写真展にて

写真展にて

豊島重之

しゃしん Ⅰ

はかりやさんの みせさきでは

はかりが はかられている

しゃしん Ⅱ

ふりこは もじばんをあやしながら

ふりこへと ゆきかねている

しゃしん Ⅲ

はかりやさんの みせさきでは はかりが今日も

昨日も はかられていたし 明日も はかられているが

何回となく はかられるのは 用をなさない

もちろん はかりやさんだから 種々さまざま

もっとも どれもこれも はかりばかり

中でも一等 うすぐらいはかり ワイセツなはかりがあって

通りすがりの挨拶がわりに 顔を近づけようものなら

主人はすごい剣幕で そのはかりともども

物置に閉じこもったっきり しばらく店に顔を出さない

(どうやら 天井に錐をたてているのだ)

しゃしん Ⅳ

懸垂生活

しゃしん Ⅴ

右上の隅から左下へ流れる川があり

右下の隅から左上へ流れる川があり

それでいて 交差していない不思議な川がある

蝉 と 拍手が 一斉にやんだ

しゃしん Ⅵ

ここはどこかを語っておかなくてはならない ここは ここに棲

むものにとっては うっそうとした森だ ところが 川向こうから

水平に遠望すれば 無造作な石組みの市だ その磊落ぶりに うっ

かりすれば 蜃気楼と見まごうほどだ 磊落とは言っても たいが

いはホッチキスの針か門構えに似た三石構造を几帳面にとっている

のだが それが点景としか思えないのは やはり暑い盛りの川いき

れのせいだろうか それとも どうした風の加減か 時折り 耳に

及んでくる市の喧噪や物売りの眼の粘り気のせいなのだろうか

等身大の振子は

石室と 羊の群れとをゆききする

石室の中天にさしかかれば

容赦なく骨が降って

思いきりよく 晴れあがる

羊の群れ と思ったものは 満天の星であった どうしてこんな処

にこんな一夜の偶然が そう言えば この岸辺に点在する十二の孔

は 消えた羊の十二の跫跡というよりは たしかに鉄槌でうちぬか

れたものだ まだ少し 熱をもっているし まだ少し 血の匂いも

している 誰もが 一度は覗いてみるのだが いつでもそこは昏く

て なんの変わりばえもない まあそこはそれ 歩哨だけはたてて

おこうというわけだ

では私は 十三番目の孔であった

十三番目の 直立する孔であった

満天の星を頭頂部から吐きながら 歩行する孔であった

もし私の頭頂部を真上から見おろす者がいるなら

その昏い ネバネバした深奥から

ゆっくりと膨れあがる私の眼球に出くわしたにちがいない

おお せりあがる赤道直下 ふりおろす赤道直下

放尿しながら歩行する 飢饉の赤道直下

奔しる先から石化する 放尿の赤道直下

世界 人格 ちゃんと失禁せよ

ちゃんと失禁してから 振り仰げば

ゆらりと 日の岸 大きな翳りとなって流れている

しゃしん Ⅶ

はかりやさんの御主人には

川っぷちを散策するという日課がございます

橋にさしかかる度に足をはやめ

橋をやりすごすと また元の歩調に戻るのでございます

川の深さを速さで測るという芸当もあるにはありますが

やはり一番は 時計の速度で歩くことでございましょう

これはいつ誰にでもできるという代物ではございません

歩くとは その背後に身を匿すことでありますから

ふつう 自分と同じ速度にあるものだけが見えるわけでして

それより速かろうが遅かろうが

なめし皮で剃刃を研ぐ音のような気配にしか思われません

だから時計に合わせて歩くとは

時計の位置に自分の体を置き忘れて

一巡りしたかのように戻ってくることでございます

しゃしん Ⅷ

一枚の写真に照らされて

朝が ひとつの偶然のように消滅する

そこには 誰も間に合わなかった

一枚の 写真に 照らされ て

窓が ひとつの意志のように閉ざされる

そこには かつて いくつもの窓がひしめき

いくつもの朝が

いくつもの吐息が

いくつもの消滅が

一枚の写真が ゆっくりと落ちていく先

写真が映しとったものは

ここが何処かでも 私が誰某かでもなく

それは鏡ではない以上

写真 という二字であった

一枚の写真が 音もなく まばらに落ちていく先

日の切れ目 無風の傾きへと 見えなくなっていく処

しゃしん Ⅸ

いま 目の前をよぎったものは何だ

椅子 膝を揃えた女 睡っているように眼を閉じて

他には誰も 膝の上には読みさしの本が 他には

いま よぎったのは何だ

ひんやりとした冷気 白い柱 入口近くの椅子の女

白く艶のある太い柱 糸屑が冷気の澱みに浮かんで

ああ 手術用の縫合糸だ いや 一枚の赤茶けた紙

リノリウムの床の ほんの少し歪んでいるところ

青いもや 黄色い点 青い矢印 いや 黄色い丸

いま いま肩ごしに立ち去ったものは何だ

私の背後に うっそうとした森の地勢がパックリと口をあけて

にわかに躁めく ガラ空きのポリフォニー

(黙せる者よ

黙せる者よ

黙せる岸よ

なんて喧しいんだ 一枚の紙よ

等身大の振子よ)

朝と 毎朝を跨ぎ続けている者よ

しゃしん Ⅹ

はかりやさんは 非番の物見である

あの十二の孔の付近には

ここ何年となく 寄りつく人などいやしないし

だから ひとりで ぶっきらぼうな野点

寝しなのひとさし とめどもなく洟を かみ

物置は壁ごてで丹念に塗りこめてから いつもの散策だ

自分の足に追い抜かれまいとして

つい小走りになることも 計算の上だ

川伝たいに走っているつもりが

おや 橋の上を走っているじぶんだ ということは

この橋は川に平行してかかっていることになる

だから 走らずに歩く すると橋は元の身なりに戻るらしい

左手に 老舗の銀行のような石造りの建物

看板はどうやら 写真展 とだけは読める

吃音者たちが 雨足のように屯ろしているのが見える

彼らは彼ら同士で囁やく時には 決して吃らない

サラサラと 脳砂の音のように囁やきあっている

日に充分に晒された風景に 脳砂のような雨が降っている

今日は なんて橋の多い日なんだろう

右手の森から 一斉に鳥が翔びたつ 虻が

雲がにわかに沸あがる 空の接線が激しく波うつ

森が海のように時化て 木屑や貝片を夢中で嘔吐している

髪ふり乱した森をかきわけて切っ先 切っ先が見えた

等身大の振子が 日の川を渡ろうとしている

停止だ

停止 !

(停止 !

             絶対に停止 !

俺はここだ ここにいる

俺の位置は 手の位置 石の位置 紙の位置 停止 !

今日は なんて橋の多い日なんだろう

俺の位置 停止 !)

しゃしん Ⅺ

空の色

雲の形

では 私は 無色の虹におりたつ無色の嘴

では 私の

まる と しかく の 千人針

しゃしん Ⅻ

前列右から

A氏の長男

本家のお婆さん

町内会長の奥様

奥様が小脇にしている分厚い電話帳

森田正馬氏と正馬氏の手にした捕虫網

B氏のくしゃみ

隣家の娘が大事にしている黄色い手乗り文鳥

露路の突きあたり

髭をおとしたばかりの老羊飼い

A氏の耳もとに密集するしみと しみに生えた数本の毛

A氏の腕に接した 誰のものかも右か左かも判らない腕

文字盤の孔の一つや二つ

今しがた強姦してきたばかりのトレパン姿の自転車乗り

ペラペラとめくられている本と 睡ろむ椅子の女

それを遠巻きにしている吃音者たちの口臭

沢田研二氏

一枚の白紙を載せた台秤の目方

台秤を懐に抱えて目をむいている秤屋の御主人

御主人の頭頂部でからくも均衡を保っている竿秤

新聞を拡げて顔を匿しているB氏の弟の子供

その新聞を切り刻んでいる整髪用の鋏

紙吹雪の降りしきる中 品をつくる白衣の女の腰の線

赤い点線 糸屑のように浮かんでいる白い線分

果液を分泌している静物

点滅する緑色の矢印

竿秤の分銅の微かな振れ

この振れと均りあっているものは

口臭 仮眠 向こう岸をゆく自転車から投げかけられた笑顔

いや あの粘り気のある薄暗い孔 付け根がどこか判らない

りゅうとした腕 しみ それとも耳 消えた羊の群れ 便臭の

漂ようあたり 黄色い嘴 B氏のくしゃみ いやB氏の口渇

あるいは今なお 森の中を跳びまわっている捕虫網 燃える電

話帳 次々と燃えていく名前 燃える沢田研二氏 燃える森田

正馬氏 次々と燃える一枚の白紙 さまざまな丸や四角 雑巾

刺しの夜なべ いいや 持病の小児喘息 その右隣りのチュー

リップ畑の赤や黄の満開 赤や黄に染まりながら 万雷の歓呼

と銃声に応えているゼノ・ゼブロフスキ師の口 石室から一週

間ぶりに生還した山田竜真師の口 嘔吐し続けている十二の口

装置解除から五年たってもまだ自発呼吸を続けている口 その

右隣り 赤や黄の無数の旗が 光のように翻って そのまた右

隣りには聖歌隊の子らの口という口 光のように旗めいて 町

じゅうの玄関という玄関が開け放たれたまま その隣りの矩形

その周囲を四垂とささらで飾られた矩形の場所 ああ ここだ

この写真展会場 この人気のない一枚の紙の表面 ところどこ

ろ白く光って まだらに粒子がとんでしまった 何も映ってい

ない部分

後列中央

はい 鳩が出ますよ はい そこ 動かない はい その後の

方 お顔をこちらに はい それで結構 それでは参ります

〈はい〉

1983年東北演劇祭にて上演された千一年・女組による「写真展にて」のためのテクスト

初出「ソフィスト vol.4」(1982年)