直下型マフマルバフ

直下型マフマルバフ

豊島重之(舞台美術家・演出家)

(1)息(ナファス)と土(ハク)と枯草色の包み(ブルカ)

それは「声」ではなく「音」であった。

夜ごとその広場に足を踏み入れた者なら誰でも、物売りの怒声や物乞いの罵声や酒場の嬌声に紛れて「それ」を聴きつけたに違いない。なぜなら人語(じんご)には強弱があり、途絶があり、雑多な声色(こわいろ)があったのに、「それ」のほうは夜もすがら一定不変の、止むこともない、昆虫の羽音のような低い唸りであったからだ。「それ」は広場の中央に放置された枯草色の小さな包みから漏れ出ていた。粗い布地の薄汚れた包みは土くれのように地面にへばりついていたため、「それ」なしでは誰もがうっかり躓きかねないほどであった。「エーエーエーエー」、それは人々の足下(そっか)にあった。二、三枚の硬貨がそばに転がっていた。それを掴もうにも両手がなく、移動しようにも両足がなく、「アッラー」の「ル」の音を出そうにも肝心の舌さえなく、そのため「エーエー」としか聴きとれない、盲人の物乞いなのだろうか。しかし誰も包みをめくって確かめたわけではなく、夜ごとこの「生きもの」をここまで運んでくる者がいないはずはないのだが、それを確かめようという気はとうに失せている。広場が寝静まったあと、地上に人語が絶えたあとも、唯一、発せられ続ける「エーエーエーエー」、それは私たちの足下にあった。

(2)ある悪の映画史的レジェンド

手足をもぎ、目を突き、舌を削(そ)ぐ。しかも生き永らえさせる。タリバーンならやりかねない。だとしたら、この広場を休むことなく周回し続けるアフガン難民の自転車芸人くらい登場させないでどうする。彼ならそう考えるだろう。だって、彼がイスラム革命成就によりテヘランの刑務所から出獄できた79年にソ連軍のアフガン侵攻が始まったのであり、彼の映画『サイクリスト』がイラン国内ばかりか世界中にヒットした89年にソ連軍の完全撤退、と思いきや部族同士・ムジャヒディン同士の内戦に突入することになったのだから。その泥沼に巨大な黒のブルカで投網(とあみ)をかけてタリバーンがアフガン全土を制圧したのは、奇しくも彼自身がパーレビ王朝打倒の政治犯として入獄するに到った事件を映画化(後述)した96年であったのだから。今度もそうだ。彼の新作はあたかも米軍の空爆をおびき寄せたかのようであり、彼が映画をつくるたびに隣国は凄惨をきわめていくかのようである。であればこそ、彼は胸を張って「悪の枢軸」の一人だと名のることができる。人に向かって「悪の枢軸」と名ざす輩(やから)こそが最悪の枢軸にほかならないことを彼はよく知っているからだ。「悪の枢軸」がテロ支援国家だとしても、自分のほうこそ歴然たるテロ支援国家でありながら公然と世界中に国家テロを行使してやまず、恥辱を知らないばかりか、恥辱のあまり自ら崩れ落ちることさえできない輩を、最悪の枢軸以外に何と称べばいいのか。

(3)エッセイスト:マフマルバフ

その彼、モフセン・マフマルバフが、タリバーン政権下のアフガンをめぐる二つの「エッセイ」を発表した。一つは『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室刊・以下『恥辱』と略記)というテクストであり、もう一つは『カンダハール』(01年・イラン=フランス合作)という映画である。エッセイには手記・断想という意味と企て・企みというもう一つの意味があって、私がマフマルバフのことをエッセイストと呼ぶ場合、むろん後者をさしている。

『パンと植木鉢』(96年)のためのオーディションをそのままもう一つの映画に仕立てあげた『サラーム・シネマ』(95年)には、およそこんな風なやりとりがある。「君はどんな役がいい?」「悪役ですね」「なぜ?」「この顔ですよ」「本音のところは?」「やっぱり悪役ですかね」「君が監督なら私にどんな役をふる?」「・・・・悪役ですね」「(監督の微笑)」——この微笑にはマフマルバフの映画的たくらみが隆起している。事実、テヘランの大通りをえんえんと歩いて近づいて来る、この男ミルハディ・タイエビを正面固定の望遠で捉えたシーンから『パンと植木鉢』は始まる。まさにタイエビは映画に向かってやって来たのだ。歩いて、そう、ここではこの男ならではの足どりでひたすら歩いて来るということが重要なのであって、これ以上早くても遅くても、もとより自転車やバスでは駄目なのだ。それでは映画の地面が隆起してこないからである。

ならば、映画から踵(きびす)を返して立ち去っていくタイエビもまた、かけがえがないではないか。それが映画的たくらみというものである。一計を案じるほどのことでもない。ちょっと怒らせればよい。俺はおりた、クニへ帰るとでも言うはずだ。映画が始まって程なく、冬ざれた並木道を歩いて、冒頭と同じ足どりで遠ざかって行く彼の後ろ姿が、冒頭に要したのと同じ時間、固定カメラに収まる。これだけでも胸がすく。さらに追い打ちがかかる。このシーンにかぶさる監督と助監督ゼイナルザデの会話。「ほんとに戻って来ますかね?」「来るさ。ほら、右側に雪の重みで折れた斜めの枝が見えるだろ?あそこで折り返すさ。」 ところがその枝の辺りでも足どりは止まらず、ついに後ろ姿は並木道から見えなくなる。

カメラは回り続けているが、監督と助監督から言葉は失せて、言葉の接ぎ穂も見つからない。ほんの一秒か二秒の間のことだが、私たち観客もやや度を失うというか、つい焦ってしまうというか。なぜ映画にあっては、カメラのこちら側にいる人間たちがいつも一様に押し黙っているのか、その理由を思い知らされるからだ。その時、タイエビが平然と同じ歩調で並木道に再び姿を現わす。つまり、逡巡とか決断といった余計なものが混入しかねない折り返しの姿を見せないことによって、俳優が監督の思惑をたくらみ返しているのは明らかである。そしてそこにこそ、マフマルバフの映画的エッセイストぶりが風を切っている。

(4)『私が女になった日』を見ずに『カンダハール』を見たことにはならない

『カンダハール』は、ナファス(息)とハク(土)とブルカ(妹)をめぐる一枚のギャべ(絨毯)である。アフガンの女性たちが自由に「息」をするのを遮(さえぎ)っているのがブルカであり、自由に「土」の上を歩きまわるのを拒んでいるのが地雷原なら、義足もまたブルカのようなものではないのか。つけ髭が男にとってのブルカであり、カメラが私たち非イスラム的な観客にとってのブルカであったように。それなら、「息」という名の女性にブルカをかぶらせ、「土」という名の少年に道案内をさせ、日蝕まであと三日、その日に命を断つという妹を求めて、何百万何千万もの妹を思い留まらせるために、「映画」という義足を旅立たせればよい。危険きわまりないアフガンの「土」の上を義足はたどたどしく進むほかないが、「息」がブルカを翻(ひるがえ)すことがないとも限らない。なにしろ世界は限りなく日蝕なのだ。

映画的エッセイストは、半ば完璧なシナリオを用意した。撮影につきまとうあらゆる危険をあらかじめ回避しておくために。その上、「息」にカナダ人の女性ジャーナリストを、医師役にアメリカ人の元ムジャヒディンを起用した。撮影につきまとうさらなる危険をあらかじめ回避しておくことができないために。二人ともアフガンの病根に対して監督と同等に議論できる知識人であり、監督以上にアフガンとは因縁が深く、しかも所謂はまり役である。この時、マフマルバフは、たくらみとしてのエッセイから断想としてのエッセイへと、この映画を移行させてしまったのかもしれない。これは後退だが、むろん後ろ向きの後退戦である。

「息」に扮した女性は、少年ハクに白骨死体の指輪を買えと迫られて悲鳴をあげて逃げるシーンにも、その次のシーン、妹へのおみやげに転じてしまった指輪が、実は妹はすでに白骨死体と化してしまっているという暗示かもしれないのに、一向に取り乱す様子がない。そう言えば、冒頭の難民キャンプでの、これから帰還する大勢の少女たちへのお人形型地雷のレッスン。地面に散らばったお人形のそばを少女たちがおずおずと往き来する。お人形に手を伸ばしたがために足を失ってしまい、「息」とともに亡命することを諦めた妹。にもかかわらず、「息」はなんの動揺もみせず、監督もまた、それでもお人形がほしくて手を伸ばしてしまう一人の少女さえ描こうとはしない。前述した「息づまるような」微笑は、この映画からは消えている。「息のつまるような」詩的な光景が連綿と続くばかりである。

唯一、マフマルバフの口元に微笑が戻るシーンがある。後半の赤十字キャンプで、「息」と馬車に同乗してきた男が、妻のための新しい義足が気に入らないとゴネ始める場面である。ちゃんと妻の深緑色の(枯草色の?)ブルカを持参しているところがニクい。そのブルカを上半身に見立てて義足を合わせ、姿見に映しながら、やっぱりこっちでないと似合わないなどと、義足スタッフの忠告も耳に入らず、ひたすらネチネチとゴネ続けるのである。この直後、空からいくつものパラシュート付き義足が降ってくる。それとても到底、姿見に映ったブルカ付き義足がもたらす映画の「あいた口」を塞(ふさ)ぐものではない。

同じイスラムの頭衣(とうい)ヘジャーブではあるが、アフガンのブルカならぬ、イランのチャドルを主題にした妻マルズィエの映画『私が女になった日』(00年・夫モフセンの脚本)がこの「あいた口」をどのように塞いでみせたか。それについては残念ながら紙幅が尽きている。

(5)「録音の映画」としての失敗作が「録音の映画」を私たちに目撃させる

『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』(92年)が映写を主題とした映画であり、『パンと植木鉢』(96年)が撮影を主題とした映画だとすれば、『カンダハール』は録音を主題とした映画になるはずであった。そうでなくては、すべての「息」はブルカに注ぐほかないではないか。そうではなく、「息」はテープレコーダーに注がれ、声は音となり、音はまっすぐ冒頭の「エーエーエーエー」に開口していかなくてはならない。それがエッセイスト:マフマルバフの「横ならびのコロン」の謂(いい)である。

映画上はどうか。アフガン上空のヘリの轟音にかき消されながら、「息」がテープレコーダーに妹へのメッセージを吹きこむシーンに始まり、道案内の人々の声を、そして花嫁行列のアフガン的「木遣(や)り」を収録し、ついにタリバーンの検問にいたってテープレコーダーを取り上げられるラストへ。では、最後に吹きこまれた息、すなわち音と転じた声は?「妹よ、あなたのために、私は囚えられている、今なお。」そうではない。「名は?」「ナファス」「だから?」「花嫁のいとこです」それでもない。

大勢のパシュトゥン人の白ターバンの子供たちが、一斉に前後に身を揺らしながらコーランをアラビア語で群読している、マドラサ(神学校)の授業風景を想い起こそう。教師ムッラー(タリバーンの最高指導者オマル師もまた、カンダハール近郊の村のマドラサの一介のムッラーにすぎなかった。それが映像なき「声=権力」をもつにいたった実情も『恥辱』に詳しい。)が何人かの子供たちに、コーランの一節とカラシニコフの用法との符合を朗唱させる。中には何度教え込んでもアラビア語が分からず、「エーエーエーエー」としか発声できない子供がいる。少年ハクである。ハクは放校処分となり、村の墓地で「息」と出会い、「ハク=土」ゆえにガイドを買って出る。

そんな辻褄はもういい。どうして監督は、女性ジャーナリストである「息=ナファス」にあの「エーエーエーエー」を録音させなかったのだろうか。それこそ、ブルカの中で行き場を失った「息の乱流」であり、いやむしろ、誰もがいまだに耳で聴くことは叶わないけれども、地上の誰もが営々(えいえい)と目で聴きつけてきたに違いない「日蝕の音」であったかもしれないのに。「音自身の欲するままに、音そのものによって掴まれたかった」(エリアス・カネッティ)——それこそ、マフマルバフが『カンダハール』に託した後ろ向きの後退戦だったのではなかったか。

(6)人間としての恥辱から人間であることの恥辱へ

言うまでもなく、序はカネッティの断想『マラケシュの声』(法大出版局刊)に基づいている。テヘランやカブールが東方イスラムの要衝なら、地中海全域から大西洋岸に及ぶ西方イスラムの要衝の一つがマラケシュである。しかも同書は路地の迷宮やスーク(バザール)の喧騒、芸人や狂人や詐欺師や不遇な女など、マフマルバフ的な素材に事欠かない。たとえば施(ほどこ)しの硬貨を口に含み黙々と口を動かし、ついに多量の唾液とともに口から出して懐にしまう男。一体誰がこんな見世物芸を思いつくだろうか。最初不快に感じたカネッティは、彼がマラブート(イスラムの遊行僧)だと聞いて、不浄なお金を浄財に変える聖者かと思い直す。だが実は、彼は手が麻痺している上に盲目のため、それが何フラン硬貨か何アフガ二硬貨かを知るためには舌を使うほかなかったのだ。ただちに私は『恥辱』の一節、ガフヴェ・ハーネ(コーヒーハウス)に据えられたワイパー付きテレビに思い当たる。嗅ぎ煙草の色で黒ずんだ客たちの唾液が飛ばされるテレビ画面を洗浄するための驚くべき工夫に。

カネッティは「エーエー」に喉を締めつけるような無力とともに、あの枯草色の地雷に躓いて人類が滅んだとしてもこの羽音だけは唸り続ける、そこに誇りの感情を刻む。マフマルバフもまた無力感なしに『恥辱』を書き終えることはできなかった。それでも書き終えることができたのは、バーミヤンの石仏が恥辱のあまり自壊してくれたからである。その石窟には今や「エーエー」という羽音が鳴り響いていて、いずれ虫たちの唾液が巨大な巣を出現させるだろう。その巣の形状が元の石仏に似ている必要はもとよりない。

二人に無力感をかきたてた「人間としての恥辱」が、今や「人間であることの恥辱」へと急転直下しているとしても、それを悉(ことごと)くレーヴィやアドルノに帰(き)する理由もまたない。帰還するならパンと植木鉢が同時に画面に差し込まれるラストショットへの帰還。それは暴力の否定でも否定という暴力でもなく、パンには「下線と押し花」が、植木鉢には「時刻と通りの名」が疑いようもなく振戦している。

(初出「ユリイカ」/2002年3月号)