モレキュラーシアターとは?

モレキュラーシアターそしてあるいはモレキュラーについて、現在、公式サイト(ICANOF)によれば、下記のように書かれています。

モレキュラーシアター歴

1986年八戸を拠点に結成。翌87年より99年まで海外12ヶ国の芸術祭に招待公演。89年「国際カフカ芸術祭」主催・実現の成果により、主演の大久保 一恵が八戸市芸術文化奨励賞。96年アデレード芸術祭に『FACADE FIRM』招待公演。演出の豊島重之が東京ジャーナル演劇賞。05年国際交流基金フォーラムで「ベケット東京サミット」主催。06年10月世田谷パブリッ クシアター主催で『オハイオ即興劇・カタストロフィ』上演。07年10月青森県立美術館主催で『BALLET BIOMECHANICA』公演。07年11月沖縄県立美術館開館記念『DECOY』公演。結成以来、カフカ・ベケット・ヴィトカッツイのテクストに喚起された実験演劇が中心だったが、近年はジュネ・デリダ・メイエルホリドのテクストに軸足を移した演劇実験に挑戦している。

あるいは、下記のような「由来」についての記述もあります。

演劇ダンス・ユニット《MOLECULAR THEATRE》紹介

(1)1968年に(当時東北大医学生だった)豊島重之が 破天荒なジャンク・シアターを始動。それが「微分子劇場」を意味するモレキュラーの前身となった。翌2008年は豊島重之にとって演劇活動40年の節目と なる。1983年「アテルイ」パリ公演や初の「東北演劇祭」主催・実現の成果で84年、青森県芸術文化奨励賞受賞。

(2)1986年に八戸を拠点にモレキュラー結成。翌87年より99年まで海外12ヶ国の芸術祭に招待公演。89年に「国際カフカ芸術祭」主催・実現の成果により、主演の大久保一恵が八戸市芸術文化奨励賞受賞。95年『FOOTNOTED』が読売演劇大賞にノミネート。翌96年に『FACADE FIRM』がアデレード芸術祭に正式招待。同時に演出の豊島重之が東京ジャーナル演劇賞受賞。

(3)2005年、国際交流基金フォーラムで「ベケット東京サミット」を主催・実現。その全容は06年10月豊島重之編著『モレキュラー20周年写真集 PANTANAL』に収録。06年10月世田谷パブリックシアター主催公演に新作『オハイオ即興劇・カタストロフィ』上演。その核心は07年舞台芸術誌 11号に豊島が「四角いベケット」執筆。07年9月14・15・23日に八戸市美術館での『ISTHMIAN RHAPSODY』公演や、10月6日青森県立美術館での『RALLET BIOMECHANICA』公演に続いて、11月3~4日沖縄県立美術館・開館記念公演のモレキュラー新作『DECOY』も期待されている。

さらに、PANTANAL(2006)の資料では、

「地衣類の微光のその先へ」より

1986年のリセ30周年の副産物として、リセを卒業してもダンスを続けたい「秘かな意志たち」のための受け皿として、モレキュラーシアターが発足した。バレエ教室を軸としてリセと、公演活動を軸としたカンパニー=劇団との二人三脚。お互いがお互いを反映しあう文字通りのカンパニー=伴侶。(豊島重之氏による)

ともあります。

ここでいう「リセ」とは、豊島和子創作舞踊研究所に属する「ダンスバレエ・リセ」のことです。

豊島和子氏は、同じくPANTANALの資料で、次のように書かれています。

「記憶の源流/パンタナル」より

当時医学生だった弟の重之を裏方の一人に抜擢させて1966年の十周年公演—私の勘に狂いはありませんでした。いつしか76年の二十周年公演を演出・構成し、86年の三十周年公演に当たっては、行き場のないリセの卒業生を中心したカンパニー「モレキュラーシアター」を結成し、その初演作「f/F・パラサイト」は東京でも好評で、翌87・89年・92年にはドイツ・チェコ・イタリア・ポーランドなどの国際芸術祭に招待されて渡航を繰り返すようになりました。私も、思うようには動いてはくれないこの身体を海外各地へと運んだ記憶は、リセの小さな歴史の重みを担っています。また、96年の四十周年公演がオーストラリア「アデレード芸術祭」招待公演や、リセのリニューアルと重なった記憶も、私には貴重なものです。(豊島和子氏による)

このように、江口隆哉門下の豊島和子氏と<モノモノ派>などさまざまな活動を続けてきた豊島重之氏によって今日のモレキュラーの母体が生みだされたことは、間違いないようと思われます。

そのひとつの契機ともなった1986年10月9日(木)〜12日(日)T2スタジオにおける「f/F・パラサイト」は、スコピオプロジェクト及川廣信氏によるプロデュース作品(劇団モルシアター・T2スタジオ提携公演)だったことも特筆しておくべきでしょう。

ちなみに、Wikipedia日本語版では、下記のようになっています。

ここには、厳密にはモレキュラーシアターの作品ではないものも含まれているほか、記載漏れも見られます。

モレキュラーシアター@Wikipedia

モレキュラーシアター(Molecular Theatre)とは、八戸市に拠点を置くパフォーマンスグループ、劇団。日本を代表する前衛アーティスト集団の一つ。日本のパフォーマンスグループおよび劇団の中では海外公演回数が最も多い部類に入る。国内よりも海外からの注目度のほうが高く、公演の比重も圧倒的に国内よりも海外である。そのため、日本での知名度は低い。しかし、日本の現代演劇の最前線のひとつが東京ではなくて青森県にあるという異変は、1990年代の一時東京の演劇関係者の間に危機感を持って伝えられた。同じ青森県の「弘前劇場」も同様に注目され始めた頃である。日本では地方劇団が脚光を浴びる可能性は低いが、海外で公演活動することで世界的知名度を獲得するのに成功したといえよう。このカンパニー主宰の精神科医豊島重之は、地元八戸での芸術啓蒙活動にも積極的である。市民参加型芸術ボランティアユニットであるICANOFを立ち上げ、内外の芸術家を招待しての「八戸芸術大学」や市民参加による芸術イベントを展開、地域レベルでの芸術の実験にも着手する。

舞台作品

しかしながら、モレキュラーシアターにはその「前史」とも言える流れがあり、さらに「豊島重之+モルシアター」あるいは「モルシアター」と呼称していた時期があるように記憶しています。

いま資料を繙いて調べていますが、たとえば次の記録は見つけました。

モレキュラー「前史」(の一部)

1971.10 レオの会 「山羊とツェッペリン」

1973.03 レオサーカス 「日本舌切雀考・桜の園篇」

1976.00 恋迷路変 「怪盗へのへの」

1977.07 恋迷路変 「快調へのへの」

1978.00 恋迷路変 「開門へのへの」

1979.04 続・恋迷路変 「さらば美しき叛乱」

1980.12 千一年王国 「皆目変脳遍能妄閉陣」

1981.05 千年王国 「皆目へのへの」

1982.06 泉&横川 「ロッカバイ」

1982.08 豊島和子&千年王国 「赤ちゃんたちの夜」

1983.02 千一年王国+どらまぐる〜ぷ川 「うお傅説」

1983.08 千一年王国 「戒厳へのへのもへじ改訂版」

1983.08 千一年・女組 「写真展にて」

1983.00 豊島和子舞踊団 「ATELUI」

1984.08 豊島重之+鳥屋部文夫 「the Funnel Experience」

1984.11 豊島和子舞踊団 「アテルイ」

1984.11 豊島重之+鳥屋部文夫 「1/2(いちぱあに)」

1985.08 豊島重之+鳥屋部文夫 「the Funnel Experience」

1985.12 豊島重之+劇団アララギ派 「一/四(いち・ぱあ・よん)」

1986.07 Kazuko Toshima Moving Theatre 「砂の女・第5章」「砂の女・第6章」

1986.07 劇団アララギ派+八短大演劇部+八大メイ・プロジェクト「アナグラム」

1986.07 モルシアター 「パラサイト」

1986.08 豊島重之+モルシアター 「パラサイト II」

1986.10 モルシアター 「f/F・parasite」

1987.01 モルシアター 「Parasite III」

1987.05 モレキュラー・シアター 「f/F parasite」

この後から現在までの長い道のりがあるわけですが、その辺りについては追々追記していきます。

訂正追記:公式前史

と、思っていたら、2008年10月26日に、モレキュラーから前史に関する詳細な情報をいただきました。

1981年までについては、上記ではなく、こちらをご参照ください。

公式前史:1967-1981

1967.08 豊島重之+「今日の集団展」 双極球体ダンス「鬼子母神異聞」(宮城県民会館)(※この双極球体をきっかけに、豊島+「今日の集団展」はその後、「モノモノ派」を結成。)

1968.10 豊島重之+豊島舞踊団 ダンスドラマ「DJINBAI(じんばい=命綱)」(八戸市民会館)

1969.10 豊島重之+サンキスト同盟+豊島舞踊団 BUGAKU=舞楽「羊曼胎(やまたい)」(八戸市民会館) -----※ここでいう舞楽とは、トータルメディアシアターのカオスそのもの!

1970.09 豊島重之+豊島舞踊団 ダンスパゾリーニ「THEOREMA=テオレマの彼方(六人のエミリア)」(福島市公会堂)

1970.10 豊島重之+豊島舞踊団 ダンスパゾリーニ「THEOREMA=テオレマの彼方(もう一人の聖家族)」(八戸市民会館)

1971.05 豊島重之+赤土類+松澤宥+モノモノ派ほか 同時多発MAD-MAP「DIPLOPIA ARRIVAL」(東北大医学部講堂・名掛丁アーケード・西公園フェンスほか仙台各所) -----※ディプロピアとは、二重視覚のこと。チケットは仙台市街地の地図で、何時にどこで種々のイヴェントが実施されているかが明記されていた。常に動きまわる市電の中でのイヴェントさえも!

1971.10 レオの会 街頭無言劇「山羊とツェッペリン」(八戸市三日町歩行者天国)

1971.10 豊島重之+豊島舞踊団 ダンスポエマテーク「木喰=MOKUJIKI」(鶴岡市文化会館・八戸市民会館)

1972.01 レオ王国 フォークオペラ「日本舌切雀考・アリス篇」(八戸市民会館)

1972.10 豊島重之+豊島舞踊団 ダンスポエマテーク「あおねこ=AONEKO」(八戸市民会館)

1973.03 レオサーカス ロックオペラ「日本舌切雀考・桜の園篇」(八戸市民会館)

1973.09 豊島重之+豊島舞踊団 トータルメディアシアター「球体伝説=序奏」(秋田県民会館)

1973.12 豊島重之+豊島舞踊団+柴内舞踊団ほか トータルメディアシアター「球体伝説=球体論」(八戸市体育館)

1974.06 レオの会 詩劇「ゆるやかな性 = サーガ」(喫茶さんふらわ)

1975.05 銀河サーカス 証言劇「日本舌切雀考・瞼の母篇」(八戸市公会堂)

1976.01 銀河サーカス 36景オムニバス劇「怪盗へのへのもへじ=銀河発作マグナの夢狩」(八戸市公会堂)

1977.07 恋迷路変 「快調へのへのもへじ=ヘノキオの冒険」

(八戸市文明堂音楽センター、青森市成田本店ホール)

1978.08 恋迷路変78 「開門へのへのもへじ=まぶしい亡命者」(八戸市公民館ホール)

1979.04 続・恋迷路変 「改竄へのへのもへじ=さらば美しき叛乱」

(八戸市文明堂音楽センター、仙台市白鳥ホール)

1980.03 続々・恋迷路変 「海抜へのへのもへじ=砂漠のフーガ」(八戸市公民館ホール)

1980.12 五百羅漢 「皆目変脳遍能妄閉陣=方舟白書」(八戸市公民館ホール)

1981.04 千年王国 「戒厳へのへのもへじ=縄文鯨組」(東奥日報ホール)

1981.05 千年王国 「皆目へのへのもへじ」 (東京・下北沢スーパーマーケット )

追記

1998年「GOZO-OPERA」当時の劇団紹介には、「モル」ではなく「モレキュラー」である旨が書かれています。1986年当時は「モルシアター」であった(トップページのチラシ参照)わけですから、結成後にモレキュラー・シアターに「変更」されことは明らかですし、さらにフェリックス・ガタリの影響が見られると言っても過言ではないでしょう。

劇団紹介(1998年当時)

1986年、演出家豊島重之らを中心に、北日本の青森県を拠点として、モレキュラー・シアターが結成された。劇団名の由来は、モルが安定した化学構造の分子であるのに対して、不安定で変幻自在な運動性をもつ微粒子モレキュールから来ている。その運動性は彼らの舞台作品の特色をなす。たとえば、カフカの書簡をテキストに「書簡の書法」に即した舞台をつくるかと思えば、ベケットやベンヤミンの(本文ではなく)脚注をテクストに「脚注の書法」に即した上演を行う、というように。さらには吉増剛造の詩の書かれ方にポリフォニーではなくヘテロフォニーを見出して「異音のオペラ」を試みる。彼らの舞台はこれまでに海外12ヶ国のフェスティバルから招待され上演された実績をもつ。たとえば1996年豪州アデレード・フェスティバルなど。国際交流基金やセゾン文化財団や芸術文化振興基金などの助成をうけている。演出家豊島重之は「東京ジャーナル演劇賞」や「青森県芸術奨励賞」を受賞している。

追記(2008.12.29)

モレキュラーの高沢代表からいただいた公式公演リストを掲載します。

MOLECULAR THEATRE 公演リスト公式版

1983年

1984年

1985年

1986年

1987年

1988年

1989年

1990年

1991年

1992年

1994年

1995年

1996年

1997年

1998年

1999年

2000年

2001年

2002年

2003年

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