ICANOFサスペンス=メガネウラ展の誘惑

ICANOFサスペンス=メガネウラ展の誘惑

豊島重之(ICANOFキュレーター)

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私たちICANOFの願いは、市民がアートをつくり、アートが市民をつくる、という双方向(インタラクティヴ)の動きをどう持続できるか、にあります。前4回の企画展も、毎回、来場者数2000名を数え、少しずつ浸透してきています。文化庁ボランティア支援事業としても、日本芸術文化振興会の助成事業としても、青森県地域活性化事業としても、一定の評価を得てまいりました。

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写真が平面であるのはなぜでしょうか。

二つの平面があります。タブロー(図表)とプレート(地表)です。

絵画がタブローだとすれば、では、プレートとは何でしょう。私たちが日常、見慣れている(と思い込まされている)地表もプレートですが、もう一つ、その地表を時として震撼させうる海底プレートも忘れてはなりません。この二重底の直下型プレートこそ、写真の写真たる岩盤なのです。

海底プレートには何が眠っているのでしょうか。カンブリア紀や石炭紀の古生物「アノマロカリス」や「メガネウラ」が眠っています。もちろん、そこには原記憶の中枢「ヒポカンポス」も原恐怖の中枢「アミグダーラ」も深く埋め込まれています。それらが時として眠りから醒める、いわば震源地、それこそ写真という平面に違いありません。

ICANOF結成5周年にあたり、「写真という震源地」をテーマとすべく、古生代(paleozoic)の生命体「メガネウラ」をタイトルに掲げました。

中生代(mesozoic)の恐竜と同様メガネウラは、一旦、滅亡して、トンボとして甦りました。トンボの「複眼」は、カメラの一眼レフの何たるかを示唆してくれます。現代社会の眩しすぎる光の氾濫の中で、2005〜6年の「新生代(cenozoic)の子供たち」は、微光にのみ感応する複眼を、ある意味で「ぎりぎりの生き方」としたのでしょう。その証拠に、トンボもまた私たちの身の回りから急速に姿を消しつつある。それが私たちの現在地なのですから。

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写真家は、朝から晩まで写真を撮っているのだろうか。そう、朝から晩まで写真を撮っている。さながらTASK=業務だが、とは言え、ただの一点もモノにならない日も少なくない。じゃ、ただ意味もなく、ボーッとしていることはないのだろうか。そう、ただ意味もなくボーッとしている毎日である。これって、ちっとも矛盾していない。カメラがいくら精巧な、高度にデジタル化されたハイテク兵器同然の装置ではあっても、その所産である写真は本来、いや、それどころか生来、ボーッとしたものだから。だいいち、狙って獲れるものを写真とは言わない。写真とは棒のようなものなのだから。

除夜の鐘が響く時節となるたび、コゾコトシ(去年と今年を)貫く棒の如きもの、という俳句が思い出される。鐘を突く棒が前後に揺らぐさまが抽出され、しかも「棒のようなもの」に転じてフィギュール(文彩)の強度を捕獲している。両端に日なたの闇と夜陰(やいん)の微光を分有する棒のタスク=日課。写真とはそのようなものなのだ。

それにしても除夜の鐘とは気が早い。気が逸(はや)ってしまうのはICANOF五周年企画展が2005年9月17日〜10月2日の16日間、八戸市美術館で開催されるせいだろうか。それもそのはずゲストアーティストがスゴイ。中平卓馬・森山大道・高梨豊。日本を代表する三人の「べら棒に」怪物的な写真家がこの八戸で一堂に会する。これまで一度もなく、今後二度とあり得ない「メガネウラ的」な出来事である。

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「南」にしか関心が向かないと思われていた中平卓馬は05年4月の5日間、八戸に滞在して「棒のタスク」そのままに写真を撮りまくった。その中から中平自身が厳選した26点を含む新作約40点をICANOF展で発表する。最近とみに海外での招待作品が多い中平だが、このくにの「北」での大量展示は初めてであり、しかも「ピン貼り」というワイルドな展示スタイルも初めてだ。キリからピンまでとよく言うけれど、キリの政治的現実に抗してピンの逆襲を含意した、いわば「北」が中平に「べら棒」を喚起した、そう考えるしかないではないか。

大阪生まれの森山大道を「北」へと駆り立てたものは何だったのだろうか。少年森山が東京をやり過ごして仙台の安宿での漂泊の日々=皹(ヒビ)の記憶に発端していることを忘れてはなるまい。或いは遠野物語の「遠い野のタナトス=死のドライヴ」。森山にとっての写真的な原生林、それこそ「MISAWAの犬」である。今回その「イヌの凶眼(きょうがん)」にICANOF展で再会することができる。ちなみに凶の字を間近に見てほしい。もっと目を寄せてしばらく注視してみてほしい。恐竜絶滅の中生代(メソゾイック)より以前の古生代(パレオゾイック)石炭紀のメガネウラが、そこにとぐろを巻いて冬眠しているはずである。

北でも南でもない高梨豊の「東京」とは何か。今回展示される高梨の大型新作もまた新生代(セノゾイック)の東京の風景を撮ったにもかかわらず、そこに「北」と「南」の二重底が透けて見えてくるのは私だけであろうか。森山が育った大阪にキタとミナミがあるように、高梨が育った東京は元々、キタやミナミからの人々が丹精(たんせい)した風景なのだ。その丹精の深部に北や南からの棄民(きみん)の夥(おびただ)しい消息が刻印されている。高梨が「平面性や表面性」に拘泥するのも、そのことを熟知するがゆえの不可避的な逆説から由来しているのではないだろうか。

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中平卓馬にとって「南北」とは何か。南にとって「南」とは、「北」から経済援助と(決して北へは波及しないという限定付きの)戦争を移植される「棒の左端(サターン)」であり、北にとって「北」とは、「南」から下草(したくさ)と(限定付きの戦争をそっくり模倣した)テロを移植される「棒の右端ないし下端(カタン)」である。

南に投下される資本とは、ケータイ・プリクラ・カラオケ・コンビニなど文化破壊商品であり、内戦を促進するしか能のない舗装道路や上下水道や産廃施設の建造である。一方、北に密航してくる下草=カソウとは単に安価な「キタナイ」労働力を意味しない。それなしに「キタ」は構造的に成り立た「ナイ」からだ。少子化高齢化社会はグローバリズム=グローカリズムの帰結である。

北に属すると錯覚されがちな、このくにが実は南の身の上であることを、ブルーギル・セアカゴケグモ・ミドリガメ・ホテイアオイ・ブラックバス・セイタカアワダチソウが実証した。留まることを知らないこれら外来種の拉致は、植生=文化さらにはパブリック・ドメイン=公共圏を激変させ、このくにを「サイボーグ国家」へ改造していくという意味では、所謂ラチと称するテロより、はるかに深刻でフラチなテロに等しい。

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「徹底して寡黙な」中平の写真を見るだけで、誰もがそのことを痛切に思い知らされるだろう。

なぜなら中平のメガネウラ展は、北の「馬」の「卓」絶した失語からスタートしているからである。その意味では9月17日(土)オーブニング特別プログラムは見のがせない。14時半〜トーク①中平卓馬・八角聡仁(京都造形芸術大学教授)「写真の<北>と写真の<南>をめぐって」。〜トーク②森山大道・前田恭二(読売新聞社美術記者)「文字と写真とフィギュール/視覚メディアの地政学」。〜トーク③高梨豊・暮沢剛巳(美術評論家)「写真の平面性と全面性をめぐって」。三者三様の「現在地」をめぐって作者自身がどう語るのか、興味は尽きない。翌18日も、それ以上にサスペンスフルなのだが、序としては、この辺で留めておく。

ともあれ、少なからぬ叱咤・支援なくしてこの図録は日の目を見なかったことも事実である。

「日の目」——それこそ「メガネウラなる古代トンボ」に、言い換えれば「死者たちの絶えざる帰還」を明かす「羽根の生えた蜻蛉(しょうりょう=セイレイ)」に、遥か原生代(proterozoic)=前カンブリア紀の真核生物から移植された「写真の目」なのではないだろうか。

(初出「MEGANEURA/ICANOF2005」/2005.09.17)