フィルミスト:アルトー

フィルミスト:アルトー

filmiste:Artaud

豊島重之

(1)

デメンチア・プレコックス=早発性痴呆とは統合失調症の旧名[*1]だが、こともあろうに揺籃期の映画をセニリア・プレコックス=早発性老衰と呼んだのは、ほかならぬアントナン・アルトーである。いわく、映画は「現実を層化するだけの、生気をなくした、断片的な把握にとどまる、輪切りにされた、見せかけの世界」であり、「閉ざされた振動の世界、それ自体で充実したり栄養を補給したりする能力のない世界」なのだ。早発性老衰という形容矛盾のオキシモロン=逆喩はそうした映画への弾劾にもちだされたのだが、それだけにその同じ語が、映画の本性に対する破格の肯定力をも示しているとしたら興味深い。

生まれたての嬰児が皺くちゃの老人みたいだ、といえばオキシモロンでも何でもなく、ふだん誰もが目にする生理的な事態である。やがて顔面や体表の皺があたかも脳皮質の皺に移しかえられていくように、映画もまた成長していく、と思ったら大間違いだとアルトーはいう。そうして再び脳皮質の皺が顔面や体表に戻りはじめるように、映画もまたデメンチア・セニリス=老衰性痴呆といった生理的(その実、ソシオポリティカルな)事態を迎える、とは決して考えないどころか、そんな悠長な末路を映画に許さない。ダメだとしたら、はなからダメなのだ。

アルトーにとって映画は誕生とともに完成しており、生まれたての嬰児は脳皮質まで皺くちゃの老人そのものである。早発性老衰を奇病だとすれば(事実、そうした症例[*2]は少なくないし、今後ぞくぞく出てくるだろうが)、映画こそ奇病にほかならない。それをアルトーは他の芸術にはない映画固有の感電力、脳の灰白質に直接作用する速効性の劇薬、オニリック=夢幻的な波動と呼ぶ。それ以外に何を付け加える必要があろうか。トーキーだのカラーだの立体映画だの種々の特殊効果だの、あるいはコンピュータを駆使して開発される将来のどんな新機軸でさえも、映画の本性を忘れさせる手のこんだまやかしか単なる蛇足でしかあるまい。すでに何百年にもわたるレンズ・フィルム・動力・装置の考案や実験、その前提たる遠近法の発明、すなわちドゥブル=分身とアフェクト=情動の地政学を、無数の襞に深く刻みこんだその上で、いわば最終形態としての映画が登場したのである。

「映画は価値のトタール=全的な逆転、視点と遠近法と論理のアンテグラル=完全な転覆を引き起こす。」

逆転とか転覆に必要以上にスキャンダラスな反時代性を強調してはなるまい。それは潜象が現象化する時のドラスティックな全面性の様態をさしているからだ。いっさいの歴史性を根絶やしにするようにして映画は出来した、と言いかえてもよい。ドゥブルとアフェクトをその「誕生と出現の領域に、その俊敏さのまま、とどめておく」こと。映画の最終性。しかしそうすることがどれほど至難のわざであるか、セニリア・プレコックスなる奇病が召喚されるわけもそこにある。

トタール=アンテグラルもまた、いわゆる全体性や完全性、部分の無限集積や弁証法的な統合をさすのではなく、あくまで映画の最終性=全面性=下方性として、つまり本来的な意味でのカタストロフィズムとして読みかえるべきだろう。すなわちギリシャ悲劇成立以前の祭祀劇におけるコロスの唱法=楽節、ストロフィ=左方旋回とそれに応答するアンチストロフィ=右方旋回、それが同時に全面展開するカタストロフィ。元々は破局的・災厄的な意味あいは少しもなく、単に唱法上の、構図通りの大団円だったのである。そこにアポストロフィ=頓呼法[*3]、すなわち「亡者よ、王たちよ」ならぬ「フィルムよ」という、呼びかけの楔が撃ちこまれるまでは。

(2)

1920年代アルトーといえば、リヴィエールとの往復書簡をはじめ詩と評論の出版、シュルレアリストとの訣別やジャリ劇場の創設と解体がどうしても耳目をさらいがちだけれど、一方で映画をめぐるいくつかのエッセイを書き散らしていて、むしろそこにこそ20年代アルトーが屹立していると私には思えてならない。二十本もの映画俳優、『十八秒』などのシナリオ作家、実現していたら映画監督までやっていたにちがいない短編映画会社構想、誰よりも先がけて映画を顕揚し、その限界を剔刔(てっけつ)し、やがて放棄を言明する十年間の映画論――さしづめシネアスト・アルトー。いや私ならフィルミスト・アルトー/“皮膜の人”アルトーと呼びたいところだ[*4]。それは次の一節をどう読むかに由来する。

「映画では、私たちはみな[ ]であり、そして残酷なのだ。」

演劇俳優として注目されだしたばかりのアルトーは、まだ映画の現場には参入していなかった1923年、はからずも演劇と映画をめぐる二つのアンケートに回答している。戯曲や演出の分析や洞察に隷属する“演劇の再演劇化”批判に終始する前者の回答では、ただ一言「演劇の外で思考せよ」という声を聴きとるだけでよい。その声が後者の回答の中の前述した一節にまっすぐ響いているからである。ちなみに[ ]は原文ママ。「であり、そして」とある以上、[ ]の中は一旦は書かれ、そして消され、そのまま留保を強いられたことを示している。

なぜ消されたか。その語のチョイスには、アルトーならではの残酷のアフェクトに匹敵するだけの強度が要請されたからだろう。しかもそれは演劇の“外”でなくてはならない。言ってみれば「映画の感電力を中和してはばからぬ演劇の主題群など願い下げだ、さなきだに、演劇にはもう十分裏切られてきたのだから」――これがこの一節を覆うクライメート=空模様なのである。

「映画では、私たちはみなイマージュであり、そして残酷なのだ。」

この一節に続けて「そのリズム、速度、生活からの隔たり、幻想的な面が、あらゆる要素の厳密な選別と本質化を要求する」とあることから第一に考えられるチョイスである。反面、映画だからイマージュというのも単線的で、かつイマージュの振幅を限定しなければ誤解を招きかねない。厳密化と本質化とはそこをさしている。この一文ではそれ以上ふれていないが、その後、アルトーはイマージュについて次々と書き継ぐことになる。

「イマージュそれ自体の内的意味作用」(彼にとってこの“内的”はほとんど全的と同義である)とか「イマージュはイマージュとして生まれ、相互に導き出され、いかなる抽象よりも鋭い客観的総合をはっきりと差し出し、誰にも何にも何も求めない世界を創造する」(この“総合”が前段の下方性=全面性の謂であり、この“世界”が完全=最終性をパラフレーズしている)、さらには「映画の図像は最終的で決定的だということ、イマージュを提示する前のふるい分けや選択は許すが、イマージュの作用=アクシヨンが変化したり乗り越えられたりすることは禁じている」(映画の限界のこうした指摘は“残酷”の作用力に翻るはずだ)とか「イマージュが消えようとする時に、思ってもみなかったあれこれの細部が奇妙な力強さをもって燃え上がり、求めていた印象を裏切ってしまう」――こうしてイマージュとクリュオテ=残酷が身を切るようにして互いの断面を近接させていくのだが、むろん1923年の段階では真っ先にイマージュと言い切ってしまうことに意味があった。それをただちに消去してしまったのは、イマージュをめぐる地政学をかきわけてそこに亀裂を入れようと思ったからにちがいない。

(3)

「映画では、私たちはみな記号=出来事であり、非在=ゴーストであり、そして残酷なのだ。」

翌年には映画俳優としてデビューすることになるアルトーにとって、演劇俳優との絶対的差異は急務以上のものがある。舞台上では俳優はたった一人であっても全体の一要素に過ぎず、それゆえ物語上の出来事や精神分析的な符牒に回収されがちな、イマージュの媒介性を命運づけられている。それがスクリーン上ではイマージュの物質性へと次元が切りかわるのだ。〈物質-イマージュ〉としての反復を余儀なくされながら「繰り返し変身しつつ、一人でありながら絶えず異なるあり方/幽霊めいたきらめき」を発せずにはおかない。ベンヤミンのいう“俳優の身ぶりの変容/生身の身体のアウラの消滅”[*5]など意に介さず、むしろアルトーは〈複製のアウラ/反復のゴースト〉にこそ自重を傾けていたのである。

この一節の後段に「映画では、俳優は生きた記号にほかならない。俳優だけで、まるごと一つの舞台であり、作者の思想であり、一連の出来事になる。彼らは前面にいるが誰の邪魔にもならない。だから彼らは存在していないのだ。したがって、もう何も作品と私たちのあいだに入ってこない」とあるのはこうした消息を伝えるものだ。端的にいえば、俳優は映写幕の光の“しみ”[*6]であり、観客は網膜の光の“しみ”以外ではなく、そして文字通り、幕=膜となる面妖な出来事こそ映画の本性であって、それを残酷と呼ぶことはできても、単にイマージュ=非在が残酷なわけではない。そのあたりに[  ]のまま放置してしまった経緯をうかがうことができる。

「映画では、私たちはみなトタール=全的であり、アンテグラル=完全であり、そして残酷なのだ。」

単に論理的に明晰なのではなく、直感的に明晰であるとはどういうことか。しばしばアルトーは映画を言語=明晰になぞらえ、そこに映画固有の素材の力能=情動をひきあわせる。一方で抽象性を排し、他方できわめて抽象度の高い用法を駆使する。書記言語に翻訳可能な視覚言語や象徴言語を排し、映画は直接性の言語、速度の言語、素材を振動・昂揚させた“事物の皮膚の言語”だという。素材面に見出されるのはまたしても翻訳不能な明晰というオキシモロンなのだ。映画の生地(きじ)であるそのプラージュ=光面を、死地とすれすれに隣りあわせた映画の生地(せいち)を、本性上、映画自身はついに知りえないからである。映画は速度であり、私たちはみな速度となる。全体を知るようにではなく“全的に知る”、一気に完全に直感的に、知らぬまに明晰に達している。「そして残酷なのだ。」

しかもそれは映画の無意識とか深層の出来事などではなく、あくまで素材面上の、「カメラの周りには詩と生きた波動があったが、フィルムからは詩が失せ、永久に固定された死んだ波動しか見あたらない」、まさにそのような死地にこそかえって見出しうるものだ。いわば映画の下方とは、完膚なきまでの破綻としてしか可視化されえぬ事物の皮膚、つまりフィルムの膜面の起伏や汚濁、剥離や裂傷やパーフォレーションの補修痕のことである。網膜や映写幕の生地面もしかり。フィルムには薄皮・薄膜のほかに、汚濁や曇天やかすみ目の意味があることを想起させたのは、吉増剛造の詩篇『不揃いの、フリム、光が』[*7]であった。フリムとは韓国語で曇り濁りを意味する。こうした下方性なくして、映画は幕=膜というトタール=アンテグラルな出来事たりえない。とすれば――。

「映画では、私たちはみな[ ]であり、そして残酷なのだ。」

どういうことか。[ ]はブレィス=括弧を意味する。とともに一対の共振するフィーブル=神経繊維、二枚あわせのメンブレィン=薄膜[*8]とみえなくもない。ブレィスにも形状通りの支索や張り、太鼓や筝の締め糸、犬のつがい等の意味があって、しかも筝の絃に張りを与える柱(じ)、いわゆる駒=木舞(こま)がフィルムの齣=小間(コマ)や読点のコンマ(その位置によってはアポストロフィ=省略・蒸発)と同音なのだ。つまりどういうことか。私たちはみな消去されたまま放置されているということなのか。そうではなく括弧に入れられたのでも括弧を外されたのでもなく、それ自身“括弧である”というからには、やはり私たちはみな二枚あわせのフィルム、光面から剥がれた切片、高速で振顫するため、かえってその粗々(あらあら)しい肌理をさらけだす切片ではないのか。

「映画では、私たちはみな[ ]であり、そして残酷なのだ。」この一節を正確にリライトした一節が後続するエッセイの中にかいまみえる。「感じとれないほど微かなある実質の全体が具体化し、光に到達しようとしている。」

(4)

アルトーは演劇に裏切られただけでなく映画にも裏切られる。1927年のシナリオ『貝殻と牧師』の序文『映画と現実』はその裏切りに抗して書かれたという消息をこえて、映画史的切断の閃光を今なお放ちつづけている。その一節に視覚的映画ではなく「目のために作られた」映画、「眼差しの実質そのものの中から取り出された」映画を提唱している。むろんアルトーの意図は果たされず『貝殻と牧師』はみごとにヴィジュアルな純粋映画(!)に変じてしまった。

  1964年、忽然と“目の映画”が出現する。サミュエル・ベケット唯一の映画『フィルム』がそれだ。アルトーは“目の映画”の片鱗を初期バスター・キートンの映画に見出していたが、奇しくもこの『フィルム』の主人公=オブジェクトOに晩年のキートンが扮している。筋書きは街路・階段・私室へと、Oの背後からカメラアイEがひたすら追跡するだけの映画である。私室がチェンバーやカンマーの語源“カメーラ”であるのに留意すれば、EがOのカメリエ/カメリスト=小間づかい/齣づかいだということは容易に想像がつく。それがどんなに陰湿な監視や検閲にみえようと、Eは一定の執務をただ忠実にこなしているだけである。但しこのカメリエには足がない![*9]

たえずOはEに顔を見られまいとし、肩ごしにEはOの正面に回りこもうとして、そこに四六度という絶妙のアングルが生まれる。見えそうで見えないのが四五度なら、ほんの僅かでも見えはじめるのが四六度であり、それゆえに見られまいとするOの身ぶりも加速するのだ。むろんベケットはそれをシナリオに厳密に指定している。四六とはデュシャン『アンフラ=下方・マンス=薄い』メモの枚数でもあるが、それが前段の“下方性のフィルム”に通気するとしても驚くにはあたらない。

一口にいえば『フィルム』は、映画の撮影そのものを映写時に全面化してみせる“撮影の映画”なのだ。Eのレベルにはあった残酷な何ものかが、Oのレベルでも失われることなくトタールに再生される映画。それこそアルトーの真意であり、それをベケットはレアリゼ=実現ではなく、アクチュアリゼ=現働化したことになる。アルトーは映画の早発性老衰の一徴候としてトーキーにおける当てレコ=アフレコを挙げ、画面の口と合わない「tutu」といったグロッソラリー=舌語[*10]めいた奇っ怪な音声にふれているが、その点ではベケットもまた異様である。サイレント映画『フィルム』における唯一の音声が、「sssh!」つまり「サイレント!」なのだ。

同じことが目についてもいえる。冒頭の片目のアップ。キートンの皺だらけの瞼が重い鉄扉さながら閉ざされる。そうしてこの映画は始まる。この目はOなのかEなのか。右目なのか左目なのか。それはラストまで分からない。しかしこの映画は終わったものとして始まっていることだけは確かだ。あたかもアルトーの『十八秒』が十八秒を刻み終えてから始まったように。最終映画、もしくは、また終わるために[*11]。ともかくOはEに強いられるように、犬の目だの神の目だの鏡面や水面だの、いわば目という目を駆逐して七枚の写真を手にする。六ヶ月の嬰児から三十歳の現在までのOのスナップ。Eは初めてOの顔を捉えた、七枚目のフィルムとして。私たちもまたOが左目に黒の眼帯をしていることを初めて知らされる。むろんOは七枚とも破りすてる。

そうして初めて、EとOが正面きって向かいあう。もはや妨げるものは何もないカメーラ・ルシーダ=明白さの玄室で[*12]。戦慄とも憐憫ともつかぬ(アキュート・インテントネス=呆気にとられてカッと見開かれた)Oの右目。Oの字形同然にパックリ開いた口、黒い眼帯の奥の左目のようなその黒々とした穴。それこそEの左目である。とすれば冒頭の片目はEの右目であろう。『フィルム』は右目から左目までの映画なのだ。

ならば、こうも言える。そもそもなぜ眼帯なのかと。それが見ることの不能を担うことで、明き目のほうに“見ないことの不能”を否応もなく強いるからである。眼帯は世界の半分しか見ない、見えない、見せないということではなく、世界の遠近法/世界という遠近法を根底から狂わせてしまうパララックス=視差の失効をさしている。

このトタールな錯乱をベケットは、デッド・ストレート=一本道[*13]とシナリオの書き出しに明示したのではなかったか。のみならず映画の冒頭で閉ざされた片目は、眼帯を装着したカメラアイつまりはEの左目のことではなかったか。とりもなおさず私たちはこの映画を、眼帯を通して見ていたことになるのだ。これを単に、見ることの不能において、いわば盲目性において見ていた、などと即断してはなるまい。

事態はさらに急転している。私たちは一対のフィーブル=神経/繊維、二張りのフィルム=皮膜/戦意だったはずだ。もはやオブジェクトOとカメラアイEのドゥブルに張りめぐらされた視線の権力は、次々とアポストロフィ(脱落・卒倒・シンコープ=語からの音の消失)を浴びて一掃され、O=EどころかŒという全的なドゥブルに転じている。一つのテクストを英語とフランス語で二度書きするのを常としたベケットならではの、フランス語で目を意味するウィユのŒ。

言いかえれば、何も見ない何物をも映しだすことのない網膜面にひりつくように直接したアイパッチの裏地、私たちはその幕面と同化したのだ。あるいは、室内の薄汚れた壁の皺だらけの地肌や窓を塞いだボロ雑巾同然のカーテン地にも似た、眼帯の裏地のマテリア[*14]を私たちは見せられていたに等しい。

その意味で『フィルム』は見ることの不能をまるごと“見ないことの不能”に全面転回した映画であり、そう言ってよければアンプヴワール=不-能力を“アンプヴワール=不能-力” [*15]に険しく鍛造した映画であって、アルトー提起の“目の映画”だと述べたわけもそこにある。

(5)

断るまでもなく、南仏のルシヨンからベケットが、ロデーズからアルトーがパリ帰還を果たした1946年5月という日付、それ以外に両者を結ぶどんな交点もありはしない。けれどその後の22ヶ月、ラジオにおける吃語と脱語に満ちたグロッソラリー=異音、デッサンにおけるペスト痕めいた点刻や焦げ穴、ゴッホのタッシュ=筆触にダッシュとコンマとアポストロフィの描法を見抜いた晩期アルトーと、20年代初期アルトーを抜きさしがたく切り結ぶのが、意外にも映画=フィルムであった、そうは言えないだろうか。

『フィルム』は視線と権力をめぐる「法」のカタストロフィズムから、眼球と皮膜をめぐる「呆=HO」のアポストロフィズムまでを一挙に踏破する。アルトーが映画への弾劾につかった「閉ざされた振動の世界」がそのままここに蘇生しているのだ。ほかならぬ[ ]が。

「映画は生と別れるのではなく、いわば事物の根源的な配置を再び見出すのだ。」とは『フィルム』にさしむけられた言葉だったにちがいない[*16]。

採録承諾者註[*]

(1)

[*1] 初出当時は「精神分裂病の旧名」。2002年「精神保健福祉法・改正」等により「統合失調症」と改称され、現在その表記を義務づけられている。早発性「痴呆」もまた、現在は「認知症」と表記しなくてはならないが、初期アルトーが活躍した1920年代の歴史的医学史的呼称として、初出時のままで通した。

ただし、改称により疾患の実態が一変したわけでも罹患者が漸減したわけでもなく、改称以前も以降も「医原病」は延命していると、自戒をこめて述べておきたい。しかも「integrity=統合」が失調すると困るのは、個々人であるより国民国家統合を推進する勢力のほうではなかろうか。個々人を襲う「dis-integrity=不統合」を“生きがたく”させている実態から言えば、百歩譲って私なら「不統合失調症」と呼びたいところだ。

後述されるごとく、アルトーは「intégral(アンテグラル)=統合」なるタームをさらに徹底して、ほとんど「désintégral(デザンテグラル)=不統合/解離」と同義であるような、いわば〈離接的総合〉の地平に駆動させていると私には思われる。

[*2] その典型的な一例として「progeria(プロジェリア)=早老症」が知られている。老化した容態で出生し、稀には20〜30歳台まで延命するが、多くは10歳前後で死を迎える。細胞老化の遺伝子「telomere(テロメア)」が関わっているとされる染色体異常の疾患。ちなみに2006年、私たちICANOFは「テロメリック展」と称する連続企画展を八戸・新宿・那覇で開催した。その試みは明らかに、「pro-」が出生早期に、しかも「前駆的」に発症し、「geront-」が老年期・老化を意味するように、いわば全速力で一生を駆け抜ける「複製芸術」の“危機的な一閃”を含意したものであった。

[*3] ある一定の論脈の中途に、不意に異なる論脈の断片(多くは呼びかけ)が挿入されるレトリックを「とんこ法」と呼ぶ。この「apostrophe」が直前の「catastrophe」と併記されているのはなぜか。私の念頭には、ベンヤミンが『歴史哲学テーゼ』のなかで特筆した「apo-cata-stasis」=〈解放的回帰〉があったからである。それは前項[*2]の“危機的な一閃”にも等しく、さらには[*1]のアルトー的〈トタール=アンテグラル〉理解の一助ともなるだろう。

(2)

[*4] 映画作家や映画人を意味する「cinéaste」の呼称はアルトーには相応しくないと考え、敢えて辞書にはない「filmiste」という造語を捻出している。その理由については後述(3)(4)章を参照されたい。

(3)

[*5] 1936年に書かれたヴァルター・ベンヤミン『複製技術の時代における芸術作品』(晶文社刊、最近また再刊)を参照のこと。

[*6] 「dot」によるタピスリーではなく、「blot」によるフェルト(ドゥルーズ/ガタリ『千のプラトー』いわく遊牧=戦争機械)が、ここでは期待されている。近作『illumiole illuciole』を持ちだすまでもなく、依然として「しみ/汚点=ブロットの演劇」はモレキュラーシアターの実践課題である。

[*7] 1998年2月刊「ユリイカ」初出。2001年5月・青土社刊『燃えあがる映画小屋』再録。

[*8] アントナン・アルトー『神経の秤/冥府の臍』(白水社刊)所収。

(4)

[*9] ここでは塵埃のごとく揺曳してやまぬ、それでいて疫病のごとく憑きまとって離れぬ“カメラアイ=コマづかい”を、ゴーストリーな「camérier/camériste=侍従・侍女」に見立てている。

[*10] 「glossolalie」は、未開社会やカバラなどの秘教的/混成的な「呪言」に類する、アルトー固有の翻訳不能な造語表現をさす。 2007年・河出書房新社刊『アルトー後期集成・Ⅰ』(宇野邦一ほか共訳)によれば、自称「mômo=モモ」は「mot(モ)=言葉」を発しはじめた「môme(モム)=子供」に基づく舌語であり、また文中の「tutu=トゥトゥ」は「tu(テュ)=貴方」・「tout(トゥ)=全体」・「trou(トゥル)=穴」・「entre(アントゥル)=間」の吃語めいた舌語と思われる。ちなみにメキシコ北部の先住民タラウマラの「黒い太陽の儀式=tutuguri」を、アルトーが実体験したのは、[*5]のベンヤミン稿と同じ1936年のことであった。

[*11] サミュエル・ベケット『また終わるために』は1997年・書肆山田刊、宇野邦一・高橋康也訳。

[*12] むろん16〜17世紀の「camera obscura(カメーラ・オブスキューラ)=暗い部屋」こそが、19〜20世紀の集合知覚や共同知覚を懐胎することになった。その一契機となった知覚装置「ステレオスコピー」はもとより、そうした知覚の大掛かりな散乱についてはジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』を参照されたい。

[*13] ベケットのシナリオ『フィルム』における「dead straight」を、「dead street」と勘違いしないようにしよう。「acute intentness」が、鋭く凝視を強いられ/にわかに集中を迫られるのと同様、それは単なる直進路ではなく、どんな脇道も赦さない、徹底して切り詰められた直進路。ひたすら脇目もふらず、どん詰まりまで往くほかないのだ。

[*14] 執筆当時、ヴィトカッツィとともにシュルツを併読していたせいだろう。素材の物質感をマティエール/マテリアルなどと表記することに、いささかの躊躇があり、ポーランド語のマテリアをここに打刻した。

[*15] この事態をフランス語の「impouvoir」では伝えにくい。「im-pouvoir=不-能力」に対して、いかにもアルトー風グロッソラリーに倣った「impouvoir-pouvoir=不能-力」とでもすべきだろうか。

(5)

[*16] アルトーの引用は全文通して、坂原眞理訳。ただし行論上、適宜、中略・倒置などを施している。モレキュラーの上演にも足を運んでくれた坂原氏に謝意を表したい。

(初出『sagi times 01』(1998年5月/studio malaparte 刊)