過酷な現実に立ち向かう八戸の女性たち

過酷な現実に立ち向かう八戸の女性たち

伊藤二子

本州の北端、青森県を一つと数え、石を踏むようにして四十六個目の沖縄に辿(たど)りつく。遠いヨソへ来たとは思わなかった。毛の濃い、彫りの深い沖縄の人たちに、陸(みち)の奥の人、私は血族のような親近感を持った。その直後、写真展で民家の屋根スレスレの軍用機の群れを見た。絶え間ない轟音(ごうおん)が日常の沖縄の、どこに私の居場所があると言えるのか。寄り添うなどというキレイゴトでは通らない。

沖縄県立美術館開館記念「沖縄文化の軌跡」展、比嘉豊光氏らによる「写真0年沖縄」展と若手連動展、そして八戸から十六人が那覇入りしたモレキュラーシアター演劇「DECOY/囮=おとり」公演に臨む。この豊島重之演出の新作は、鵜飼哲訳のジャン・ジュネ「シャティーラの四時間」と野谷啓二訳のアルフォンソ・リンギス「何も共有しない者たちの共同体」をテクストに十一月三ー四日、沖縄県立美術館で三ステージとも満席だった。

抑揚をころした淡々とした語り(高沢利栄)。だが、内容は耳を覆うばかりの凄惨(せいさん)な惨殺死体の状況が、これでもかこれでもかと続く。それを受け止める俳優(大久保一恵・苫米地真弓・四戸由香ら)は無表情に、時に過酷の窮(きわ)まりにしか発し得ない不気味な笑いを見せて(とくに田島千征)、この時のこれ以外にはない姿を見せる。

演ずるという言葉では到底言いあらわせない。断ちきられたいのちを己のいのちとし、あらためて、より鮮明に断ち切ることをする。切られ、切り刻まれ、血を搾りきるまでに引きずりまわされる死体の最期の声を、聴きとり、聴きとどける。死者の声とひとつになって呻(うめ)く。ジュネが出会った死体たちは、この時、己の死をしっかりと自覚することができる。

北に住む者が南の島で何をしたのか、祈りか、鎮魂か。祈りでも鎮魂でもない。お手軽な鎮魂なんかであってはならない。ジュネの出会った死体をありのままに語るのみ。だからこそ死体は〈死の刹那=せつな〉を永く雄弁に語り継ぐことができるのだ。

那覇をたつ日、モノレールの窓にうつる沖縄新都心の高層ビルが巨大な墓石に見えた。林立するビルの礎石すべては無惨な死の記憶を持つ。多くの無辜(むこ)の沖縄県民、物のように各地からかき集められた兵士たち、高層ビルはそのことを忘れることがあってはならない。沖縄の死、シャティーラの死、世界中の死、あらゆる非業(ひごう)の死を、過去のものにしてはならない。

「デコイ」公演から刻々、時がたつ。だが、出演した八戸の彼女らの声、彼女らの敏捷(びんしょう)にして震度をもたらす動きは、私の中で重大な位置を占め、膨らみつづけるものである。(造形家、八戸市在住)

(初出:「東奥日報」/2007年11月13日)