豊島重之・鳥屋部文夫パフォーマンス「1/2(いちぱあに)」

豊島重之・鳥屋部文夫パフォーマンス「1/2(いちぱあに)」

出演:鳥屋部文夫、高沢利栄ほか

日時:1984.11.3

場所:市ヶ谷友愛会館

及川廣信(「身体都市 パフォーマンス—1984」より)

会場に入るや、むかつくようなサカナの匂いが充満している。それもその筈、会場には東北の民家の旧いタンスがいくつか置かれているのだが、抽き出しの中には、生魚がいっぱい詰まっていたのである。

中央の天窓から太い綱が一本垂れ下がり、その下に観音扉の箱が結びついている。その扉が開かれると、描かれた顔の面があり、それを付けている人間があり、ということは、よく見ると、天窓から綱を垂れて首をつろうとしている人間が面を付け、さらに観音扉の箱が頭部に被さっているということになる。

おだやかな外光が、天窓とカーテンの隙き間から室内に射している。男は死ぬでもなく、生きるでもなく、綱に首を突っこんだまま揺れている。

と、部屋の隅から、まるでへびが家の中に忍びこむかのように、4人の男女がからだをくねらせ、這わせ、床にまとわりつく。

やがて、置かれてあるタンスに近づき、抽き出しからサカナを取り出し、なんどとなく空中に放り投げる。部屋中がサカナ、サカナでいっぱいになり、サカナのぬめりの中にからだを滑らせてゆく。

部屋はもう耐えられないほどの臭気と、異常なカオスの興奮に高められていたが、突然静止の状態となり、中央の男もいつの間にか綱から首がはずれ、もう彼個人というより他の4人といっしょに部屋ぜんたいが意識の内面というかたちをとる。

一斉に、それまで外光を遮っていたカーテンが引かれ、状態が生々しく外の光を受けて浮彫りされる。それは、内部の秘められた現実が、外部に露わにされる瞬間であり、その移りゆく瞬間はすごく短いのだが、それを見、それを受けている者の意識の移りゆく時間は、さわやかに、ゆるやかに、目覚めるようなものである。

自然も、けものたちも、サカナも、人間にとって暮らしいいように、いかに危険なものや、いやな臭気を取り除いて、開拓され、飼いならされ、料理されていることか。

文化というものは、余計なものを排除し、臭いものには蓋をするものである。

人間社会の制度と慣習のワクからはずされた者にとって、そのしきたりは強大な暴力として感じられるにちがいない。

それにしても、この取り除かれる異常さ、汚さの奥に、本来的な、ナイーブな、より野生に富んだ人間そのものが秘められているのではなかろうか。

(初出「肉体言語」Vol.2/1985収録の「身体都市 パフォーマンス—1984」の一節)