トータルメディアno.4

詩劇領域から

豊島重之

トータルメディア

VOICE

        武沢和雄・三上祐一・山本敏克・泉仁美・シバ

DANCE

        滝田みゑ・豊島和子

ART

        菅沼他美夫・鈴木芳雄

EFFECT

        盛隆

PROJECTION

        小瀬川雅俊・豊島重之

この醒めきった時代、何事もなく、いつまでも風化したっきりの我らの時代、一触即発の危機感など掃いて捨てるほどあり余るこの列島、風も吹かなければ屋根も飛ばない我らの精神、現代というには余りにも無欲なこの世代——人々は、巨大な無関係のさなかで、ただただ振り返るだけ、ひたひたと一歩前を往く者をどうして、どこの誰が、知り得ようか。最早、ドッと汗の吹きでる軀のひとつだってありはしない。

八戸は、唯、一片の夢も忘れた・・・。

公会堂落成以来ますます、興業という名の愚者駄作が中央からこの八戸に流れてきている。面白くもなんともない層をあてこんで、毒にも薬にもならない路線に乗っかって、この程度で充分だといった思わせぶりな体裁と救いようのない計算でやってきては、お茶を濁して帰っていく。くる者くる者が等しなみに、TVの、あの薄らぼけた四角い顔をしているのは、そこではもっともな事だ。何から何まで適当で曖昧でお座なりの居直りなのだ。しかも、八戸の若いエネルギーの殆んどは、そんなところで満足気に取りすまして公会堂の座席におさまっている。なんとひどい文化状況ではないか。

なんと貧しい我らが風土ではないか。

けれど、多少なりとも“針のふれる感性”なら気付くだろう。今、八戸に、しかも熱い層に、痛切に求められているのはそういう類いのものではないと——。最も正当なかたちでやってくる最も清冽な姿、それこそが我らの時代の感性によって、激しく要請されているに違いない。百歩ゆずっても、どんなに安易に構えたとしても、これだけは最小限、言わなくてはならない。——最も純粋な対話、最も原始的な出会い——くる者とむかえる者との双方のきもちは、ここに根ざされなくてはならないのだ。

(初出:フリープレス「トータルメディアno.4」/1977.12.10)