演劇のアポトージス第二章

演劇のアポトージス 第二章

《簡明なる演劇をめぐって》

豊島重之(モレキュラーシアター演出家)

 

(1)

簡明であるには、いささかの努力が要る。

ふだんの日常の半ば無意識的なやり繰りの習いであれ、半ば意識的に神話的な暴力を継承せざるを得ない演劇であれ、およそ努力という語彙には似つかわしくない居住まい、いくばくかは技術/労働を裏打ちされた振舞いの数々によって、かくも解きがたく錯綜している諸事態に、いわば世界に抗して、モレキュラーは、可能な限り簡明な演劇を希求する。

なぜなら、いかに簡明を企むにしろ、その簡明を織りなす諸々の錯綜を原理的には排することができないからである。その錯綜の最たるものが、俳優の上演的な身体=存在であるのは言をまたない。但し、それを了解可能な内部性とみなすか、了解不能な外部性と考えるか、反対に了解可能な外部性/了解不能な内部性と捉えるかで、ことさら簡明さを希求する企図が、そう言ってよければエチカが、上演によってどうしても違ってくる。

 

(2)

もとより、それが解きがたい錯綜からなる簡明さである場合には、とりわけ錯綜を排するための慎重に慎重を期した設計図と、せめて錯綜を上演の皮下に仮睡させて、それが在るにもかかわらず無いかのように思わせてしまうための、いくら巧緻に巧緻を駆使しても常にそれ自体が巧緻を裏切ってしまうような、背水的な思考を強いられるだろう。

そもそも「何をもって簡明というのか」をめぐって、リハーサルの大半は費やされた。いかにして最少の努力で、 要するに最少のメンバー・最少のスタッフ・最少の機材・最少の苦役で、それで成しうる限り最大の見かけを有する演劇を構想したところで、その場に居合わせた人々に簡明さをもたらすことができるわけでは毛頭ない。そこにもまた、はるかに錯綜した深淵/外部があり、私達には予測不能な、異種の簡明さの一撃もまたあるに違いない。俳優は、この一撃から簡明さをあらかじめ捕獲することができる。同時に、事前であれ事後であれ、捕獲することは決してできない。予測はできても、そのようには事態を運び得ないのが上演的な身体なのだ。背理ならぬ離接的綜合。背水的思考とはその謂である。

 

(3)

簡明なる演劇のためには、それなりに最少の努力では済まないにせよ、少なくとも最少の努力で果たされた見かけが、ここで演出と称する事態である。ゆいつ演出家が知りうるのは、まずもって努力をしない、格別ふだんと変わりばえのしない、とても最小限の努力すら要しているようには見えない、より真近な上演を参照するなら07年11月の沖縄県立美術館での前作『DECOY』ほどの踏み込みも踏み外しも見当たらぬ、モレキュラーの女優陣による絶えざる簡明さであり、おのが錯綜体へのささやかな一撃である。

メイエルホリドとジュネの断章を持ちこんだだけでも大掛かりなのに、それ以上、大掛かりな演劇に思われるとしたら、ひとえにそれは演出家の失敗である。それどころか、俳優という身体=存在/非在にとっても、絶えずテクストとの交叉と直射において、繰り返すがテクストとの分断と分裂生成において、それを解読性の演劇と称するにせよ、もしくは翻訳性の演劇を標榜するにせよ、いくら最小限の振舞い/居住まいではあっても、それが最小限であればあるほど〈必敗の演劇〉を強いられることになろう。臨む/望むところだ。

 

(4)

事前のフライアやカルトポスタルには載っていないが、今作のリハーサルが引き続く中、亀山郁夫著『大審問官スターリン』を女優陣と読み合わせしたせいだろうか。十月革命の父レーニンの早すぎる死を密かに舞台裏で演出したとも言われながら、レーニンに代わって革命ソヴィエトの権力を掌中に収めたグルジア出身のスターリンにとって、「演劇の十月」を標榜する革命演劇の遂行者メイエルホリドは、いわば目の上のたん瘤同然の、独裁者の内心を蝕んでやまぬ革命前夜のトラウマ=「オフラナ秘密ファイル」にも似た存在であった。あの手この手の包囲網を狭めつつスターリンは、メイエルホリドに彼自身のトラウマを植え付けることに成功する。もはやメイエルホリドが弁明すればするほど、そこに知られざる革命前夜のスターリンが出頭してしまうまでに。恐怖政治によって粛清されたのは、実は権力者自身を脅かしてやまぬ恐怖それ自体であったとは。

スケープゴート=トリックスターとしてのメイエルホリド。それが亀山郁夫訳「メイエルホリド主義に反対するメイエルホリド」にもリアルタイムな臨場感をもって散見される。とすれば、1939年の桑野隆訳「最後の演説」のみならず、この1936年の演説の断章もまた今回の舞台に乗せたいという避けがたさがつのり、思い切って打診をしてみたら、亀山さんから即座に快諾の返信を戴いた。改めてここに謝意を述べておきたい。

 

(5)

というのも、この「メイエルホリド主義に反対するメイエルホリド」と題された講演の中でメイエルホリドは、簡潔さとは何かを一貫して糾問していたからである。レーニンから要請された芸術の簡潔さへの道を探究することから語り起こし、それは単に簡潔ではなく、意想外に困難な、彼の同時代を席捲していた単純明快さとはあくまで異質な、簡潔さの難路とも言うべきものなのだ、と。

さらにメイエルホリドは、こうも語る。〈放棄してしかるべき無用物をどうしてわざわざ生み出したりする必要があるのか?〉(亀山郁夫訳)と。たとえば、ストラヴィンスキイには無用物であった楽節が、若きショスタコーヴィチには不可欠なエレメントに一変する、というような。ゆえに実験は不可欠であり、ゆえに実験は不必要である、と。

モレキュラーもまた、思いつく限りの離接的綜合を動員してでも、演劇という無用物をわざわざ生み出そうとする。簡明ならざる実験を駆使してでも、簡明なる演劇へと。

 

※ 拙稿「演劇のアポトージス 第一章」は1997年刊「映画芸術」誌に掲載された。最近になって大幅に改稿のうえ、ICANOFサイトともリンクしているモレキュラーシアターのサイト〈  provisional 〉にアップしている。御参考までに併読のほど。

—— 08年10月30日記