演劇のアポトージス第一章

演劇のアポトージス 第一章

豊島重之

(1)

——自分が話すのを最初に聴く者は自分であり、最後に聴く者も自分である。

——〈いま・ここ〉から出でよ。それが絶対演劇である。

(1991年拙稿『絶対演劇第一宣言』より)

(2)

こうして絶対演劇は始まった。

終始、「名=nom/ノン」としての上演、「数=nombre/ノンブル」としての上演である以上、そこになんの衒(てら)いもどんな昂(たかぶ)りもない。「私は、ここで何か新しいことを語るつもりはない。」というポーランドの劇作家・写真家・肖像画家ヴィトキェーヴィチ『純粋形式=チスタ・フォルマについて』の書き出しをここに付け加えてもよい。名の演劇つまりナノ・シアター、「微分子状=molecular/モレキュラー」どころか「極微=nanism /ナノ・レヴェルの演劇」、とすれば古いも新しいもあるまい。「nano/ナノ」が最新数学理論・最先端科学技術のパラダイム・シフトの所産だとしても、私たちの思考はいつだって何らかのシフターの所産であるほかないからである。

(3)

現に、1992年『絶対演劇第三宣言』(図書新聞掲載の拙稿)が書き継がれたあと、翌93年『Footnoted/フットノーテッド=脚註演劇』上演(八戸パラボラ初演/両国シアターカイ再演)以降、絶対演劇はあっさり「Passage/パッサージュの演劇」とリワーディング=書換されたし、96年アデレード芸術祭招待のオーストラリア公演以降は、ベケット後期の散文『Worstward Ho』に基づく『HO/ホーの演劇』(八戸リセ初演/埼玉県立近代美術館再演)へと、さらにパッサージュ=相転移してしまった。

ちなみに、2004年に赤坂の国際交流基金フォーラムで公演された『HO PRIMER/ホー・プライマー』は、ブレヒトの四行詩つき報道写真集『War Primer=戦争入門』に触発されたものではあれ、モレキュラーの場合は二通りにリワーディング/パッサージュされてしまう。「呆の入門」であるとともに「法の雷管」へと。それが演劇のシンタクス=統辞法であれ、自己決定権や自己非決定権/非自己決定不能権が問われる大小さまざまな公共圏の統辞法であれ、いかにして法のプライマー=雷管を引き抜くか。それとも「呆=ホー」の門を叩き、呆の奥処に達することで法を脱する禁じ手を採るか。誰の目にも明らかなのは、戦争のプライマー=初心者たることはたやすいが、「呆のエチカ/ethica」のプライマーたらんとすれば、どれほどの難路を朝な夕な往かなくてはならないか、いくら卒中/悶絶を繰り返しても足らない、めくるめく心地がするということだろう。

(4)

ひとつには、上演のためのテクストを自分では書かず、きまって誰か他者のテクストをパッサージュ=引用することに定めているからだ。カフカの書簡・ヴィトキェーヴィチの定款・ルーセルの推敲・ベンヤミンの脚註・ベケットの「散」文・ヴィトキェーヴィチやベンヤミンの薬物実験ルポーーー。したがって上演もまた、そのつど定款の書法に即した奏法から、脚註の書法に即した奏法へとシフトせざるを得ず、しばしばコカインの奏法からヘロインの奏法へとシフトしていくことにもなる。

そこには秘蹟めいたものは何もない。定款や脚註が示すとおり、あからさまに「名と数の上演」が一気に与えられる。さながら稲妻の一撃に照らし出されたパオーロ・ウッチェッロ『狩猟』のように。ベンヤミンに即して控え目に言えば、「壁の演劇=解読性の演劇」に対して「アーケードの演劇=翻訳性の演劇」ということになろうか。

そこに壁があるから、壁が立ちはだかっていると思うから、その壁の向こうを解読するような上演が横行する。もし、それが壁ではなくアーケード/バッサージュであったなら、俳優も観客も難なく通り抜けていくはずである。異語から母語へ、ある言語の近望から別の言語の遠望へ、むしろ母語に埋め込まれた異語へと。むしろコカイン的幻覚からヘロイン的幻覚へと。「難なく」とは言ったが、通り抜けが「パッサージュ=翻訳」であるためには、絶えずそれがテクストとの多孔性を帯びた「カンタータ/cantata=交声曲」でなくてはならず、辛うじて「非同一性の抵抗」を排する/廃する「同一性の解読/解読の同一性」に陥らない限りにおいてである。

(5)

冒頭のパッサージュ=断章すら、ラカン由来どころかベケット/ベンヤミン由来とみるほうが適わしい。たとえば写真の露光におけるクリック音のことではないかと。そうした背水的な思考が、モレキュラーを前述の『HOの演劇』を契機とする〈写真演劇〉に駆り立てたのだから。既に触れたブレヒトの報道写真つき四行詩集「photo-epigramm=フォト・エピグラム」とともに、ジュネ『シャティーラの四時間』(鵜飼哲訳)における二つの断章「写真は二次元だ、テレビの画面もそうだ、どちらも端々まで歩み通すわけにはいかない。」と「一つの死体から他の死体に移るには死体を飛び越えてゆくほかはないが、このことも写真は語らない。」を見過ごしてはなるまい。

ブレヒトの提唱する「叙事的演劇=Epic Theater/エピック・テアター」の最良の果実が、この『戦争入門』であったことを写真史家倉石信乃氏以外の誰も指摘しないのはどうしてだろう。演劇批評家の怠慢を嘆いている暇は私にはない。「epigramm/エピグラム」とは警句というより「寸鉄」であって、文字通り写真の「リリックならぬエピック」の一撃に等しい。その寸鉄を正しく見抜いたのが、上述のジュネの「虐殺現場入門」であり、私に言わせればそれこそが「呆=ホーの入門」なのだ。それがジュネの凄まじいまでに壮大な長編叙事詩『恋する虜』(鵜飼哲ほか共訳)へと結実していく、寸鉄の一閃でもあったのは、もはや周知の事実だろう。モレキュラーの〈写真演劇〉が、これらブレヒト/ジュネに遠く及ばないにしろ、成すべき仕草がもう何一つ残されていない、おそるべき焼成の残滓(ジュネ)とは言えないまでも、鉄壁の写真史/写真紙の硬質をゆくりなくも穿孔する一つの契機であるには違いない。

(6)

引き返そう。冒頭の二つのパッサージュはややもすれば、〈いま・ここ〉をモノローグ的な自閉空間とみなして、そこからの離陸が企まれている、というふうに順接的に読めなくもない。だとしても、話す主体と聴く主体を切り分けるラフな裂け目に噴流してくる、これまたラフな言語的無意識を示唆したいのではなく、「それが」つまり「その言表の全文が」絶対演劇だと名指しているからには、「から・出でよ」に〈いま・ここ〉以上の強度や浮力がことさら託されているわけでもない。

たしかに演劇は、身体の現前という〈いま・ここ〉信仰のいまだに根強い「死にぞこない」のメディアである。演劇は癌なのかペストなのかという、かつての鈴木忠志・寺山修司論争も〈いま・ここ〉批判の亜型とみることもできよう。私の薄れた記憶によれば、中世ヨーロッパに猖獗(しょうけつ)を極めた「ペストの演劇」を標榜するアルトーを担ぎ出した寺山に対して、古代ギリシア悲劇に肩入れする鈴木は、ヨーロッパもペストも一時の流行り病い、いわばローカル/エピデミックであって、なんら世界性/普遍性をもち得ず、仮に演劇がグローバル/ユニヴァーサルだとすれば、古代・中世・近現代に限らず誰もが罹りうる、突然変異のキャンサーを強調する。ペストもアルトーも身近ではないこのくにの読者にとっては、ギリシア悲劇にもチェーホフにも広範に適用可能な「演劇はキャンサーである」という鈴木の抗弁のほうに一分の利があったのは言うまでもない。

それでも寺山は、演劇や身体にとって癌など突然変異の異物でしかなく、つまりは外科医を儲けさせるだけの昨今の医療制度/制度的な権力の所産でしかなく、要するに「病院的メタファ」にすぎないと。それに反して、ペストは、演劇や身体のみならず「社会体=ソシウス」全体を、病院どころか工場・学校・兵舎・国家すら廃絶してやまない、そう反論に及ぶ。ここで興味深いのは、後年、鈴木が「世界は病院である」と、なかんずく「演劇は精神病院である」と謳った演劇を多産していることだ。ほれみろ、草葉の蔭から訛りのある声がする。これが前述した写真のクリック音なのだ。

(7)

はたして演劇は、体内/社会体=ソシウス内の異物なのか、それとも病院であれ国境であれ、あらゆる制度的な権力システムの廃絶なのか、要するにキャンサーなのかペストなのか。ここに近年の「AIDS=後天性免疫不全症候群」のレトロウィルスや「O—157」のベロトキシン、アルツハイマー病の「β—アミロイド」や「BSE=牛海綿状脳症」の(感染能を会得した)プリオンや鶏インフルエンザ・ウィルスなど、この先ますます引きも切らない未知のバクテリアや病原体を加えてもよい。しばしば自己免疫不全のあからさまな徴候を、体表全体に浸透/露見させかねない「retro=レトロ」を懐古/回顧と誤解せずに、「reverse transverse oncogenic=逆転写された非自己」とみなせば、そこにはもう一つの未知の病原体に私達は突き当たるだろう。写真である。

いずれにせよ、内的・外的にせよ、自他の境域に兆すにせよ、演劇の死/死の演劇、いわば「necrosis/ネクロージス=壊死」が問題視されている。そしてそれこそが、死にぞこないのメディアを生き延びさせてきた凡庸きわまりない演劇的無意識の別名なのだ。

であればこそ私達は、『死の演劇 宣言』を突きつけては『芸術家よ、くたばれ!』と呪詛しえたタデウシュ・カントールと、『想像力は死んだ、想像せよ』と異言を繰り出しては『Stirrings Still/スターリングズ・スティル=死後硬直寸前の直立跳躍』の離れ業をやってのけたサミュエル・ベケットの二人を、いかなる病院的メタファからも切り離し、絶滅収容所的「メトニミー=換喩」へと、頭上すれすれに低空させることとしよう。

(8)

翻って、「から・出でよ」とは、ぜんたい何なのか。

言うまでもなく、〈いま・ここ〉に寄生する「epizoa/エピゾーア=寄生体」である。まるで「para-site/パラ・サイト=場ちがい」のごとく〈いま・ここ〉の「epiderme/エピデルム=外皮」に「パラサイト=誤寓/仮寓/娯寓」さながら寓居しつつ、ベロやペストやキャンサーと違って、異物と呼ぶにはあまりに慎ましく、ひたすら一方的に養分を奪うかにみえて、プリオンやレトロウイルスとも異なり、宿主=ホストに壊死=ネクロージスをもたらすことはありえない。寄生を「symbiosis/シンビオージス=共生」のヴァリアントとみる向きもあろうが、共生はあくまで異物同士ゆえの共生であり、共生を劣化させないためには互いのネクロージスも辞さないのが、シンビオージスの最たる所以である。

ところがエピゾーアは、およそ異物らしくない「無口な隣人=ゲスト」であって、宿主の外皮に苦もなく同化しながら、外皮をこえて内部へは決して踏み込まないほどの「epic/epizoic=エピック/エピゾイック」な無口ぶりなのだ。それは、目にもとまらぬ超高速で「stirring/スターリング=顫動/励起」している「still/スティル=静止」の事態に似ている。いや、「stirring/スターリング」があまりに複数形であるがゆえに世界は微動だにしない、と言うべきか。

宿主も世界も端然としている。スティルに撮られる事前と、クリック音が響いた事後との間になんらの変化も認められない。なぜなら、カメラに撮られた肖像もそれによって失踪してしまうわけではなく、クリック音に切られた風景も何処かヨソに移築されてしまったわけではないからだ。肖像も風景も、あくまでそこに留まり続けている。そういう写真が、とは言わないまでも、モレキュラー式〈写真演劇〉が、エピック=叙事的/エピゾイック=寄生的であるのはこのためである。

(9)

言い換えよう。〈いま・ここ〉〈から・出でよ〉という絶えざる運動性こそが、〈いま・ここ〉の身上である以上、もともと〈いま・ここ〉と〈から・出でよ〉とは似た者同士、ほとんど「tautology/トートロジー=冗語反復」ではなかっただろうか。

同様に、冒頭の二つの抜き書きもまた順接どころか、一触即発の「equivalence/エクイヴァレンス=等置/等価」ではなかっただろうか。すなわち、ここで看取すべきは、他者性の拒否と出来事性の無化であって、その「para-cite/パラ・サイト=平行的引用」ではなかっただろうか。

(10)

寄生はむしろ生体の死ではなく記憶の死にかかわる。それもまた写真のメトニミーであろう。言うなれば、脳内髄質の他殺的なネクロージスに対して、外皮質ニューロンの「自殺=apotosis/アポトージス」と等置されてしかるべきものだ。アポとは、「apostrophe/アポストロフィ」のアポ=離陸・省略であり、論脈を中断させる不意の呼びかけ=頓呼(とんこ)法のアポでもあり、さらには「Theatre absolu/テアートル・アプソリュ=絶対演劇」のアプ=解離・剥落と、語根をともにしているのを忘れるわけにはいかない。

枯れ葉はなぜ、はらりと枝から解離するのか。腐葉土の未来を予知したかのように。巨象はなぜ象の墓場を知っているのか? 17年ゼミはなぜ? 理由を問うことは演劇には少なくとも赦されてはいない。予知/予測なしに、なぜか私達はそうする。そうしてしまうのである。あたかも老化や癌化を予感したニューロンが、そうなる前に自ら蒸発=「消息を断つ」ようなものだ。

上述したレトロウイルスの免疫不全に対して、アポトージスは、楽節における頓呼法めいた「Zesua/ツェズーア/Caesura/セジューラ=中間休止」と言ってもいい。もっと過激に、ナノ・レヴェル記憶素子の「存在停止」であると、そう言ってもいい。

絶対演劇が「HO=呆の演劇」に変奏されることになるシフターを、ここに見いだすことができる。

(11)

カントールの演劇『死の教室』と同じくらい、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』をよく憶いだす。「1+1=1」。水浸しの廃屋の朽ちた壁に、そう書きなぐられていた気がする。方法主義宣言にも少し触れたが、私は「11」というノンブルと「el-even」というノンに、イーヴンの否認がイレヴンだという「名指し=デノミネート」にずっと拘泥してきたようだ。その「11」に達した。そのことをまず率直に悦びたい。

拙稿「演劇のアポトージス」は1997年刊「映画芸術」誌に掲載された。当時の斬新な編集陣によって「VOID通信」と命名された連載スペースの一翼を担うはずであった。そのコーナーのタイトルを要請されて「エピック:エピゾイック」ではどうかと提案したら、即座にそれでいくことになった。私にとって演劇のVOID=空白はブレヒトの「エピック・テアター」であり、私が試みたい演劇のVOID=裂け目は、他者のテクストに寄生する「エピゾイック・シアター」であったから。その「エピ/エピ」を念頭におけば何回かは書けそうだったが、一度きりで終わった。なぜか一度きりで同誌編集部の陣容が入れ替わったからだった。

翌98年その「VOID通信」のデノミネーターが新たに始めた《sagi times》誌に、『フィルミスト:アルトー』など数回、拙稿が載った。私にとっては本稿以上の「rough/ラフ=辛苦」であり、その愉楽が「photog-rough-yの演劇」にのめり込んでいく端緒ともなった。じきに写真演劇の最新作『ILLUMIOLE ILLUCIOLE』が月島で上演される。この「ill-even」とも称される「イル/イル」がちょうど11年前の「エピ/エピ」を発火点にしている、それを再確認すべく、ここに「演劇のアポトージス 第一章」として改稿・転載することにした。

(初出:2008年11月2日、豊島重之氏より)