オニロイド体験に満ちた魅惑的な次元

オニロイド体験に満ちた魅惑的な次元

A Fascinating Dimension Filled With "Onidoide (oneiro-delirioms experience)"

フェリックス・ガタリ

Felix GUATTARI

あなた方の作品は、まさしくテアートル・モレキュレール=分子状劇場というその名の通りであり、とても興味深く感じました。そこでは二種のオペラシオネル=操作的な方法がとられており、私の術語でいうとそれはデ・テリトリアリザシヨン=脱場所化とリ・テリトリアリザシヨン=再場所化です。

まず、脱場所化の要素は(漏斗による)顔の表情の抹消や鋭い切断の身振りで表されており、それらは私に「文楽」を連想させるものでした。つまり身振りと個人との間に築かれる距離、お望みなら、距離とそのデコラージュ=剥離と言ってもいいでしょう。しかもその身振りは、もはや個人に固有なものではなく、コレクテフ=集列的なものと化している。言いかえれば、個人に属する古典的な主体、いわばユニテ=統一体としての主体が、別のシステムを再構成することによって脱場所化の要素に、いわばプロセシュエル=過程状の主体に転じているわけです。ここで問題となっているのは、テリトワール=場所とのそのプロセス化ということになるでしょう。

場所は、ちょうど「相撲」の土俵のように床面に縁どられていることから明白ですが、だからといって私は、内部/外部といった二分法には全くこだわらない。むしろそれは、二つの反復しつづける円環装置で枠づけられた“もうひとつの場所”というべきでしょう。その上、声や音やノイズといったさまざまな諸記号がさまざまに脱構成されていましたが、おそらくこれが舞台化される時には、さらに照明効果や綿密な道具立ても加わって、ポリフォニックな様相を呈するのではないでしょうか。そこでは、記号論的にエテロジェーヌ=不均質な諸要素が場所化され、脱場所化され、また再場所化されたりするうちに、“分子状過程”ともいうべき<“アンタンシテ=強度”のシステム>が実現されるのでしょう。

もうひとつ興味深いのは、もはや自己同一化や主体性確立のためのリビドー経済ではない、もうひとつのエコノミーをあなた方が実現していたことです。それは、セクスアリテ・マシニックと私が呼ぶ“機械状性欲”によるエコノミーなのですが、あなた方の作品は、この“機械状性欲”を独創している点で、充分に特徴づけられています。今この“場所”のあちこちに出没した“機械状性欲”をどう語ったらいいでしょうか。一見して私ならドゥヴニール・アニモ=動物—変成とか、アジャンスマン・コレクテフ=集列的布置とか名づけたいところですが、しかしそれは、これこれこういうものだとか、具体的に定義づけることが決してできないものなのです。

こうした夢幻的かつ魅惑的な次元は、今のところ“脱場所化”されたセクスアリテあるいは“抽象機械”のセクスアリテと呼んでおくしかないでしょう。この“性欲”は至る処に根を張りめぐらしていて、造形のレベルとか、音の、身体の、そして身振りのレベルとか、多様な領域に多様なフォルムで現れる以上、かつての精神分析でいう“昇華”といったタームでは全くもって分析できません。というのは、精神分析では性欲のあるきまったフォルムだけが問題となるからであり、性欲は“象徴”であるほかないのですから。

私たちが問題にしているのは、くまなく不均質な次元でくまなく不均質に出没する機械状性欲の“集列的なフォルム”なのです。あるいはこう言ってもいいでしょう、精神分析では(サ=無意識を永遠に模倣しつづける)“意味の参照作用”の無限反復から人は一歩も脱することができないのに反して、今、私たちが取組んでいるのは、オペラトゥール・エグジスタンシエル=実在的操作子を駆動させることなのだと。

ともあれ、脱場所化された<セクスアリテ・マシニック・アブストレ=抽象機械状性欲>の次元がここに現出したこと、そしてそれがオニロイド=夢幻症(*)にも似た衝撃力を私に与えてくれたことは、疑うべくもありません。

以上が、今晩の演出構成のシステムについて、大まかながら私の言いたかったところです。

1987.1.24

Speech by Felix GUATTARI

Translated into Japanese by Shigeyuki TOSHIMA

Thanks to Yuri NAGANO, Emi IWANAGA, Maimi SATOH, Jean VIALA

* 仏文ではオニリックになっているが、このあと雑談になってから、ガタリ氏は、オニリックではなくオニロイドだったと強調している。オペラシオネル、プロセシュエルも同様。ちなみに、オニロイドの病態は、第一に生々しい幻視あるいはパレイドリア(錯視)、生々しいドラマ性、第二に強い情動負荷、作業せん妄、第三に意識変容、等である。

・ガタリ氏は、国際交流基金の招聘により、87.1.24〜25に来八し、精神科医・演出家豊島重之と芸術療法や演劇思想について懇談した。

(初出「f/F・PARASITE」/1987)