吉増剛造論

吉増剛造論

豊島重之

吉増剛造をご存じだろうか。芭蕉の猿蓑(さるみの)を着た宇宙的漂泊の詩人。著書は50冊を超え、詩は20ヶ国語に翻訳され、高見順賞・歴程賞・花椿賞・詩歌文学館賞・パリ市長賞を受け、サンパウロ大学・南カリフォルニア大学・オークランド大学客員教授を歴任。その吉増が三内丸山を盛りこんだ詩を七編も書くと誰が思っただろうか。

1977年に書かれた長編詩「老詩人」の中の「多摩川/高麗(こま)川の/ああ、白きものはすべて朝鮮からながれてきた」、この三行を遡行するようにして私たちの旅が始まった。モレキュラーシアター公演、総勢三十人の旅である。

5月9日、青森市の姉妹都市である平澤(ピョンテク)市「ムネヘグァン」コンサートホールで、吉増の七編の詩に基づく新作「オペラ:サンナイ」を上演して万雷の拍手を浴びた。万雷とは決して誇張ではない。棟方志功を敬愛する画家の李啓松(イ・ギェソン)唱導による「国際アートフェスティバル」の一作品として私たちのオペラも招かれ、会場には北米・南米・スペイン・インド・タイ・ベトナム・台湾・中国など十数カ国の現代美術家たちが一堂に会していたからである。

ついで、5月11日、東京なら青山にあたるソウル市青潭洞(チョンダムドン)のチョン・ギャラリーで、彫刻家若林奮(いさむ)の銅板と、吉増の詩と写真に基づく新作「緑の森の一角獣・若林奮頌(しょう)」を上演した。これはモレキュラーと同ギャラリーの主催。公演後のコロック「皮膜のアート」も喚起力あるものとなった。

私は吉増の自作詩朗読の舞台を何度も観ているが、これほどの「たたずまい」に出会ったことがない。吉増は「老詩人」を低くつぶやきながら、東京・奥多摩「日の出の森」の若林から直接青潭洞に郵送された小包を皮膜のようにはがし、銅板に描かれた公演タイトルの緑色のハングル文字をタガネと金づちでコツコツと彫金していく。しかも逐一その一部始終を自らカメラで撮影していく。つぶやきは「残酷のオペラ」であり、銅板から白い薄紙をはがしていく手つきはまさしく「死後のダンス」であった。

緑の森は「青森」とハングル訳され、一角獣の一角はアジア・ヨーロッパ大陸の一角である青森県をも指す。

それはまた前々日「サンナイ」で歌われた「光かがやく角(つの)」、「金緑色の鹿の眼に似合う(三内丸山の)巨大なドーム」、「繃帯を巻かれた島」でもあり、燃えさかるアジア、吉増のいう「誤植の空中都市」でもある。

つまりソウル公演は、イヌビエ・ナホトカ(六本柱)・ナカゴ(やじり)・盛土カビの四幕からなるオペラの第五幕目であった。私たちは「白きもの」をこうして遡行した。

なぜ三内丸山か。なぜオペラか。なぜハイテクを多用するのか。ピョンテク市での「サンナイ」終演直後の会場に熱のこもった質疑がとびかう。出演もし、通訳も買って出た安英愛(アン・ヨンエ)もたじろぐほどであった。

七編の詩の提供者いわば作者の吉増剛造は三内丸山の「丸い山」の遍在について、小高い丘が幾重にもうねる「古代天文台アヲモリ」の驚きについて語り、写真批評の倉石信乃は、盛土の露出した断層面をおおった緑色のカビが写真の乳剤面をおおう「記憶と忘却」のめくるめく闘争を突きつけると答え、美術批評・演劇批評の鴻英良はそれを「皮膜論」につなげていく。

オペラがオプス(作曲作品)由来のオペラシオン(実行・操作・手術)のことだと述べたのは舞台・映像批評の八角聡仁だが、それは吉増が自身の大腸手術と下肢骨折手術のちょうど合間に三内丸山を訪れたことと無縁ではない。八戸から参加した声楽家久米田順子のアリアや俳優長尾広海のリサイト(語り)で「異音」化された詩行がそれを伝えている。腰椎手術後の舞踊家豊島和子が出演したことも大きい。さらに言えば大久保一恵のダンス的思考の速度感と港大尋の作曲演奏の切り口にこそオペラトワール(手術的)なオペラの成果をみるべきだろう。それは確かに5月11日のソウルで驚くべき展開をみせたのだ。

高さ四間の天窓から外光そそぐチョン・ギャラリー。午後七時、外は薄暮。なのに六間四方の空間はいやに明るい。照明なしなのに外の倍も明るい。四面とも白亜の壁だからか。その壁に人の目の高さを保って帯状に展示された吉増の写真のせいか。それとも詩人の声の低さに目の低さ、声の濁りと銅板を打つ槌音の「にこごり」。港のタムタムのくぐもりと俳優たちの影を欠いた歩行。「七千年八千年のモノ/カタチも消えていく」。薄暮は上方からではなく「下方」からやってくる。

午後八時、終演。すべてのモノ/カタチは暗闇の裏地と化した。それに気づいたのは会場の客電が点いて明るくなった瞬間だったかもしれない。コロックでも言及されたが、これを外光による内光のオペラと呼ぶのは正確ではない。あくまで皮膜をめくっていく「皮膜のオペラ」なのだ。

つまり私たちは外光に一時間かけて焼きこまれていくフイルムの底光りする膜面を見せられたことになる。

だれいうともなく「青潭洞の秘蹟」という一語が口をついた。これを可能にしたのが写真家の権富問(クァン・ブムン)などの有能な若手を擁するキュレーター全浩範(チョン・ホブン)の批評的な共振力である。韓日芸術交流もアーティスト・イン・レジデンスもジェンダリズムもパブリックアートもこのような姿で行われる他はあるまい。

(初出:確認中)