<風疫・水疫>怖れた証し

「私の視点−国宝・合掌土偶 7」

「<風疫・水疫>怖れた証し」

豊島重之(モレキュラーシアター演出家)

時に人類は途方もないことをやってのける。天をも突き抜けるバベルの塔の建設。神の怒りの鉄槌(てっつい)で、塔は根こそぎ破壊され、同時に人類は世界共通言語を失い離散する。

この旧約聖書のエピソードは、現在も引き続くグローバルな災厄・戦争・恐怖に囚(とら)われた人類の慢心を戒めるとともに、多文化・多言語・多民族の起 源、いわば翻訳の起源と翻訳不可能性の起源をも表している。作家カフカは、塔ではなくてバベルの井戸にすればよかったのに、と壮大なユーモアで応じたとい う。それが現実にあったとは!

3月15日の本紙5面のトップ記事。人類が農耕・牧畜で定住化を始めた9千年前の北メソポタミア最古のテル・セク ル・アルアヘイマル遺跡。直径2・5メートル、深さ4メートルの浄水井戸がシリアのイラク国境ハサカで発掘された。9千年前の女性土偶も出土した。井戸の 底部には、浄水祈願の円状配石遺構も認められた。思うに浄水井戸も女性土偶も、定住化の大敵たる〈風疫・水疫〉、いわば疫病と離散を怖(おそ)れた証しだ ろう。

亀ケ岡の遮光器土偶や三内丸山の板状土偶もまた女性の出産を、その畏怖(いふ)と歓喜を象形したものとされる。その最たるものが、私たちの住む是川中居の縄文晩期の高度な芸術的達成、ことに蛇行する新井田川を挟むその対岸、縄文後期の風張1出土の合掌土偶である。

亀ケ岡や丸山が字義通り墓所のことだとして、それ以上に〈風が張る〉プラトー=舌状台地とは、なんとも不穏な地名ではあるまいか。遠くシリアのバベルの井戸と同様、縄文時代が、外部なき平穏な無階層社会であるはずがないではないか。

もとより多産と豊穣(ほうじょう)は、死産と飢餓に紙一重の危機的な徴候である。合掌はその〈喪の挙措〉であり、しかも未知の外来者との交易を失わずにその地に定住できるかどうか、〈風疫・水疫〉を避けるべくひたすら合掌するほかなかった。

尤(もっと)も、張り渡された棒か縄を両手で握りしめた座産の過酷な実相を、合掌の形姿と見誤っただけかもしれない。カサハリ土偶もハサカ土偶も、何千年もかけてミミズが掘り巡らした〈イド=無意識の地層〉に仮睡していただけなのだ。

ミミズにも縄張りがあるにせよ、人類の遺産はこの地だけのものではない。はるか北メソポタミアの井戸とその原記憶を分有しているとしたら。時に人類は途方もないことをやってのける。

(初出:「デーリー東北紙」/2009年6月11日掲載(見出しは編集部による)