糸井貫二——直会肉談——このマッド・ストック

糸井貫二——直会肉談——このマッド・ストック

豊島重之

凍道をカリカリと来てダダとなる カン

森永ドライミルクの罐一つ真っダダ中にぽつねんと置かれてあるから、近所の半ズボンたちが草野球しているグラウンドはダダッ広いのか、何気なくフタをあけてみると、モニョッとした粘土製の着色ずみ男根がガブッと噛みつきそうに上向きで、さては男根のみ等身大に残して、本人はスルリとトウキビの毛モシャの陰に消滅したか、あるいは見定められぬほどに巨漢と化したに違いないとグルリ見まわせば、ほうぼうの立木に〝俺のあいさつはあだ〟と書道した白紙が巻きつけてあり、ハハーンとそのうち電車通り側の草むらに、黒メガネ黒ヒゲ易者風黒髪の哲理めいた黒マントが、かたわらにチョロチョロ寄ってきた野球帽を優しげに撫でてたかと思うと、やおら前転したその裏は、丸裸の背中から下半身から、赤マジックの「いやよ、あはいやよ」とか「ナメナメ、べろんちょ」とか、まさに赤尻羅漢(アッケラカン)のお板付きとは相成る。

このたわいもなさが彼の一貫二貫したフンダメンタルな手口糸口である。彼とは太子堂の鬼、空行の念者ダダカンこと糸井貫二、ぎょぎょっしく呼ばれるのとはモンドリ撃って変った実直なるひたすら人である。この仙台西公園アート・フェスティバルにて男根(オトコネ)のカンと最初の出会いを期して以来、日曜の東一番町やら祭日の県庁前公演、反戦デーのジグ・コースかまわず、天気晴れて気分爽快つまり気々合致すれば早、キキーと乱走、衛生都市の天仰ぎ、奇態さらしてコウラボシ、赤旗青旗たちのデモの後尾を守るかと思えば、藤崎あたりのエスカレーターとの後尾の体位などの数々を鼻っ風ぐらいに伝え聞き、その後たてつづけに、ダダカンの凍道を決定したと思える一連のハップに立ち会うことができた。「触感覚映像大会」、「俺の椅子を捜せ展」、「今日の集団展」に、静謐にして摩訶淫奔なる生殖器図鑑が開帳されましたな。それは毎朝の便通にも似た転胃無法とも呼ぶべきもので、しゃがんだり、デングリ返ったりする度に、ヒョイヒョイとヨニとリンガが色形を変えて顕示欲々される(これはゼイゼイ込みサラリー男、ひたひた目礼を交わしつつ、すらすらYシャツYバッチを精虫の如くはわせ、白隠然たるやせぎすが赤布にくるまりざま、弓なり硬直の全身紅茎に転じ、その裂唇からみるみる膨れたピンクの太股の勃直させ、丹念に腋下臍窩首筋腰筋臀部門部をなめまわったあげくのキーンホルツ式肌色纏足、あぶな絵こそ精気吸いとられたかとあぶない一騎のひょうひょったるこの絵馬は、己がモヒカン亀頭に紺色ロウ質ペニスを充填して、(これは根っからの根、しこみ根のマラ市さんじゃないの)かと思えば、トロ飲みトロ吐き儀式(例のロウ茎にマヨネーズをいれての、口あてブァーッの、ズルズル吸いの、ブリキ罐にドバドバ小用しいの、精液でネタネタの顎ヒゲ突き出しいの、ワラワラ狂い走りいの、みんなウーハウハよがりいの)の一方、ピース・マークやらLOVEやらのお鍋かぶっての殺すな儀式はヒラリ後転、どこから生み落としたうで卵一つ、(いくら鶏年だからって)一瞬ノドチンコか、睾丸の片方かがなくなってやしないかと、自分のと白隠太伯とを見比べフーカ孵化しょる間にも、かたときもはずさなかった黒メガネをサッととるや、ダラチン見え隠れも構わぬ森永エンジェルのまぶたにザバーッと噴水がよぎりざま、突如殺気ダダッて、一方のピンク纏足を片方にズボリさし込み、青空に放り投げての藤純子ばり小太刀斬りじゃなかと、たちまち奮情痴を見る会に変わったばい、とどのつまりは一切装身具なしの真裸逆立ちによる一物ホッタテ化と、稚拙といえば稚拙、風流といえば風流な〝居まじ住む〟の食欲変視者なのべし! これら民コロの恥的な部分をわけへだてなくおっぴろげるチビチビした身のまり品も彼のねおきとともにマニマニ量産される以上、本来のハップとも、古来のダダともその相を異にした凍道のゆくえを、病いモウモウたるマッド・ストックを、なんのダダッ子と一瞥する前に確かめておくのも無駄々じゃないぜ、周辺人(ナニモセニヨール)お。

「極楽衆生一切世界がゆるしません吾楽世界がゆるしません・・・

コノヨ地球一、八哩下下り止メ一、四哩左ヨリ錯乱核乱コノヨ地球横揺レ即死往生世界一切建造物限度崩コノヨ地球地獄往生世界殺人統制我鬼道畜生鬼化世界死(註1)窒息即死界一念往生成就界アノヨ地球コノヨ地球ヨリ勘度×一ー+一六÷XO完全子孫絶命空転空歩空間空転空歩空間不自然下調合不配合グラグラバラバラ其場転倒転落往生×一ー+一六÷XO即死往生自殺往生下昇上昇火ト果ス決別大別ほんの申訳様程度おわび申しそへまして善男善女極楽往生無関係性区分六拾四種類各々区分人類世界凡夫凡婦一輪黄色黄光界人間コノ世ニ生レ出ヅル以前大略人間ニ生レシ喜ビヲ感謝シ拝借私物再保存生存両保存一切苦厄難魔除宿善刀一天太陽火星経由直即殺罪質罪量罪悪罪中首切腹切全切燃焼煙焼溶解完全一切苦厄難魔除難魔除罪悪罪中業務業界一天灼熱灼光逆々完全逆転残虐道界鬼界世界逆心天回天上逆上逆空水海海面上下水海面逆々限度激震激崩罪悪罪中凡夫凡婦業務業界罪悪罪中豪欲完全白状スルコト知ラズダダカンハ一生堕々死刑ニサレテモ妥協シナイコト確実に本年号昭和参拾六年コノ世地球九百七拾伍米下下り七百拾五米左ヨリ錯乱核乱横揺レ大揺レ完全地獄往生地球限度人類全滅世界畜生我鬼道鬼果世界大凶作大難大凶結婚破産集団殺人世界完全ニアキラメマシタ・・・」(41・9発行「ゲゲ」誌掲載『空気裁判』の部分)。そして・・・

「地獄におちてもダダになるな/ダダにならぬといふがダダなりと/ダダにならなくとも/我々は生れながらに/そのまま/ダダ/だと/ダダは自己の本性を見ることである。

この『見』においては見るものも見られるものもない。本性は見るものであると同時に見られるものである。ダダはすなわち一切のものが分岐する以前の内的自己に還れというのだ。その道は混沌とした未分化の場に到達する。ダダは一切の二分作用というものがまだ萠芽せぬ以前の世界を見るのである。時間と空間はこの『永遠の今』においていわば一切の未来性と可能性を抱いて睡んでいるのであり、両者ともここではその成就と展開を圧縮されているのである。吾人の万事はダダから発してダダを忘れることに終わる。終始ダダとして残るようなダダはダダではない。それはダダの臭気が強すぎるダダといわれる。ダダは、ダダそのものとなるにはダダそのもをも失わなければならない・・・直下(ジギゲ)の見(ケン)——見ルトキハ即チ直下ニ便(スナワ)チ見ヨ・・・」(42・3発行「黒赤金玉袋」誌掲載『堕々観』からの部分)。そして次なるハップ列伝・・・。(○印事情聴取留置含めた逮捕歴)

37・12 (42歳)全裸松の木登り(京大構内)

37・12 逆さ一物(大阪フェスティバルホール前)①

37・12 ビニール袋内逆さ一物(大阪駅公安前)②

38・3 読売アンパンでのアンビートとのハップ(都美前)③

39・9 (43歳)仙台アンパンでのメットと大トランク・ハップ(三越内)④

39・10 五輪性火白面フリチン走り(銀座四丁目)⑤ 以後一年狂院生活

41・5 (45歳)メーデー白隠禅赤褌踊り(代々木の森)

41・8 大徳寺参禅管長とのホモ問答(烏丸通り)

42・9 (46歳)ビニール袋内赤褌踊り(新宿フーテン広場)⑥

42・11 股引黒マン健在挨拶儀式(仙台西公園)

42・12 (47歳)松江カク追悼赤褌殺し(新宿駅地下)⑦

43・6 性触器シリーズ男根ゴッコ(仙台コニシリビング)

44・1 (48歳)卵性体験シリーズ男根ゴッコ(仙台フジヤ画廊)

44・5 ゲバラ風太股斬り殺すな儀式(宮城県民会館)

44・10 ハップ広場宣言(仙台市庁前噴水広場)

45・1 (49歳)ドント祭全裸性火廻り(大崎八幡神社)⑧

45・4 手配犯人風全裸逃げ(大分県中津駅前)⑨

45・4 全裸走り十五メートル(万博太陽の塔下)

以上三つのドグマティックな板門から明確にブチ抜かれているのは、終始不動のダダカンというモノマニアックにしてデモニアックなる凍道である。はれポップ、はれミニマル、はれ新感覚と変転する意志弱々へのザンバラ嫌悪と、生命性圧排を続行するあらゆる機構へのたぎりないグッグッ憤怒である。この許すまじき〈策理〉に対する彼の一切を賭けた反骨反茎は、一見素朴な寂光にみえて底冷えのする狂勢である。〝極楽衆生一切世界がゆりしません吾楽世界がゆるしません〟とはっ、とはっ、これほどの檄々を一体誰が言い得たのかとキチョウチュートンジャガネエ。生命を管理するムッシの息をついばみながらも、順法ならぬ別法によるダダミューン志向が彼の鼻腔から直腸までを疾翔するのに悶々たる四十五歳を迎えた狂院背かつを十分であった。アサイ・マスオ追悼「ゲゲ」誌に寄せた『空気裁判』など一連のアホ堕々経も、絶対的現在への傾々から〝直下の見〟に到々する『堕々観』なる無悟の悟も、その素地は《記一〇一号》なる精ノートの、同室患者の観察や食事献立、世界状況の流動や狂院黒霧の暴露などの間隙を縫って、逆さまとか極微につづられていて、寡黙の人ろうぜきポセデのもはや著わされることなく無二無三の筆圧であろう。毎日渡された鎮静薬か何かの包み紙にも、確認情報——狂児ダダカンは銀座で芸術体験中鑑定に合格狂院にて最高の狂気体験を続けている、といったふうにメモられ、他の患者のポケットに今でもしのばせてあるかもしらん。ほら、その黄色いしみのついた小さな紙だよ、今眉をどよめかせた民々は前述のアホ堕々経でも唱えるんだな。それから骨盤漬け啞舞が火の手見るよに始まるのだ。

ダダを生けて四十男なる カン

この句足らずも、三十五年十二月の版画展からダダり始め、ラウシェンバーグ、ケージらの来日、ネオ・ダダ、ハイ・レッド、グループ音楽らの晩惨会や九州英雄たちの大集会、ことに何よりもましてアンビートの中島由夫との遭遇をコロにして、読売アンパン、宮原ら犯罪者同盟密造書への参加、0次元との八方ショウ、そして精の烙印の下、未知叩き(ノック)太子堂に精春のオトコネを花開させるまでの神出鬼没発条(ゼンマイ)次第だと考えてもワルじゃあるまい。実に狂院での一年にわたる潜熱撲熱は、彼の好みな一遍の〝道場すべて無用なり〟〝自力他力の失せたるを不思議の名号とも云ふなり〟という無明をそのまま行為に破突させたに違いない。

その無明こそ、『堕々観』に繰り返されていたダダならぬダダ、当世流に呼べばジャック・ジャック!! 趣旨学を蹴たぐってみたせた種子覚核に、余命学をメロメロに砕破した陽根楽まで痴業強引たるアラカルマ(多愛)氏の多猥っ、姦源すれば堕々論ではなく観であっぞ、さらに巷間のしどろろもどろろには、極大なる念根と極小なる体根とが接振する鞍点空間のヘノメノロギー、さらさらにフルーツポンティ風のお説解はよっけいだろうが、再度言おう、かの無明とはダダミューン界の暗箱に独々君臨するほのぼの老子のまなざしに収斂する幾多のアノニマスな生業、もっと正確には我田合点の〝堕々観々〟なのだ。「ボクハ マダマダ ハプニング ヤリタリテナイトモウンデスヨ・・・」

糸モヤシと糸タンポポがしゅるしゅる雑育し、クルミやハチノスが転がってくるブドウ棚の下の縁側に陽だまりを呼びよせ、顔中頭中陰毛だらけを作業服のチャックにはさめて、ときめく胸にチリヂリに乱れさせつつ、新聞の広告だけは目を通す語盲のマラ市よ。デーン説の太子館(たいしやかた)は光化学にも少しも霞まず、むしろ臍ごなし尿道ごなしに大気の重量を掠めとり、さあ、補導者天国番ブラデーの四十五年10月〜11月こそ、景色は難治性ホルスト・ヤンセン症状だっ、ほれほれ直会なら今のうち、白隠太子の空気裁判が始まったら、おっらおっらあと舞霊講! ン

註1 原文では「火」偏に「死」の一字

(初出:月刊「美術手帖」第335号1970年12月号/美術出版社)