政治や企業との人的交流が盛んな

ため、基礎研究と応用研究のむすびつきがスムーズで、科学が社会に貢献するこ

とが求められる現代に沿っているといえるでしょう。日本の科学も、社会の発展

を縁の下で支えるだけではなく、社会的、政治的に目に見える貢献をすることが

求められると考えられます。

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自己紹介

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今村文昭

上智大学理工学部化学科卒

コロンビア大学医学部栄養学科修士課程卒

タフツ大学 Friedman School of Nutrition Science and Policy 博士課程卒

ハーバード大学公衆衛生大学院疫学リサーチフェロー

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編集後記

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人工多能性幹細胞(Induced pluripotent stem cells、iPS細胞)の研究で、京都大学の

山中伸弥教授が、革新的な貢献をなさいましたが、その細胞学的な発見(2006年)か

ら、臨床に生かすまでに必要な研究の進展には日米の違いがあったという経緯があります。

Translational Researchを立ち上げて遂行するための基盤が、日米で異なることが明白に

なった良い例ではないでしょうか。

科学者としてのあり方は、個々の考えがあるかと思いますが、その多様な考え方を有する

科学者が協力し合い、基礎から応用まで、先進国から発展途上国まで、文化からテクノロ

ジーまで、科学が貢献し、公の皆さんが正しく評価できるよう情報が整理されればと思い

ます。言うは易しですが・・。(今村)