シャルニエとシャルニエール

9シャルニエとシャルニエール

豊島重之

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ロッパ・高山・ホジェン・タタール・トールン・オロチョン・メンパ・ウズベク・ユーグ・ロシア・ボウナン・ドアン・チノー・キン・ヌー・エベンキ・プミ・アチャン・タジク・プーラン・サラール・マオナン・チンポー・ダフール・キルギス・シボ・ムーラオ・トゥー・ナシ・チャン・ワ・スイ・ラフ・トンシャン・コーラオ・リス・ショオ・タイ・リー・カザフ・ハニ・ペー・朝鮮・ヤオ・トン・プイ・チベット・モンゴル・イ・トゥーチア・ウイグル・ミャオ・回=ホイ・満州・チワン・・・

もうお分かりだろう。これら55もの恣意的な名の列挙が、「ロッパ・高山」と「ホジェン・タタール」と「トールン・オロチョン」の三人組を初めとする、まだ売れても知られてもいないインディーズ系お笑い芸人のメンバーリストではないことが。

確かに1969年7月、アポロ11号とコント55号のTVに釘付けになっていた日本中の子供たちも、翌8月、狂信教団マンソン・ファミリーによるシャロン・テート虐殺事件(本展出品作の佐々木遊「68-72*PYG」参照)の報に衝撃をうけ、もはやお笑い種としてやり過ごすことは出来なくなり、潮が退くようにTVの前から去っていった。同様に、1972年2月の連合赤軍あさま山荘攻防の緊迫したリアルタイム画像に息を呑んでいた者達もまた、翌3月の妙義山リンチ事件が発覚するに及んで蒼ざめ、それどころか、仲間内の鼻白むギャグとしても通用した「ソーカツ=総括」の一語を、もはや誰一人として口に出来なくなっていったのである。

改めて述べるまでもないが、チワンの次に記されるべき56番目のマジョリティ=漢族により支配・統治されている、55の中国少数民族を、08年5月26日付け朝日新聞地方版から逐一、写経さながら転記したものだ。それぞれ未踏の地ゆえにか、どのオンにも夢の臍を紡ぐよう駆り立てられずにはいない、けれど一つとして欠かすことはできない55の純然たるマイノリティ。わざわざ少数民族に「純然たる」の形容を付与しなくてはならぬほど、それだけグローバリズムという名の覇権主義が、本来、捕捉不可能な(どんな定義も暫定的である他ないような)マイノリティを骨抜きにして接収しつつ、いわば相補的に構造化しきった「死体置き場=シャルニエ」の事態を意味する。今やこの語を「蝶番=シャルニエール」的な含意なしに、不用意に用いることは出来ない。

(2)

遡って言うと、このマイノリティの一語が私達の身近に流布したのは「68〜72年」。本展の講師の一人、絓秀実氏の著書「革命的な、あまりに革命的な」(略称=革あ革)「1968年」などで特筆されている論旨の一つである。68年全共闘にとって克服すべきメジャーな課題とは、マスプロ教育や産学連携に邁進する大学経営陣の乱脈ぶりや権威主義的アカデミズムに対する造反有理であった。早くも68年5月八戸を襲った十勝沖地震の際、東大医学部闘争とほぼ前後して、東北大医学部教授と業者癒着と大学側の隠蔽体質に発端する全学スト突入の不穏な機運さえ漂っていた。産学協同は、高度経済成長の国策の帰結でもある水俣病・イタイイタイ病・種々の公害問題と直結していたから、反公害闘争は決してマイナーな課題ではなかったはずだが、運動体としての分散はさしあたり回避されなくてはならなかったのだろう。

同様のことが、沖縄本土復帰の核抜き白紙の政治的密約、つまり沖縄住民の<反基地反復帰>の毅然たる意志を踏みにじる政情への抗議にも言える。70年12月コザ暴動で本格化するまでは後手に回った連帯でしかなかったし、在日朝鮮やアイヌや台湾=華青闘や第三世界の人々との困難な共闘もまた、途方に暮れる他ないものであった。大学側による学生会館や学生寮からの締め出しや一方的な学生処分への対応に追われる日々。運動体は徐々に内向きを強いられていった。元々、内向きのラディカリズムにすぎなかった素性が、馬脚を顕わしただけなのかも知れない。

にもかかわらず、「68〜72年」がマイノリティへの覚醒をもたらしたことだけは確かである。そして、その覚醒は半ば体制に取り込まれる様相で散逸し、半ばいまだに見えがたい孤絶の悪路を強いられている。言い換えれば、半ば、世界市場キャピタリズムの下部機関たる高度情報化メディアには欠かせぬマイナーなアイテムとして(単に他局との競合/差別化の必要から)環境問題はもとより政権官僚の腐敗・食品偽装・少数民族・フェミニズム・反公害・ネットカフェ難民・児童高齢者虐待など、諸矛盾・諸差別の現実を頻繁に取り上げざるを得なくなった、いくら不十分な取り上げ方であったにしても。しかし、あとの半ばは、メディアの目にも入らない領分なのだ。単にマイノリティではなく、マイノリティのマイノリティ?いや、これを入れ子状にいくら重畳化していってもパラロジズム=誤謬推理にすぎまい。むしろ、グローバリズムからも反グローバリズムからも排除されてやまぬ「イメージなき思考/呪われた非場所」、その異例性を嗅ぎ分け/掻き分けていくことが切望されている。

(3)

引き返そう。本書巻頭に貴重な「68〜72年東北大闘争」ドキュメントを掲載した月舘敏栄は、01年9月ICANOF第一回展図録に、かつて建築フィールドワークで訪れた人口180万もの「ペー族」の写真を載せている。私が少年漫画で知った大草原の馬賊ダッタン族、即ちギリシア神話の「地獄に堕ちたタンタロス」に淵源するタタール族はと言えば人口5千。先日の四川省大地震で被災した北川=ホクセンは人口30万のチベット系チャン族の自治県だ。そして復旧にいそしむ現場指揮官の回良玉=ホイ・リァンユイ副首相は、その名の通り人口980万のイスラム系回=ホイ族、共産党政治局員25人の中で唯一の少数民族エリート。これが何を意味するか、よほどの消息通でない限りピンとこないのではあるまいか。

朝日の記事によると、中国の現憲法は「反・大漢民族主義」と「反・地方民族主義」を併記しているらしい。11億6000万にも及ぶ漢族が、13〜14世紀のモンゴル族(現在580万)=元朝や、17〜20世紀の満州族(現在1070万)=清朝によって支配されてきた歴史を、その転倒の歴史を繰り返してはならない、というのが前者なら、840万のウイグル族や540万のチベット族を弾圧する根拠ともなるのが後者である。列挙の中にウズベク・ロシア・タジク・キルギス・カザフ等が散見されるように、中国は米ソ以上の他民族国家なのであり、この列挙の中にタンパ・ポカテロ・サンファン・アマリロ・チワワ・アルバカーキ等の名が紛れていても誰も怪しむまい。いまだに琉球・アイヌ・数々の在日・無戸籍の子供たち・不法滞在移民労働者たちの存在を否認して憚らぬ、このくにの権力中枢から見たら、マジョリティの暴発的なナショナリズムを抑止する傍ら、マイノリティを宦官さながら優遇する「危うい均衡」の上に成り立つ、火種を絶やさない統治の力学には想像を絶するものがあろう。

その記事には890万のミャオ族の子供のケースも紹介されていた。父がミャオ族で母が漢族だが、出生時に両親は迷わずミャオ族として出生届を出し、子供もまた少数民族優遇枠で北京大学〜地元官僚の道を選ぶ。もし漢族として出生届を出したなら、こうした恩恵は得られない。漢族の男性も女性も少数民族の相手を探すだろう。こうして少数民族は目減りすることなく「大漢民族」の支配に屈していく。ミャオの若者の言葉に耳を傾けてみよう。「はなから知ってますよ、優遇策が少数民族支配のことだってことくらい。それを利用して官僚になったら、地元のミャオの貧民から思いっきり搾取してやりますし、言い寄ってくる漢族の中小企業家の鼻も明かしてやろうとね。勿論、聖火リレーに駆り出されたら「中国がんばれ、漢族バンザイ」って絶叫することにしてますけど」。そこには腐敗の温床たるシニシズムとルサンチマンが根強く蔓延するばかりである。忘れてはならないのが、その蔓延からも締め出された、声もなく滑落していく荒漠たる「地衣類の影たち」のざわめき。超大国中国の病根は、このグローバリズム世界の病根を正確に再演していると言うべきだろうか。

(4)

どこにも希望はないかにみえる。湿った低い方へ、さらに低い湿った方へ赴く、地衣類の影たちの「声なき射影」は捉えようがないかにみえる。シャルニエール=蝶番を欠いたシャルニエ=死体置き場に、いっかな微光も射さないかにみえる。

対岸は茫々としてあくまで無動。手前には黒点を鏤めた日輪の禍々しい残照。その狭間には湖底からもがき出した不穏な波立ち。日はまだ高いはずだが、対岸に低く昏れなずむ空の狭苦しい帯域。そのもがきと狭苦しさは、地底の活断層に埋め込まれた「クリシェ・ヴェール=ガラス版写真」に突き当たるからだろうか。十数年にも及ぶ六ヶ所への凝視が捉えた、渾身の一点である。

岩田雅一は、この一点を「68-72*ポスター展」に惜しげもなくエントリーしてきた。「この辺に文字を入れ込むといいかなとは思ってますが、その文字も含めて全部一任します」と。そして「<68-72*世界革命>の主題に匹敵するのはこの一点しか思い当たらないんですよ」と付け加えた。そのプリントを手に取った編者にもまた、この一節しか思い浮かばなかった。<をぶちの牧>を詠んだ後撰集「みちのくのをぶちの駒も野飼ふには荒れこそまされ懐くものかは」(詠み人知らず)。デザインの佐々木遊もたちまち仕上げて持ってきた。ポスター展のトップにはこれしかない、という感電力が瞬時に以心伝心したレアケースである。

きっと68-72年以降、私達の視野は硬質なガラスで出来ているのだろう。私達は風景を見ているのか、それとも先端技術の粋を集めた特殊ガラスを見ているのか。あまつさえ、その風景をガラスで固めてしまうことが出来るのか。そもそも風景は防弾ガラスよりも分厚い硬度を通してしか眺望することが出来ないのか。否。岩田雅一の写真は、断固として否と言う。この写真の視力は、ゲニウス・ロキ=地霊を太古の睡りから覚醒させるほどに柔らかい。見えないものまで見通してしまうほどに深い震度を物語っている。にもかかわらず、私達は自分の寝床に「ガラス固化体」を続々と運び込むのをやめない。いずれガラス固化体がガラス軟化体に変じて、さらには液状化して、この沼の景観に同致してしまうのを懸念する。もし固化体が何百何千ものシャルニエだとすれば、ICANOFの「68-72*世界革命*ポスター展」にエントリーしてきた20数点は、それぞれのシャルニエールを、時熟を受苦に、受苦を時熟に転ずる。ここが世界市場キャピタリズムのエッジならば、それはとりもなおさず、世界革命のあらゆる廃棄物=「残余・抵抗」が集積するエッジでもあるから。(08年6月22日)

(初出「68-72*世界革命*展/ICANOF 2008」写真集/2008)