「低温熱傷性演劇」が観客に突きつけるもの

「低温熱傷性演劇」が観客に突きつけるもの

川端隆之(詩人・文芸評論家)

ICANOFプロジェクト「イタドリ」公演は「低温熱傷性演劇」を発展させたものです。03年2月15日ICANOF「食間展」オープニング・レクチャーで八戸市にお招きする講師の川端隆之氏が前作の批評をデーリー東北紙に寄稿なさいました。「イタドリ」公演の手がかりとして、ここに転載します。

九月の上旬、八戸を拠点とする劇団モレキュラーシアターの公演「低温熱傷性演劇」が、東京赤坂の国際交流基金フォーラムで行われた。

水滴を浴びる少女の顔がスクリーンに映し出されたあと、ファックスの受信音が会場に鳴り響き、そのスクリーンが上がると、うっすらと光を発する、水槽のような舞台が観客の目の前に現れる。

舞台にはイスだけが四つ置かれ、役者が四人腰かけているのだが、モフセン・マフマルバフの評論「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」や宮沢賢治の詩を朗読したテープが流れ始めると、役者たちはその音声に合わせ、奇態な、そして優美なダンスを無言で繰り広げていく。観客は、その水槽のような舞台の中が、アフガニスタン等の、様々な紛争地域の象徴だと、容易に理解するであろう。

しかし、朗読のテープ音が止まり、役者がイスに座り直すと同時に、客席から突然「あのう、すいません。そんなところで踊るのは、つらくありませんか」という、間の抜けた声が挙がる。客席にあらかじめ紛れこんでいた役者が発した質問だと、すぐにわかるのであるが、ここで観客は、まるで水槽の中を眺めるような、紛争地域を安穏と鑑賞しがちな、己の冷淡な視点に気づかせられ、ぞっとするのである。「低温熱傷性演劇」において我々は、高揚感をもたらす劇的な物語やセリフの削除された「低温」の舞台を鑑賞するうち、厳しい自己省察を迫られ、思いがけず心に「熱傷(やけど)」を負うのだ。

そして、質問を受けた役者たちは、イスの下からテープレコーダーを取り出し、先のマフマルバフの朗読テープを早回しで再生する。つまり、役者は観客側の質問に応答しようとする姿勢を見せる点では、コミュニケーションが成立しているのだが、その応答はテープレコーダーの声であり、早回しのため観客に聴き取れないという点では、コミュニケーションは成立していない。我々の平穏な日常空間と、非日常的な紛争や混乱が日常化している空間との間には、コミュニケーションの意志と同時に、ディスコミュニケーションの厳しい現実も横たわっているという逆説を、演出家の豊島重之はありありと提示してくれたのだ。

来年の二月には、豊島がキュレーターを勤める、イカノフ写真展「食間展」が八戸で開催される。この展覧会では、食と我々との間に、あるいは食と食との間に何が横たわっているのかが、明らかにされることだろう。(Oct.2002)

(初出「ICANOF Media Art Show 2002-03」/2003.02.15)