【海外サイエンス実況中継・特別号】大学院留学:企業で働いた経験を生かしてアメリカの博士課程へ

Post date: Jan 09, 2012 5:15:46 PM

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_/ 『海外の大学院留学生たちが送る!サイエンス・実況中継』

_/ May 2007 Vol 8 No 2

_/ カガクシャ・ネットワーク → http://kagakusha.net/

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今週は、なぜアメリカの大学院を選んだか,の特別号です。植物病理学を

研究する杉尾明子さんが,先週に引き続き執筆してくれます。もともとは

アメリカよりイギリスでの留学に憧れていた、杉尾さん。なぜ最終的に

アメリカの大学院を選んだのでしょうか?ちなみに、博士号取得後はポス

ドクとして、イギリスでの留学を実現されています。

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なぜ日本でなくアメリカの大学院を選んだのか?

杉尾 明子

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アメリカの大学院を選んだ理由は、主に二つあります。第一に経済的な

理由、次に実践的な英語の習得のためです。その他にも、アメリカ行き、

そして博士課程行きを、少しずつではあっても方向付けていくこととなった

様々なことがあるので、修士課程から留学までの数年間を記してみたいと思

います。

私は日本で修士課程を卒業後、二年間民間の企業で研究員として働いてから、

アメリカで博士課程に進みました。修士課程の一年目でその後の進路を決め

るのが普通でしたが、この時点では博士課程に進むことには踏み切れません

でした。博士号取得後の進路があまり明るく思えなかったからです。2?3

年契約でポスドクとして深夜まで働いて、先行き不明な生活を強いられても

気にならないというほどには、研究に興味を持っていなかったためです。

博士課程に行こうかどうか少し悩んだ時期に、隣の研究室の助手の方が

(男性です)、「女の子はね、20代のうちにお金を稼いで、買い物をしたり

おしゃれをして人生を楽しみなさい。その後どうしても勉強したければ大学

に戻ってくればいいんだから。」と言ってくださったのが、修士課程終了後

の就職を選ぶ言葉となりました。私はこの一言に本当に感謝しています。

修士課程終了後、私は海外に本社のあるメーカーの日本支社の研究開発部門

で働くことになりました。私は学部時代からこの会社にとても強く憧れて

おり、就職が決まったときは本当に天にも上る気持ちでした。そして、実に

たくさんのことを学ばせてもらいました。この会社で働いたことが、この後

アメリカに留学をする最初のステップとなりました。

会社では大学の研究室と異なり、研究の方向性やその結果が社会とつながっ

ているのが、とても刺激的で楽しかったです。また、研究にお金をかけて

いるという意識から、研究結果や試料の管理が体系的になされていて、たい

へん勉強になりました。さらに、会社の一員として学会に行ったり、外部の

人と会うのもとても興味深い経験でした。会社の名前を背負うと、ただの

修士卒のお子様ではなく、もう少し丁寧に、または興味を持って、一人前の

人間として扱ってもらえるような気がしました(もちろん半人前にも満た

ない新人研究員でしたが)。今思えば、会社のような組織というのはその名

に力があって、ただの若者にも社会を別の側面から見たり、なかなか会う

こともままならないような人と、話をする機会を持つチャンスを与えてくれ

るものだと思います。

この会社で働いて、また、勤務時間外に遊ぶだけ遊んで、いくつか考えた

ことがありました。ひとつには、実験材料は異なっても長い目で見ると私が

担当できる実験というのは同じことの繰り返しであり、定年までそれを繰り

返していくのは退屈かもしれないということ。会社の研究開発とはある部分

(全てではないけれども)、必要を作り出していくものであること(無くて

もそれほど困らない、というものでも必要性を編み出して、たくさん買って

もらわなくてはならない)。さらに、会社で働いていれば、とりあえず安定

は得られると思っていましたが、会社の再編成で数人が解雇されて、安定

ですらないということを思い知らされました。

そういうことなら、将来的に不安定であっても自分のやりたい研究テーマを

選び、多少なりとも世の中の役に立つような研究をできたら、もう少しハッ

ピーで満ち足りた老後を過ごせるんじゃないだろうか、と思うようになりま

した。一研究者として働いて研究結果が世のため人のためになるほどの能力

が自分にあるかは疑問でしたが(もちろん今でも疑問です)、きちんと学位

を得て、研究を積み重ねていくことで、自分の後から来る若い人の教育や、

科学とは無縁の人とのコミュニケーションにも役に立つことができるのでは

ないか、といった考えをもちました。そこで、もう一度大学に戻って、学位

を取得して、少なくとも研究者として一人前になって出直したいと考えまし

た。植物病理学を選んだのは、農業の役に立てると思ったことと、植物と

微生物の戦争を研究するのは、まるでスターウォーズを観るようで、とても

おもしろそうだと思ったためです。

留学を考えたのは、第一にアメリカの大学院では、スタイペンドと呼ばれる

いわゆるお給料がもらえて、学生が親のすねをかじらずに勉強ができると

知ったからです。私は修士課程の2年間に、育英会(現・日本学生支援機構)

から200万円を借りていたので、アメリカの大学院は経済面でとても魅力

的でした。実は文化的な面で、アメリカよりイギリスに行くことに憧れたの

ですが、イギリスの大学院に外国人として入学してさらにお金をもらうのは

難しいこと、アメリカの大学院では授業をとることが必須のため、新しい

分野(植物病理学)を一から学ぶにはアメリカのほうが勉強しやすい(勉強

しなくてはいけない環境におかれる)、との情報を得て、結局アメリカの

大学院を目標としました。

次に英語の面ですが、研究をして、その結果を世界の研究者に報告したり、

海外の研究室と共同研究をしていくためには、英語の読み書きと会話の力が

必要です。私が働いていたのは外資系の会社であるため、英語で研究結果の

発表をする必要があり、会社のお金で英語を勉強させてくれましたが、私の

英語力はあまり改善されず、歯がゆい思いをしました。留学でもして、毎日

英語で生活をしていたら、すぐに(あまり努力をせずに)英語がうまくなる

んだろうかと思いました。そのため、アメリカの大学院で勉強することは

英語をマスターする手っ取り早い方法に思えました。

この二つの理由から、私はアメリカの大学院に進みました。幸運にも、私は

スタイペンドに加えていくつかの奨学金をもらえたので、4年間アメリカで

大学院生として過ごして、結局貯金ができました。英語力もそれなりに上達

したので、この二つの面では期待したとおりで満足しています。また、アメ

リカの大学院ではたくさんの授業を取ることが必要なため、私にとって新し

い分野である植物病理学を基礎から幅広く学ぶことができたので、大変でし

たが、最終的にはとてもよかったです。生物学の英語の専門用語も自然に

覚えることができました。

その他に、留学前には考えなかったようないい経験ができました。まず、

アメリカには世界各国から留学生が集まっているので、いろいろな国から

きた友達ができ、異なる国の文化や価値観を学べたのが楽しく、貴重な経験

になりました。同時に、いろいろな国から来た人のなまりのある英語にも

慣れ、理解できるようになったことも、今後、国際学会などで役に立つので

はないかと思います。

今、イギリスで働き始めて、同じ研究室にいる博士課程の学生と話してみる

と、彼らは自分の担当しているプロジェクトについて、また基礎的な生物学

については深い知識があるのですが、最近話題になっている論文とかラボに

ついてはあまり知識がないように思います。それほどたくさんのイギリス人

学生と話したわけではないので、結論をここで下したくはないのですが、

アメリカのように大学院で授業が必須な場合、ほとんどの学生がそれなりの

知識を得て卒業できます。しかし、日本やイギリスのように研究に専念する

博士課程の場合、一部の学生は自分できちんと勉強を重ねて幅広く知識を身

につけることができるけれど、多くの学生は、日々の実験と自分のプロジェ

クトに関する勉強だけで終わってしまう傾向にあるように思えます。

どの程度勉強するか(論文を読むか)どうかは、ボスやラボの面倒見のよさ

にもよりますが、私は実験にほとんどの時間をささげてしまう傾向があるの

で、アメリカで半ば強制的に授業を受け、テスト勉強やレポート作成を通じ

て、記憶に残るような勉強をすることができてよかったと思っています。

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自己紹介

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杉尾 明子

東京工業大学生命理工学研究科修士課程卒、産業用酵素のメーカーで研究員

として働いた後、2001年に渡米。2005年カンザス州立大学植物病理学部で

Ph.D.取得。2006年からマリーキュリーフェローシップを得てイギリス・

ジョンイネスセンターでポスドク中。最近、次のポスドク先を探し始めた

ところ。

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編集後記

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イギリスではアメリカに比べて環境や食品の安全性に対する関心が高く、

ベジタリアンやベガン(動物由来の食品を一切食べない人たち)の人もたく

さんいます。「どうしてあなたはベジタリアンなの?」と質問すると、たい

てい、「動物を殺すのがかわいそうだから」という答えが返ってきます。

そんなわけで、オーガニック食品にも関心が高く、遺伝子組み換え植物には

風当たりが強いです。また、いまだに「遺伝子組み換え植物はフランケン

シュタインのようで恐ろしいものだ」と考える人も多く、植物を研究し、

遺伝子組み換え植物の可能性を信じている身としては苛立たしく思うこと

も多いです。日本でも、一般には遺伝子組み換えを嫌う風潮がありますね。

遺伝子組み換え技術を使うことによって、これまで人間が長い年月をかけて

行ってきた植物の交配、変異の導入、そして優れた品種の選択をスピード

アップさせることができます。近代農業は農薬の散布や単一植物栽培で環境

に負荷をかけますが、農薬使用量が低くても害虫に負けずに育つ遺伝子組み

換え品種や、収穫量の多い品種を使うことで、環境負荷を低減することも

できます。遺伝子組み換え作物は、増え続ける地球の人口を支え続けるため

の、ひとつの解決策となり得るのです。

「未知の物への不安」を拭い去るためにも、遺伝子組み換え技術について、

一般の人に対しての知識の伝達が必要だと思っています。

(杉尾)

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