【研究者向け】第2回:科学英語に関する本と論文の紹介 by 今村文昭

Post date: Jan 30, 2012 7:16:31 PM

皆さんは、"The Elements of Style"という本をご存知でしょうか。とても読みやすく、日本でもアメリカでも人気のある本です。この本の初版は1918年と古いものなのですが、人気を落とさず、未だに高い評価を受けています。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Elements_of_Style

http://www.amazon.co.jp/dp/020530902X

http://www.amazon.com/dp/0205313426

ちなみに、Web上で読むことが可能です。

http://www.bartleby.com/141/index.html

http://www.crockford.com/wrrrld/style.html

科学英語を書くことは日本の科学者のみの難題ではないと認識し、学術雑誌を調べてみると、科学の世界でも、昔から科学英語について議論がされていることがわかります。その中から、1954年に有名な科学雑誌であるScienceに引用された文章を紹介したいと思います(Ernest J. Roscoe, On Scientific Writing, Science, 1954;119(3102):851)。科学者の書く英語の問題点として、皮肉ったものなのですが、原文の出典は不明です。おそらく19世紀の文章ですが、もともと出典不明で、Web上でも多く引用されている文章ですので、日本語で以下に意訳してみました。素人の訳ですし、この英文の本質を著しく損なっていると思いますのでご注意ください。

「若い筆者へのアドバイス

難解な考え、表面的で明白・軽薄な考え、そして、哲学的・心理学的な観察結果を伝える際には、平凡な内容なのに重苦しい表現になってしまうことを警戒すること。即席の主張をする際、また故意でなくとも言い訳をする際には、誇張や自嘲を含んだ爆弾発言は避け、解りやすさと潔さを持するように。多音節にする傾向、空虚な反復表現、意味深な冗長表現は、念を入れて避けること。多義表現や軽薄な冗談、曖昧であれ明白であれそれ自体が吐き気をもよおす膿みのような不快な表現は避けること。有名人を取り上げたり、大げさな言葉は避け、率直に、分別良く、誠実に述べるように。こうしたことの全ては、ディズレーリ(英国の政治家)のグラッドストン(同じく英国の政治家)への批判が思い起こされる。彼は溢れんばかりの多弁に酔いしれた凄腕の雄弁家であった。」

科学の国際化(英語化)が進む時代、ノーベル物理学賞(2003年)を受賞したDr. A. J. Leggettは、1967年に日本の物理学者に向けて科学英語に関する論文を投稿しました。日本語の特性を知った上で、英文の特徴を科学者が記述しているという稀な論文です。この論文は物理学者向けに書かれたもので、物理学表現の例が多いのですが、私は分野を問わず一読する価値はあるものと考えています。

Dr. Leggettは論文の導入部分において、Elegant(優雅な)な表現ではなく、Foolproof(誰でも無難に扱える)な表現を用いるようにと、簡潔さを求める必要性を述べています。また文章の理解にそれほど影響の無い(a, theなど)よりも、混乱・誤解を招きうる英単語の誤用や文章構成を重要視しています。この論文は、日米の論理構成の考え方の考察・紹介し、各論へと入っていくのですが、このコラムでは全部は紹介できませんので、今回はその論理学的な話(p791)に絞って紹介したいと思います。

Dr. Leggettは日米の論理構成の違いゆえ、日本語で上手に書ける人であっても、英語の論文を上手に書けるわけではないとさえ言っています。その構成の違いについて、次のように述べています。

(i)日本人の書く文章は、過去の研究内容を紹介し、あるいは異なる論理を複数紹介した後に、1つの論点にたどり着く構成を採りがちである。従って、最初から最後まで読んで、1つの骨子が理解できる文章が構成される。

(ii)一方、英語の科学論文では、一貫した仮説・論理が1つ存在し、それを支えるように比較・検討が成される。従って、1つ1つの文章・パラグラフが、既述された内容に従う構成が採られる。英語を母国語とする人は、後者(ii)の構成に慣れているために、(i)の構成の文章、(i)と(ii)が混ざった文章は、理解し難いものと感じる。

いかがでしょうか。全く同様のことが、Inter-biotecという生命科学分野で執筆をサービスとする機関により紹介されています。そのInter -biotecのWriting Courseで紹介されいてる論理構成に関する指針を参考に、1つの質問を考えてみました。皆さんは、研究論文のDiscussion Sectionの構成について、次の2つのうちどちらを考えていますか?

1.研究成果を簡単にまとめて、それについて論述し、

そして過去の研究論文と比較・検討する。

2.過去の研究論文を整理・紹介した後に、

自分の研究と比較し結論を導いていく。

Inter-biotecのWriting CourseにおけるDiscussion Sectionの紹介によると、日本人は2の構成をとる傾向があるようです。

Dr. LeggettとInter-biotecが記述によると、日本人は徐々に徐々に核心に迫っていく論述方法を採るようですが、そうではなく核心を軸にそれに従って話を進めていくのが定石のようです。私は、これはパラグラフ1つについても言えることと考えています。英文のパラグラフは、トピックセンテンスと称される1つの文を核として、それに続く文章がそのトピックセンテンスを肉付けするべく導入されていくからです。

こうした日本人科学者の論述方法について、Dr. Leggettは、"Never Allowed in English"と強い語調で批判しています。これは、徐々に核心に迫っていく文章の流れは、考え方が不安定であるという、科学者としてあるまじき姿勢をさらけ出していることに他ならないからではないでしょうか。

Dr. Leggettはpsycho-analysisやanalytic philosophy(分析哲学)にも通じており、彼自身、その知見が理論的なものの見方を支えていると述べています。Dr. Leggettは、彼自身の理論の捉え方の軸が揺るがないために、論文の執筆について然るべき流れを論述できたのでしょう。論文の執筆の経験を重ねていく中で、論理的な文章構成とその考え方を、より磨いて行けたら良いですね。