マネ/写真と絵画のイスムス

マネ/写真と絵画のイスムス

豊島重之(ICANOFキュレーター)

写真が発明され、次第に流布しつつあった1860年代、当時の画壇にスキャンダルを巻き起こした「草上の朝食」で知られる画家エドゥアール・マネのサロンには、のちに印象派と称せられることになる、クロード・モネを始めとする野心的な若手画家達が集っていた。そこには驚嘆すべき未知の絵画が、あたかもミュータントのごとく次々と制作されていたからだ。江澤さんの著者に触発されながら、その一端を下記に要約してみたい。

(1)主題の変奏・無化/たとえばティツィアーノやクールベやゴヤを、マネもまた同じ主題で制作する。何が違うのか。先行作を覆っていた「寓意=アレゴリー」は微塵もない。同じ主題を扱いながら、主題を構成する絵画上のテクスト=物語性に、マネは徹底して無関心である。その典型はマネの「オランピア」。全裸の娼婦の眼差しは、この絵を観る我々の眼差しにまっすぐ直交していて、観る者はつい目を背けたくなる。この「正面性」こそ「絵画そのものの裸体性」にほかならず、それを現前(の不在)と呼ぼうが不在(の現前)と呼ぼうが、タブロー自体の赤裸々な「地峡」がそこに生じているに違いない。

(2)写真的な身振り・宙吊り/写真はまだまだ揺籃期にあったが、マネほど「写真の行く末=末路」を見抜いていた画家は他にはいまい。とりわけ「バルコニー」の複数的な視線の宙吊り。「アトリエの昼食」「エスパダの衣装を着た若い女性」「死せる闘牛士」などの宙吊りにされた身振りは、写真が常に既に「死体写真」であることを端的に明示している。1880年代の傑作「フォリー=ベルジェールのバー」は、百年後の「フォト/スーパー・リアリズム絵画」の先駆けというより、写真の「究極のモデルニテ=近現代性」を、まさしく今、予兆しているとすら過言したい気に駆られる。

(3)筆触の戦慄・色班の突然変異/誰もが「テュイルリー庭園の音楽会」の画面中央に配された筆触のムラに、得体の知れない不安を覚えるだろう。あたかも露光に時間を要する大型カメラで捉えた群像の一部が、不測の事態のせいでドッとブレてしまったかのようだ。その部分だけ荒々しい筆触が施されて、というより、色班が勝手に形象をはみだして音もなく蜂起したかのように。1873年「海岸にて」では、左手の女性の微風にそよぐ姿態の輪郭の随処に、また、右手に寝そべる男の黒い肉塊にも、不穏な液状化が生じている。そのマネを評してバタイユは、「アンフォルム=不定形」に通脈しそうな「グリスマン=滑りゆく変化」を囁いていた。しかし、それらの色班は一体どこへ地滑りしていこうというのか。

タブローの「内在平面=プラン・ド・イマナンス」へ。——ここから先は、9月23日の江澤さん講演と、矢野静明さん伊藤二子さんを加えたトークショウに期待してほしい。

(初出「ISTHMUS/ICANOF2007」/2007.09.12)