ラテラル・ランドスケーパーズ覚え書

ラテラル・ランドスケーパーズ覚え書

Note for Lateral Landscapers

豊島重之

(1)

そこからは何かが除外されている。

感情? そこにカメラを向けて、シャッターを切るように強いた、何らかの感情? それを見る者の身体からサーッと引いていくような、何らかの感情? いや、少なくとも、そうした感情は除外されていない。

あるいは、こうも言える。写真から、事前であれ事後であれ「感情」を払拭(ふっしょく)することはできない。一枚のプリントに現像してしまった以上、そこには事前的な感情、シャッターを切ってしまったという、ある種後悔にも似た、動機的な感情の「痕跡」が写りこんでいる。いくら払拭しようとしても払拭しきれない、この痕跡の「抹消」のプロセスが、つまりは、写真というものではないか。見る者に到来する事後的な感情もまた、この、たえず抹消されつづけるプロセスとしての写真の現前がもたらしたものなのだから。

それでは、感情ではなく、何が除外されているのか?

(2)

ここに一枚の写真がある。とりたてて、どうということもない、ありふれた風景。

大自然の風景には違いないが、どう見ても、人の手が加えられた風景であり、大自然が自らつくりだした風景にはとても思えない。いわゆる、人知をこえた造化の妙(ぞうかのみょう)から最も遠い代物。何十年もかけて大地を掘り返しつづけた、社会的風景。とはいえ、そこに記憶を留めるような社会的な出来事の影もかけらもない。ただ、単に巨大な穴がある、というだけだ。それが八戸の石灰鉱山だと知らされたとしても、格別、何らかの壮大なロマンを想起する者は一人だっていやしないだろう。将来、そこを産廃処理場なりスペースシャトル実験基地なりに転用する動きでも出てくれば、話は違ってくるのだろうか。ただそこに、大きな穴があるというだけで、漠たる不安は人々を(人々は漠たる不安を、ではなく)慰撫(いぶ)してきたというのに。

撮影者の米内安芸に聞いたところでは、雨模様の日には、土の色が変わる、その土の色を撮りに行ったが、たまたま晴れ間に当たってしまい、狙った写真が撮れなかった、その折の副産物がこの写真なのだという。狙いがはずれて、その狙いの「側方」から副木(そえぎ)のように生え出してきた一枚の写真。それをそのまま訳せば「ラテラル・ランドスケープ」ということになろうか。

(3)

世界には、写真を撮る人の数だけ、大量の被写体があることになる。

それをタイプ別に腑分けしてみることに、さほどの意味があるとは思えないし、実際、その手のタイポロジーはたいてい徒労に終わることだろう。それでも、こと「風景」に限ってみれば、思いがけないことだが、自然的風景と社会的風景、この二つしかなさそうである。

そこに人物が配されている場合でも、ナチュラル・ランドスケープか、ソーシャル・ランドスケープか、そのどちらかに類別できてしまう。もちろん、その線引きが怪しくなるケースもままある。たとえば、壮大な雪渓に点在する人々、それは一見して、自然的風景に違いないが、仔細に見ていくと遭難現場であったり、国境を越えようとする難民の群れであったりすれば、たちまち社会的風景に一変してしまう。

したがって、どちらかに狙いを絞ろうとする写真は、互いにもう一つの風景から極力、身を遠ざけようと腐心(ふしん)せざるをえないだろう。社会的風景でなくなること、それが自然的風景の本来的な身ぶりであり、同じように、自然的風景でなくなること、それが社会的風景の紐帯(ちゅうたい)なのだ。

第一に互排性(ごはいせい)、第二に徹底性、この二つの強度を欠いては、ナチュラル・ランドスケーパーもソーシャル・ランドスケーパーもそれぞれ拠って立つ瀬がない。

(4)

その引きちぎられた互排性の空間から、ひこばえのように繁茂してきた写真がある。

それらの写真は、斥力がもたらす強度と徹底性ではなく、そういう激しさがやおら退潮したあとの、ある種「痩せた」空間、衰えの空間に、ポンと発生したかに思える。

——渋滞のために信号が変わっても交差点に立ち往生したままのバス。行く手を阻まれて、しばし待ち呆けを喰わされた通行人。写真そのまま。以上でも以下でもない。吉田亨の写真。

——高層住宅の工事現場、何枚もの網戸が吊りあげられ、取りつけられようとしている。その網戸の不揃いの角度が織りなす、野放図らしからぬ野放図。春日紀子の写真。

——車椅子から後部座席への移乗のひとコマだろうか。老母の腰を支える老父の手なのであろうか。そうした予断を一気に蒼ざめさせてしまう「横撮(よこどり)」。対象との距離は画定(かくてい)できない。できるものではない。常に既に。ならば「横ざま」に撮るほかないではないか。大川久美子の写真。

この三者の写真を、側生(そくせい)風景、すなわち、ラテラル・ランドスケープと総称したい気に駆られる。ラテラルには、生物学的な「側生」のみならず、音韻学的な「側音(そくおん)」の意味もあって、側音とは、子音のl(エル)音のように、舌の両側から息が抜けてしまう発声のことだが、だとすれば、4人目として、山内雅一の写真も加えることができよう。そして米内安芸「石灰鉱山」。

(5)

これら5人を、ひとまず「ラテラル・ランドスケーパーズ」と呼ぶことにするが、もちろん、この5人の写真は、2001年ICANOF展の図録にたまたま合流したからであって、この5人が共通のモチーフをもって結集したわけでは、あくまでないし、もとより「ラテラル派」とか「LaLa派」とか自称しているわけでもない。5人とも八戸だが、これもたまたまであって、吉田と大川は今は東京に住んでいるし、八戸が長い山内も元々は神奈川生まれである。

にもかかわらず、この5人の写真をひと括りにして見ていくと、やはり「ソーシャル・ランドスケープの写真、それ以後」に登場してきたというような、ある種の歴史性を思い知らされる。

風景は、単に風景であるわけではない。

風景という言葉が、ある時、ある独特な用法で、それ以前には存在しなかったような含みをもって使われはじめたとしたら、すべての風景は、歴史的に形成された、つまり、普遍的なのではなく歴史的に限定された、社会的風景なのだと言うことができる。

だとすれば、「LaLa派」は、感情と同様、歴史性を排しないが、少なくとも普遍性は、起源にまで遡(さかのぼ)ろうとする抽象化の欲望は、言い換えれば、美学は排する、という姿勢において一貫している。「LaLa派」の写真が「美しい」としたら、それは美学を排しているからにほかならない。

(6)

「LaLa派」の写真には、出来事が欠けている。

吉田亨の、春日紀子の、大川久美子の写真を見てみるとよい。出来事らしい出来事は、その予兆すら見当たらない。山内雅一の写真はどうだろうか。写真と映画のはざま、写真でも映画でもないパッセオ(間道)。山内がブラジルの歴史性やブラジル固有のゲオポリティクス(地政学)を知らないはずはない。モーホの丘のスラム街「ファヴェーラ」のインティファーダ(蜂起)を、脳味噌の感光紙に一度ならず撮しこもうとしなかったはずはない。

にもかかわらず、山内の写真には、出来事の気配は希薄だ。出来事は「側音」のようにやってくるはずだという、フィルムの乳剤にも似た感情。山内や米内の写真はそこに依拠しているからである。依拠とは「側生」する戦意のことだ。山内や米内が、その戦意ゆえに、戦意の銀毒に倒れることがあれば、キム・ヌリの写真を見てほしい、キム・ヌリがあとに続くだろう

(7)

もし、自然的風景が、自然のつくりだした「出来事」であるとしたら、社会的風景は、その出来事の「廃虚」であると言うことができる。

出来事は起きた。それは、かつて、あった。しかし、今ではもう、誰もそのことを忘れてしまっている。今は、その冷えびえとした忘却の忘却だけがある。「ソーシャル・ランドスケープ以後」、廃虚すらも更地化してしまったのか。ちょっと待ってほしい。その、寒々とした棄景の「側方」になにか異変はないか、それとなく注意してみてほしい。幻影肢=ファンタム・リート。異変というほどのことでもない。けれど、そこに出来事の姿はないのに、その痛痒(つうよう)だけは疑いようもなく側生してきている。

それは、写真としてしか現われることのないLaLa(ララ)としたものである。

(初出:「ICANOF Media Art Show 2001」/2001.09.21)