絶対演劇宣言—  隣接に隣接する(III)—

絶対演劇宣言 —  隣接に隣接する(III)—

豊島重之

(1)

<いま・ここ>から出でよ。それが絶対演劇である。<いま・ここ>から脱け出る全ての作業工程が絶対演劇とよばれる。その工程においては、狭義の演劇や批評のみならず全ゆる既成の表現メディアが不問に付してきた、根底的かつ横断的な課題のみが問われる。その問いこそが絶対演劇である。

しかし、それは理念ではない。絶対演劇という広義の理念が、絶対演劇という狭義の上演や展示や批評に反映・受肉・実現するということではない。絶対演劇に広義も狭義もありえない。むしろそれは狭義以上に狭い。圧倒的なせばまりの帯域と言ったほうがよい。反対に、上演が総てを物語るとか、上演の豊かな骨肉からこそ作者も意図しなかった無意識や共通感覚や可能性の中心を抽出することができる、といった作品至上主義、即ち上演=現前の形而上学ぐらい絶対演劇から遠いものはあるまい。絶対演劇もその上演も豊かな骨肉をあくまで削ぎおとしたサプラス=剰余であることを怖れない。いやむしろ、重畳的にサプラスの剰余であり続けること。そこに<いま・ここ>から影を断つひとつの境位を見出すこともできる。この剰余はまた、演劇—機械をめぐって切り出された遅延の特異なあり方とまさに重畳するところだ、とは断るまでもなかろう。だからといって、絶対演劇とその上演が等価の関係にあるのでも、均質な地平に分布されているのでもない。敢えていえばそれは、パラーサイト、即ち並置・平行性の事態、それも一切の相補性を欠いた一触即発の事態だというべきである。

(2)

絶対演劇は、まず何よりも、見ることの変更、聴くことの変更を迫る。それは近望から遠望へとか、鳥瞰から虫瞰へといった視方の転換を意味しない。あるいはまた、メッセージからノイズへ、外部の振動から内部の振動へといった聴力の練達とも別のことだ。見る=聴くことの変更とは、人間像や世界像の異化や同化、思考のパースペクティヴの反転や転置によってはついに捉えられない次元に生起する。勿論、その次元とは見る=聴くことの次元以外ではない、ということに留意しておきたい。それはまた、書く=断つことの変更と少しも違わない。聴かないことの不可能性とはこの次元をさしている。

絶対演劇において、もはや上演形式のこと改めた変更は不必要であり、なくもがなとさえ言えよう。なぜなら、他者も批評も数奇な上演形式に遭遇するたびに、<いま・ここ>の文脈の延長上で、その可能性の中心で反転や倒置、異化や同化に腐心してみせるのが常だからだ。この腐心だけが、狼狽も自失も知らぬ腐心だけが、他者や批評のみならず上演側をも分厚く覆うひそかな倫理とさえなっている始末なのだ。もとより、演劇史が主題や物語、人間像や世界像の消長に呼応した上演形式の陸続たる変遷史であったことを思えば、この分厚い腐心の身ぶりが。歴史性と称する分厚い身ぶりとそっくり似てしまうのも当然である。狼狽を強いられるや、倫理の露出を怖れて持ち出されるのは、きまってこの歴史性である。厚みどころか深みや高みにもこと欠かず、どんな新奇も過激も逸脱も立ち所に呑み尽くしてやまない<いま・ここ>なる歴史性こそが、見る=書くことの変更を巧妙に回避しながら、さらなる上演形式の積極的な変更を促してきたのだ。だとすれば、>いま・ここ<、絶対演劇をそう表記することもできる。反“内部性の演劇”として横行しがちな外部性の演劇に対する行儀としてである。外部性のもたらす無限遠の拡がり、荒涼たる砂漠性、白地のノマディスム、果ての果ての果て・・・。それこそ<いま・ここ>の最も好餌とするところだ。無際限の外部性は無際限の内部性を行儀よく擬態するしかないからである。なのに、>いま・ここ<、とは何なのか。それは外へ開かれることではなく、外から閉ざしてやることを示している。外から閉ざしてやることで、内から身を閉ざす<いま・ここ>の細心で濃密な行儀を意外にもあっさりと崩せること。それには、あくまで浅く、とことん薄く、金輪際こともなげに、事は運ばれなくてはならない。

(3)

絶対演劇において初めて、観客というものが出現する。客席のみならず舞台上に、路上や机上に、線刻と余白の可聴域上に。見る=聴くことの変更それ自体として。この観客は、もはやあの自他関係の苛烈な他者ではなく、主観を超えた純粋な客観でもない。勿論、<いま・ここ>なる歴史性を批評の倫理とする冷徹な見巧者のことでもない。観客としての俳優もまた、もはや観客像を距離のように内面化した表現者でも、テクストや演出や集団性から自由な即興者でさえない。

繰り返すが、絶対演劇以前には観客は出現したためしがないのだ。せいぜい、ある時期、世界に同時多発した地下演劇が<いま・ここ>なる他者の一群を蝟集させたにすぎない。他者は観客の空白を埋めてみせるが、観客は決して空白を埋めたりはしないのだ。これらの他者はどこから来たか。不在の演劇からである。“不在の演劇”批判としてのみ呈示された不在の演劇。これをベケットとよぶことにしよう。まかり間違ってもブレヒトとかミュラーとかファーブルの名を冠することはできない。それらの名はベケットの筆名あるいは題名にすぎない。では、ベケットは何をしたか。<いま・ここ>なる圏域の可能性の中心を明かるみに出した。<いま・ここ>を自らに禁じ、同時に、その< >を取りはずすという二重の身ぶりによって。そして、ここが最も肝心な点であるが、まさにその二重の身ぶりにおいて、かっしりと< >を閉じてみせた、ということだ。まるで瞼をそっと閉じるように、メモか何かをうっかり置き忘れたように、<いま・ここ>なる楔を演劇史に打ちこんだのである。

もしどうしても悪意という語を持ちだしたいのなら、ミュラーやファーブルではなくベケットにこそ、その当人でさえ思いもよらなかった身ぶりの発明にこそさし向けられるべきだろう。悪意の行き場は、このほとんど善意同然の、虚を突く善意への打ち消しがたい狼狽ぶりをおいて他にはない。そうだとしたら、もう一歩だった。この時点で、絶対演劇と絶対観客は唐突に共起したかもしれなかったのだ。

勿論、事実はそうではない。その時以来、<いま・ここ>はますます強化され、それ以後は勿論、それ以前の演劇史も、おしなべて<いま・ここ>なる歴史性として貫流することになる。総ては、あの二重の身ぶりに色濃く染めぬかれることになるのだ。書くことと断つこと、強迫と強度、テクストと身体、エディバリズム権力とナルシシズム権力・・・。それぞれの局面でさまざまな両値性に引き裂かれながら、一様に至高の消尽点へと誘われていく。反“不在の演劇”だったはずの不在の演劇もまた、たちまち現前の演劇にすりかわり、現前が不在の現前である以上、それは果てしなく汲みあげられる無限不在の無限現前劇へと展開、つまりは退行していく。こうした無底の底を身体とする上演の無意識、それが、いま・ここならざるがゆえにいま・ここたらんとし、いま・ここなればこそいま・ここならざるものを求めてやまぬ表現倫理を吊り支えている。そうした<いま・ここ>なる圏域の可能性の中心こそ、あの二重の身ぶりにほかならない。

(4)

<いま・ここ>から出でよ。しかし、どこに出口があるのか。これでは、どこにも出口はないと言っているようなものではないか。だから、出口なしだ。それが批評なのか。出口なしは出口なしだ、というトートロジィ=冗語。それこそ<いま・ここ>の最深部に瞑目する狼狽でなくて何だったろうか。書くことや断つこと、することやしないことの権力の火口でなくて何だというのか。<いま・ここ>から出でよ。それは決して出口を求めることではない。それを言うなら、それ自体が既に出口である。事実、絶対演劇は、>いま・ここ<のみで容易に生成する。あるいは<いま・ここ>を自らに厳に禁じさえすればよい。しかし、前述のように、それは束の間の生成にすぎず、禁じるやいなや<いま・ここ>へと素早く回収されるのが常だ。こうした無垢や瞑目にあって、なおかつ、出口なしこそ出口だ、と言いたいのなら、それはいかにして可能かを批評は示すべきではないのか。

観客というのは冗語である。もはや観—客とか観/客とか表記する必要はない。絶対演劇や絶対観客が無垢な冗語だとすれば、観客はいささか野卑な冗語である。いかなる他者をも峻別し、他者の非他者性を次々に暴きはじめるからだ。同時にまた、絶対演劇において、歴史の非歴史性の命脈が断たれる。それはそのまま絶対演劇の歴史性を起立させたと言うに等しい。これまた冗語である。だいいち、あの、いま=ここ。< >を圏域たらしめているヒーメン。現前の現前、非現前の非現前である、いま=こここそ、粛然たる冗語であり、その実、陰々た奇略にたけた冗語ではなかったか。

このことで何が言われているのか。それは、二重性を冗語へと翻訳することである。多様性や唯一性の来歴たる凡ての両犠牲・二分法・二元論といた共時的な双数性を、ぐいと時空をねじ曲げるようにして通時的な双数性に歪形するのだ。双数体の分厚い肉を線形に圧延すると言い換えてもよい。それは、<いま・ここ>から出でよ、を翻訳すること、非解読もしくは横切るように読むことを意味している。即ち、から、という身ぶりと、出でよという身ぶり。< >という近榜の時空を捻転させたこの二重の身ぶりをまず析出し、< >内からデノート=外示すること。そしてすぐさま、それを当の二重の身ぶりのコノート=共示たる< >に並置すること。即ち、二重の身ぶりの二重の身ぶり、という冗語反復を捏造してみせること。後にも先にもこれが、<いま・ここ>から出でよ、の意味であり、意志であり、これきりの内実である。

言うまでもなく、この外示と並置の操作を、オスト・オルガンは隣接とよび、クアトロ・ガトスは反—復もしくは上—演、そしてモレキュラーは寄生とよんでいる。絶対演劇は、この三滴のデノートに契機する。

(5)

<いま・ここ>なる演劇とは、一回性の演劇である。等身大の現前の劇が、超身大の歴史=物語なり世界大の共通感覚=無意識なりを、二重の身ぶりに強迫された一回限りの強度をもって噴流してみせるものだ。どこまで行ってもメタファの劇、イメージの劇、多面体の劇、徹頭徹尾、現前の形而上学に彩られた他者性のドラマであるほかはない。これが前稿のメディア解読の果てに翻訳的に出来した、空虚を噴流してやまぬ身体とどんなに別物であるか、もはや自明のことだろう。

絶対演劇とは、二度性の演劇である。メトニミーの劇、ロジックの劇、紙の上に紙のように書かれた平面性の劇、あるいは観客性の演劇、さらにここに、1986年の竹と鉋のエピソードさえ隣接させることができるだろうか。少なくともそこに、絶対演劇の萌芽が二つの行程として共起したのである。石川舜の美術上演では、百本もの竹の棒を指先と針金で一本ずつ丹念に連結していく単純反復作業が延々と展ぜられる。分厚い並列の束が線上に直列化されていくだけなのだが、竹のしなりと自重によって幾重もの螺旋がいつしか宙に描かれることになる。最後の一本を接合し終えるやいなや、全く同じ淡々とした仕草で、今度は一本ずつ解離しはじめる。誰もがアッと思う瞬間だ。その突かれた虚にあってこそ、根源的な問いが出来するのである。

もうひとつは「オ・ドラ・デク」。するやいなやの前方へ、という仏語の造語である。モレキュラー「f/F・パラサイト」のパラサイト=寄生虫として上演された。フェリーツェの手紙の文字がびっしり書きこまれた四本の角材で矩形の環をなし、その上を四つんばいになったジョーゴ状の視野狭窄たちが、文字や字形の余白を鉋で削っては読みとり、また書きこみながら進んでいくという、これまた単純反復作業である。ここで見落としてはならないのが、鉋である。手前に引くというその仕草は後方へ進むという運動を強いるからだ。ジョーゴたちは自分の足もと片々と削りながら、進むことは戻ることであり、戻ることはさらに進むことだという冗語的事態にあるのだ。石川舜では、それがもっと明快である。もはや反復も倒置も折り返しというものもないのだ。接合と解離があるのではなく、離接だけがあるということ。還るということはなく、さらに往く、二度往くということだけがある。言い換えれば、反復とは無限に反復することではなく、二度反復すること、即ち、前方への反復のことなのだ。

この前方への二度性の反復こそ、虚構された冗語から捏造された冗語である。イメージを断ち、メタファを断ち、二重の身ぶりを断ち、上演の無意識を断つことなしに前方への反復はありえない。見る=聴くことの変更はここに兆している。

(6)

宣言とは、半ば手紙に似ている。どんなささいなことであれ、そこに何かしら、虚を突かれるようなことがなければ書きそめられることはなく、その突かれた虚を浴びながらでなければ書き継ぐことはできない。仮に虚が埋められれば、手紙は不用心にも一行だけで、周到にも一字だけで封されることになろうが、実のところ、埋められるような虚は元々、突かれた虚とは別の代物なのだ。際限もなく書き誘う虚と、つどつどで書きさすしかない虚。宣言は、この二つの虚をめぐって書きさされた、と言ってもよい。書くことが止すことであり、止すことが書くことであるという二度性、即ち、前方への反復。それが、ここでいう書き止し、文字通り、冗語である。

言うまでもなく、前方には何もない。何もないがゆえに、たちまち、後方よりイメージやメタファやサイファ=ゼロ記号が旋回、逆流してく。のみならず、それらは錯綜と還流を繰り返し、またたく裡に渦動する巨大な気象図となって眼前を覆い尽くす。そこには問われるべき他者像、開かれるべき世界像、解読されるべき謎や未踏のサイファ=消尽点が、そして何よりも、書く=さすことの根拠までもが見え隠れすることになる。

しかし、事実は、前方に何もないのではない。そこには前方があるのだ。そう言ってまずければ、さすという、決して後方へは反復しえない、二度目の書くことがあるのだ。これは、どのような意味でも書くことの根拠ではありえない。それが二重の身ぶりと誤認されてしまうのは、後方へと反復する思考の無意識に囚われているからである。

宣言とはまた、半ば定款のようなものだ。勿論、手紙にカフカを断想していたように、ここでもヴィトカッツィの肖像画商会定款やルーセルの推敲を念頭に紛れさせている。定款であるからには、社名や組織らしきものが欠かせないし、今後、その具体的な細目が書き加えられるだろう。絶対演劇の仏語はテアートル・アプソリュだが、英語ならシーア・シアターが望ましい。前者だとモナーキーやデスポティズムも含意するが、後者にはその迷彩がない。反面、後者には、単なる演劇から切り立った演劇まで、薄地の演劇から移動する演劇まで、微妙な針の振れが感じられる。しんそこ単なる、シーアな上演ができるならどんなにいいか、そしてそれが険峻な出会いと薄地の歓びであればどんなにいいか、しんそこ思わないことはない。

考えてみれば、たかだか百年ほどの演劇史、さもなくば、ミトコンドリアの原細胞寄生に始まる何万年かの上演史にあって、奇妙なことに、宣言というものも、何とか派というものも聞いたことがない。美術や詩や思想だと枚挙にいとまがないほどだというのに、どうやら演劇はとことん考えぬかれた個別性が林立する領土らしい。それともよほど独我論に毒されているのか、単に接触恐怖に癒されているのか。少なくとも、絶対演劇派はそうした個別性とも独我論とも縁を絶った、独房性の専制をしく。それぞれに勝手に宣言が書かれ、何かのついでに顔を合わせるやいなや内紛に明け暮れる。あのイスラム過激派とたまたま同名の、しかし、それにしては軽妙な語調を匿さない、シーア派。冗語談義のあとでは、冗語としか思われかねない、そこがいいと思うのだが。

井澤賢隆・瀬尾育生・海上宏美の三氏の論考に深い示唆を受けた。特に、“仮説としての世界演劇(HMP)”批判として提起された“世界演劇”を、絶対演劇へと翻訳してくれた井澤氏には、不用心を欠かしてはならないと念じ、それが宣言という行儀に結実したということを付言しておきたい。(Sept.1991)

(初出「資料/シンポジウム「空白に隣接するもの」/1991.10.6)