場所のクー/非場所のクリテーク

場所のクー/非場所のクリテーク

豊島重之(タータ86キュレーター)

<非場所連論>を駆動するにあたり、その駆動力の転子と消息をいくばくか紹介しておきたい。非場所とは私の造語である。タータは勿論、東北や地方が私の造語であるように。東北や地方から離間した異彩たちがその離間において描破する東北や地方ではなく、文字通り東北や地方に現在する者のみに可能な造語である。なるほど、既に色々な人が色々な文脈と含意で「非—場所」とか「非—空間」「非—領域」とか語っており、カッコが外れハイフンが抜けアクセントが移って八戸弁になっただけではないか、と思われるかもしれない。いや、もう一歩踏み込んで非場所と「外部」とどう違うのか。あるいは「空無」「虚体」「非在」とどこがどう異なるのかと糾問されるかもしれない。

違うのである。少なくとも私にとっては、現在に対して場所が、空間に対して場所が提起された83年タータ以来の二重の射程を担った非場所なのである。あるいは、まる十年前に劇化された“人間の文字化」(76年「怪盗へのへの」)に淵源するものであり、この文字化もまた女性化と異性化の二重の射程を担いつつ、86年「アナグラム」を経て新たなリテラリズム演劇へと脈動するであろうが、加えて78年「開門へのへの」における“となりの芝生”なる場所を宙吊りにする“芝生のとなり”なる非場所に胚胎していたと言ってもいい。もっと遡って言えば、現象や等身大に対して潜象や超身大、完全や認識や時間に対してそれぞれ間然・表面認識・球体現象と書換してきた15年余の時熟なしには、今回の非場所構想はありえなかった。

とは言え、こうした消息の私的還流と還流のみで十分な浸透力をもちうるなら、多数多様な非場所への言及をここに連座ねがった意味もなければ、その連座が展出してみせる相互批評的な交声楽もまた叶うまい。このポリフォニーで憶いだしたが、82年に芭蕉の連句に倣って何度か連詩を巻いたことがあり、それを梃子に83年タータの連劇が召喚されたとも言えるし、その後、吉井らのUZUの連音やこの非場所連論へと吃水したとも言える。尤も、連詩や連音や連論と違って、連劇は、現在の物語構制に呪縛されている限り、稽古場のエチュード以外ではまず不可能だし、恐らく役者同士のディアローグこそが連劇だと居直る手合いのほうが今のところ真っ当だろう。殊に、今回のような“場所の一撃(クー)”を陸続させただけの“非場所の連撃(セリー)”においては単にエディトリアル上の連論にすぎず、連句や連歌の如き規矩に則った有体ではないことを断っておかなくてはならない。

DADAならぬTATAなのだから、徒ならぬ奪胎の祟り目を避けて、漂い方にもタタラ足にも多々あると思い返してみれば、既に主催挨拶を装って<非場所連論>は始まっている。縄文的な通交しかり、海図を携たない水行しかり、音渦/音磁場しかり、ハイパッスィヴな吸血者/手紙しかり、さらに、特異点としての場所/身体しかり(タータ83直前の浅田彰氏の寄稿)、中心の不在/不在として現在する中心についての物語しかり(タータ83直後の仙台アムス・トーク)。これらはみな各様に非場所の迷彩を採光し、非場所の暗渠を掘りあてながら、非場所が唯一でもなく、また普遍でもないことを告知して

いる。

<——手紙。羽根ペンとインク壷の傍らに書きさしの、つまりは読みさしの手紙。手紙の文字とは壷のことだ。インク壷の外延をなぞったものだ。私達は三滴の壷を知っている。地と図の交代を現象するルヴィンの壷、内部と外部の地続きを予覚させるクラインの壷、恣意と差異・生成と制御の臨界を体験させるケンダルの壷。どれも私達の虚を衝く見事に眩惑的かつ教育的な虚なのだが、いまひとつ、縄文のツボ。そこから真っしぐらに文字というツボ。郵便配達夫が手紙を携行する時、郵便制度ではなくその手紙自体が配達夫をツボに変える。その時、この手紙のことを「外部」「空無」「生成」ならぬ、非場所と称ぼう。>

殊に、浅田氏のパッセージとアムスでのタータ83概括とを架橋する転子を模索することで、場所論としては無惨というよりなかったタータ83から今回のタータ86へとエントレィンメント(同乗効果・同伴結露というより転位・展出の謂)することができた。その転子こそ、ほかならぬ非場所であり、なかんづく大文字の非場所の強化とその小文字化=多元化の再編とがもたらす“非場所の中文字化現象”をどこまで内在的に批判していけるか、というミクロポリテークであった(86・5・10刊タータ誌vol.4 P1〜2拙文参照)。

西堂行人氏から連弾する30篇にも及ぶ<非場所連論>は、こうした私の問いにそれぞれの場所から応じたものであり、あるいは私の問いのコンテキストを逆に問い返しつつ、新たなエントレィンメントを熱く希求するものとなっているにちがいない。

(初出「TATA86 非場所連弾」/1986.7.9)