ミロスワフ・バウカの周辺

ミロスワフ・バウカの周辺

豊島重之(ICANOFキュレーター)

(1)翻訳有用性と翻訳無用性との間で

ソウルのパク・ファヨンさんから届いた英文メッセージも、東京の福山知佐子さんから届いた邦文メッセージも、それぞれ邦訳と英訳を介して、いわばその両方を読み較べることによって、なぜこのお二人がICANOF「食間に生滅する光景/食間を旋回する廃景」展にラインナップされたか、その理解の一助となるはずである。もしパクさんの英文に邦訳がなかったら、もし福山さんの邦文に英訳がなかったら、と考えてみたらいい。

ところが、ワルシャワのミロスワフ・バウカ氏から届いた英文メッセージは、邦訳無用の、中学生でも分かるような英文であって、彼が文字通り「食間展」のメインゲストであることは誰の目にも明らかだろう。「食間に人は病気や事故で死に、戦争や飢餓で死に、肌の色が違うという、ただそれだけの、理由にもならないような理由で死に、それどころか、その理由にもならない理由さえもないのに死に‥‥」というリポートが際限もなく続く。しかも、これが今回の出品作のタイトルでもあるのだとしたら? バウカ氏は2月11日にワルシャワを発ち、ルフトハンザで12日に成田着、夕方には八戸市美術館でICANOFメンバーとの展示打合わせに入ることになるが、彼にとっての八戸の印象がこのリポート=タイトルにさらに書き継がれていくのではないだろうか。「食間に人はイカスミにハマって死んだ。食間に人は荒涼たる海景にハマって死んだ。食間に人はこの街の頭頂部にある巨大な空洞にハマって死んだ。‥‥」とでもいうように。

(2)食間のリトルネッロ

私はこのBetween Meals People / died of ‥‥というリフレインに、ゆくりなくも賢治の文語詩を喚起させられた。賢治が晩年、口語自由詩を離れて文語定型詩に没頭・砕身したことはよく知られている。たとえば「烏百態」。雪のたんぼに首を垂れ 雪をついばむ鳥なり/雪のたんぼのかれ畦に ぴょんと飛びたるからすなり/西にとび行くからすらは あたかもごまのごとくなり‥‥。この「烏百態」の隣りにファン・ゴッホ「烏の群れとぶ麦畑」を並べたくなるほど狂おしい七五、七五の脈打つようなストローク。私には延々と連ねられたバウカ氏の英文が、意外にも七五、七五の連示壽(れんとう)=ritornello リトルネッロに思えてきて仕方がないのだ。

やはり賢治に「流れたり」という七五調の文語詩があるのを御存知だろうか。賢治と覚しき人間が木の筏にしがみつき、時代の濁流と覚しき川に身をまかせている。荒々しい波頭と見えたものは実は無数の死体であって、まだ死にきれずにいる死霊たちが筏に這い上がろうとするのを、賢治と覚しき人間が蹴り落としてでも筏を死守している。さながら、幼少の賢治が衝撃をうけ、折にふれて親しんでもきた地獄絵図そのものだ。直接には、関東大震災とそれに便乗した朝鮮人大虐殺のニュースに触発されて書かれたものであろうが。

(3)忘れられた地名イエジェロ

カッセルのドクメンタやヴェネチア・ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレなどの国際展で活躍しているバウカ氏はいまだ40代の若手芸術家である。にもかかわらず、彼の作品からあの忌わしいホロコーストの記憶を消し去ることは難しい。2001年9月に発刊されたICANOF図録を一読された方はこの地名を覚えているだろうか。「イエジェロ」。ナチスドイツとロシア赤軍に挟撃されたポーランド国境の小さな村。賢治と同時代の写真家・肖像画家・芸術哲学者スタニスワフ・イグナツィ・ヴィトキェーヴィチ、通称ヴィトカッツイが自裁したのが、このイエジェロ村であった。そしてこのような村がいくつもあって、ある村ではナチスによって、またある村では赤軍によって、ユダヤ系の村人たちが何百人単位で納屋ごと焼殺されたと語り継がれてきた。

しかし実はごく最近になって分かったことだが、イエジェロのような村々でのユダヤ人虐殺は、ヒトラーの軍隊でもスターリンの軍隊でもなく、つい昨日まで仲良く近所づきあいしていたポーランド人の村人たちの手によるものであったのだ。なぜ、そのような事態にいたったのか?

かねてよりナチスも赤軍も村人たちに密告を強いていたという伏線が、ここ数年の法廷での苦渋に満ちた証言から明らかにされた。密告によって村の有識者や芸術家(ほとんどがユダヤ系)が、ナチスの場合はオシフィエンチムやマイダネックなどの絶滅収容所へ、赤軍の場合はコルイマ強制収容所などのシベリアのラーゲリへ送られた。その密告者たちが仕返しを怖れたからであった。密告された者ではなく、密告した者が恐怖する !?

住み慣れた土地や愛する隣人たちから引き裂かれ、緑蔭も月下も口渇を癒やす水さえない家畜列車や白骨街道の果てに何が待っているか、密告された者たちの恐怖をいちいち書き出してみる必要があるだろうか? なのに、密告した者のほうが恐怖する!? 日々、笑顔を絶やさず、緑蔭に汗を流し、月下に歌い踊り、家族揃って写真におさまる村人たち。これをテロリズムと言わず何と呼べばいいのか?

たとえば2003年、ブッシュは何を怖れているのか? 父ブッシュの父であることを怖れているのか、父ブッシュの息子であることを怖れているのか、かつての威厳は見る影もなく老いさらばえた、その落魄(らくはく)を怖れているのか? それとも父を王座から引きずり降ろしたユダヤロビーを怖れているのか? 誤解しないでほしい。私は異国のことを話しているのではない。私の住むこの街のことを話している。八戸がこの国のイエジェロと呼ばれることのないように、では、そのために何ができるのか、妙案などあるわけはない、だから、こうして書いている、せめて東北のイエジェロであると自ら名のることのできる街があることを願って。

(4)サイト・スペシフィック=バウカ

ここに収録された写真から分かるように、soapとsalt、それがバウカ作品の特色だ。ポーランド人であれ八戸人であれ、人間はsoapとsaltでできているのは疑い得ない。であればこそ、バウカ氏は八戸に来たら八戸に来たで、その場に合わせて=抗がって、絶えず新しい作品をつくるだろう。サイト・スペシフィックsite-specificつまり「場」に対して普遍的ではなく「特異的」な分節化segmentationを試みる、それがバウカ作品に一貫した姿勢である。

こんな分かり切ったことを述べる理由の一つは、この図録に掲載されている写真の多くがサイトスペシフィックでないと思うからにほかならない。多くの出品者がそれぞれの被写体=「場」に対して、特異的であることを避け、なぜか、誰に強制されたかは知らないが、普遍的たらんとしている。そして、それこそがテロリズムにほかならないことを、自覚しないで済ます世智(せち)に長(た)けている。

そうであることがいやなら、まず、世智を殺せ。写真が否応(いやおう)もなくテロリズムであるほかないのなら、自分でも他者でもなく、その自他が織り成す場をターゲットにせよ。

ICANOF「食間展」オープニング・レクチュアで、歌人梅内美華子は、ソウルのパク・ファヨンのデジタル写真に基づき「魚(うお)の屑(くず)積まれし店裏(みせうら)過ぎてより からだじゅうの眼ひらく心地(ここち)す」なる一首を詠んだ。私たちもまた、からだじゅうの眼が毛穴のように開く時を待っている。

(初出「ICANOF Media Art Show 2002」/2003)