日本のサイコグラム —極東とカフカの手紙との出会い—

Westfälische Nachrichten(ウェストファーレン州新聞)6th July, 1987

「f/F・パラサイト」公演評

日本のサイコグラム

——極東とカフカの手紙との出会い——

MICHAEL HORST ミハエル・ホルスト(ウェストファーレン紙・芸術文化部記者)

日本の前衛劇団モレキュラー・シアターは、ミュンスター市・プンペンハウス劇場の招聘により初の海外公演を行った。これはまさに文字通りの日本とヨーロッパの出会いであった。この九人の、全て女性の出演者からなるグループの公演は、市をあげての大規模なジャパン・ウィークの枠内で行われたが、それはヨーロッパ的思考への実にパーソナルな取組みの表現であった。具体的には、フランツ・カフカが1912年から1917年にかけて婚約者フェリーツェ・バウアーに書き送った手紙による表現である。ここでそれを従来の男女関係メロドラマだと思ってはならない。劇団の創設者であり、また精神科医でもある演出家豊島重之は、濃密な不安に満ちた空間をもったサイコグラム(心象図)を創り出し、ヨーロッパの観衆を魅了することに成功した。

カフカの手紙は日本では1981年に出版された。そこで豊島が興味をもったのは内容よりも、その形式と言語であった。というのも、そこにあるのは日本における心情的な文通とは全く異質のものだったからである。クリスタル的な透明度、そしてプライベートな愛の言葉ときわめて〝事務的〟な言葉の並存、これらが劇を創るきっかけとなった。とはいえ、手紙の内容がドラマ化されたり、独立したシーンがいくつかつなげられたりするということはなく、精神内部の瞬時的印象が隙間なく一貫して続けられる。つまりカフカの手紙は、精神科医の目を通して、前衛劇の方法によって表現されているのである。

こうして成立した演劇は『f/Fパラサイト』(*1)というミステリアスなタイトルで呼ばれる。イニシャルはフランツのfとフェリーツェのFである。幕があくとまず、白のウェディング姿の三人の出演者が目に入る。彼女らは、すごい速度で手紙を読みあげ同時に文字を画板に書きつけていく。豊島にとって手紙とは、ただ書かれた文書であるというだけでなく、書くという行為の身体的表現を意味している。しかし書く行為は全自動化され、書く者はテクノロジー化の最悪の可能性として、自動機械そのものとなる。一方、この三人には、カフカの小説「変身」から出てきたかのような甲虫がまとわりつく。これらは人間を襲い、苦しめ、搾取する寄生虫である。豊島によれば、カフカとフェリーツェの間にある愛には、寄生虫的なニュアンスがあるという。というのも、カフカは自分の混乱した精神をフェリーツェに打明けることによって、彼女を獲得しようとしているからである。

他方、豊島はまたカフカ・フェリーツェ間のディスタンスを重視しており、この距離の疎外は劇中では異化効果となって表されている。出演者のかぶる漏斗(じょうご)は、視野と距離感を変化させるだけでなく、肉声を異質なものに変え、観衆に対面する存在を非人間化してみせる。その上、音楽も観衆を多少困惑させていた。日本語の響きの背景として、バッハからラベル、さらにベートーベンからスメタナのモルダウ!までが流される。それらの意味する処は解りやすいとは言えないが、そうした困惑をこえて誰をも巻き込んでしまう暗示力に満ちているのは間違いない。

パーフェクトでアクロバティックな動き、身体行為と言語行為の調和、身体表現と顔の表現の正確さや、ニュアンスを多重に含んだ朗読など、最終的に何を高く評価するべきかに迷うほどである。印象として残るのは、従来のヨーロッパにはない、異質で魅力的な演劇を鑑賞したということである。こうした意味において、今回の上演は、特に<日本との出会い>という枠内において、大変成功した企画であった。(島田信吾・訳)

(初出:「f/F・PARASITE」(モレキュラーシアター日本凱旋公演パンフレット)/ISA/1987)

採録者註

*1:本文/トイトル間の相違に限らず、『f/Fパラサイト』『f/F・パラサイト』といったタイトルの表記の揺れは、他作品においても見られる(・の有無、英文字および記号の全角あるいは半角表記等)