輝点の人 — 石川 舜へ

輝点の人 — 石川 舜へ

豊島重之(モレキュラー演出家)

ランドサットからの俯瞰、水のヴェール=羅をはおった「惑」星、その環パシフィックの西のへり、雲海の底の底から明滅する微かな「輝点」、それが石川舜である。ゆめムルロワの鬼火と見誤ってはならない。いつも見てとれるとは限らず、ようく見定めてもあるかなきかの、さだめし前カンブリア紀に出没したアノマロカーリスの鱗片、それともイリオモテボタルの求愛=臨死のシグナル。

石川舜は「輝点の人」である。ふつう輝点とはTV受像器の光面にびっしり並列された端末をさすが、光源がそのまま画像でもあるという点で、遠近法の平面的途絶の最たるものなのだ。だからこそ石川舜は、世界観=宇宙観なるものがどんなにアブナイものかをよく知る人である。久しぶりに会った彼に、もう何年も思いあぐねた問いを、私なりに体感をねじったロジックでそれとなく切りだすと、たちまちその問いにバックリと割れが入り、むきだしの骨から一陣の芳香が噴流しはじめる。では、あの呻吟の日々は何だったのか。

彼はタブロー画家なので、いわゆるタブロー画家たちには人気がない。一度彼らが石川舜に接したら、二度と会わないように身を処するほかはないからだ。でなければ彼の後追いをするか、画布の前に立つことを断念するか、二つに一つなのである。むしろ彼は別分野の実践家や難問に取りくむ学者たちに人気がある。フェルマーの定理や細胞共生説や粘菌学であれ、クリプキ的デジグネーターやデノミネーターを配する可能世界論であれ、石川舜の「胎蔵的」な語り口から「金剛的」な頭打ちを突きぬけようとして、彼の周りに多くの異才がひしめくのも無理はない。こと私の演劇に関しては、なぜか彼の輝点が鈍るように見えるのもまた一興であり、「機転」とはまことに絶妙なものだと改めて思う。

「もの」には「ポワン・キュルミナン=頂点」があると言ったのはセザンヌだが、ラカンならば「ポワン・ド・キャピトン=(ソファの袋ボタンの)綴じ目」と言うだろう。この綴じ目に向かって放射状に「プリ=襞」の産出を強いておきながら、袋ボタンの周縁に到っていきなり中絶させられる。ラカンは頂点を「スコトミゼ=盲点化」してみせるのだ。そこには欲望のエコノミーどころか隠蔽のポリティクスが顔を覗かせている。こうしたラカン派画家たちに対して石川舜は、無防備にも頂点で切りこんでいく。「キュルミナンの批評」がどんなにアブナイものなのか、いっそ知らぬ、ついぞ存ぜぬといった態で。そこがまた颯爽この上もない。

(初出「what's art? 石川舜展|再現」/1995.10.1-15)