DIALOGUE FOR "GOZO-OPERA : san'nai"

DIALOGUE FOR "GOZO-OPERA : san'nai"

—作曲者と演出者の対論—

演出者:豊島重之

作曲者:港大尋

(1)裏切りのバッハ ——意味とオン/語りとウタをめぐって

豊島    とくに私の場合、演劇における「声」を切りさくものとしてオペラの「歌」を捉え返したいというのがあって、そのあたりで色々とお話をうかがってみたいのです。

    オペラもグランド・オペラも、キリスト教のコラール(聖歌)から枝分かれしているから、まずどうしても「意味」が聞こえてくる。大文字の他者を前にした意味ってことがありますよね。その一方で、意味より「音」を強調する発声法であるベルカント唱法がとられていて、あれは「語り」から限りなく遠ざかるわけです。

豊島    それって、やっぱり大文字の他者を前にして言葉を失う、「意味」を失うというか、錯乱するほかない、ってことじゃないでしょうか。

    オペラというのは意味を伝えたいのか、音を誇示したいのか、その大文字の他者に対する「身振り」のバランスが実に面白い。ひとつ考えちゃうのは、そもそも「うた」とは何なのかということ。5〜6年ほど前まで歌は拒絶反応を示す対象だったんです。

豊島    私も歌はだめなんですよ、全身の毛穴まで開いちゃう気がして(笑)。それで30代で歌はやめて、40代から演劇に走った。96年に「HOの演劇」がスタートして、「HOのオペラ」というか、もっと違った次元の「うた」が考えられるようになったんですね。

    そう、話し声と「歌」との間には、実は無限のレヴェルがあるわけです。今日において歌は、ひとつの制度となってしまっている。コンサートホールやカラオケの空間はその典型ですよ。そうではなく、多様な階調の「声」を提示できないだろうか、そこを問題にしたい。

豊島    大尋さんは、よく本番前の指ならしにバッハを弾いています。バッハはある意味でメロディアスで、つまりは意味性や構造性が強いともいえる。しかし、一方ではそれを破砕するような非常に打楽器的なピアノを最初にやった男ではないかと思うんですが。

    バッハも気違いとしか言いようがないし(笑)、オペラっていうのもひとつの狂気の具現なんです。そういう共通点に魅かれますね。そこのところで、バッハ的な音としての「声」、打楽器としての「声」というのをやりたい。いわゆる意味を伴った言語音ではなく、別のレヴェルの意味を持った声、そういう「うた」。バッハは「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」なんです。どこに図があって、どこに地があるんだろう、という面白さがある。二重にも三重にもはぐらかすような、そういう構造は、子供の知覚のあり方に通じるんじゃないかな。今回もバッハ的なアプローチでつくった曲があるんですよ。

豊島    ええ。一作目の「盛土(モリド)モールド」ですね。非常に美しくて、とくに後半の畳みこみ方にはちょっと凄みがある。それこそ、地と図のめくるめく反転のような旋律じゃないでしょうか。作曲の路地裏を少し聞かせてもらえませんか。

    たまたま、バッハをまとめて弾く機会があったんです。ヴァイオリン、フルート、ピアノ、ファゴットという編成で、10曲ぐらいバロックの曲を。で、それをそのまま歌にしてしまおうという発想があって。面白いのは、あちらから歌が聞こえてくるのに、こちらも歌ってなくちゃいけないということ。人間の声って、基本的にメロディはひとつしか奏でられない。それなのに、ピアノはふたつもみっつも同時に奏でられる。バッハを弾くとき、そこが本当に裏切られる。歌を一緒にやる時もあちらはあちらで歌わせなくちゃいけないのに、こらちも歌う。お互いを裏切りあうというか。

豊島    それを二作目の「有茎(ナカゴ)フィルムド」でも実験してみたいですね。

(2)吉増剛造のバルトーク ——自筆譜をめぐって

豊島    「盛土モールド」では吉増剛造さんの「不思議な並木道」いわゆる「幽霊」3部作をテクストにしていますが、それについては?

    吉増さんの「不思議な並木道」って、いわば同時通訳空間でしょう。「ヒカリ」が光でもpi-tでもなく、だから「光」でも「pi-t」でもあるということ。言語は範疇的だとギブソンは言ってますが、つまり視ることと聴くこと、現在の経験と過去の経験を二分する力は言語に由来すると。ところが吉増さんの言葉って、そうじゃない、まったく範疇的でなく、たえず同一性を揺るがされるような言語だと思うんです。

豊島    吉増さんのどの詩も、イミとオン、ウタとカタリの、今まで聴いたこともないような別のパッサージュを探す糸口になりますね。そこには、裏切り裏切られる関係性などという言葉では表せない面白さがある。構造が変動してしまうというより、次元がマイナスされてしまうというか、それこそ「もってかれて」しまうような。

    昨日お会いしたときに、詩篇は楽譜と同じだとおっしゃってましたね。バルトークの楽譜を眺めているんだという話もされてました。それで、僕がバルトークのピアノ・ソナタの自筆譜をもってて、それを見ながら弾くって言ったら、とても喜んでくれて。

豊島    吉増さんぐらいじゃないかな、ことあるごとに自筆の詩を、しかも書きあげたその日のうちに、自筆譜を公表しているのは。

    バルトークの自筆譜はそれ自体がひとつの作品なんですよね。あちこちにバッテンや書き入れなんかの苦労のあとが見えて、ああでもないこうでもないと。ボツになったプランがたくさんあるんですよ。

豊島    それはすごいですね。ボツになったのを弾いてみましたか。

    ええ。両方弾いてみて初めて、ボツにならなかったものの意味が分かるんです。なんで、こうなってるんだろうかと自筆譜を見てみる。そこで初めて、そのフレージングの意味が分かる。

豊島    つまり、そのプロセスが分かるってことですね。結果として完成した作品は意味と音が一体化されているんだけど、プロセスのほうでは、意味と音が一体化されずに軋みあっていて、そのもっと多彩で微細なレヴェルがある。「オペラ:サンナイ」で一番やりたいのはそこなんです。ハングルを多用してはいるけど、他にも中国語や英語、仏語や独語、リトアニア語やアイヌ語やスペイン語まで出てくる。単にポリグロット=多言語的だというんじゃなくて、イヌイットのスロート・ヴォイスを引用しながら、三内丸山の「物質的な記憶」から「分子状のプロセス」をはらんだものを探りたいということなんですね。いわば「オペラ:サンナイ」の舞台それ自体が、記憶のゴーストによって書かれた「誤植だらけの自筆譜」であるような。

(3)「方—言」のオペラ/「方—言」の身体性をめぐって

    僕には言語を意味としてだけではなく、もっと音のレベルで聴いてみようという考えがあって。ハングルを聴いてても、歯裂音とか唇裂音とかとか、打楽器的な響きが美しいと感じる。その意味で、ハングルも英語も「方言」として捉えられないかなあと。東京から八戸に行くとこんなに音が違う、あるいは九州だと全然違う言い方をするんだ、っていうような音(オン)の世界です。

豊島    「国語」としての日本語は、そういう打楽器性を失ってしまったけど、大尋さんのいう「方言」って、日本の北方から南方、イヌイットから韓国、アジアをぐるっと巡ってハイダやアボリジニにも繋がるような、意味と音、歌と語りの原初的なアーカイヴ=集蔵体としての「方言」ですよね。「国語」以前であり、「国語」以後でもあるような、それこそが「方言」でしょう。そういう意味でハングルも沖永良部もアイヌ語も同じ重要さを持つ。それを吉増さんの詩が実践してるんですよね。僕はハングルをよく知らないから、それを耳にしたときに、突然幼児の知覚空間を強いられる(笑)。子供の身体が実際どうできあがっていくものなのか。聴くことによってとか音を発することによってとか。ほとんど僕らがいま聴くことができないような音を聴いているだろうと。オペラの「方言性」って、どうもその辺にあるんじゃないか。

    三内丸山が異種交配のクレオールみたいな文化だったのと同じように、子供の知覚、聴覚そのものも異種交配、ハイブリッドなんですね。そこを大事にしたい。子供の耳にとっては「日本語」も「韓国語」も存在しない。子供の〝皮膚・自我(モワ・ポ)〟にとって「歌」も「語り」も存在しない。その、存在しない、っていうところにウタやカタリが実はあるんじゃないかと思うんです。

豊島    まさしくゴーストですね。だって、方言の「ホー」はG−HO−STの「HO」ですから。そのHOに触れる触られる、その「フレ」とか「フルエ」っていう身体性が聴覚空間を形成するわけでしょう。そうした「方—言」的な聴覚空間というのは、もしかしたらとても高度な身体性であって。

   心臓の鼓動とか二足歩行とかが音楽の始まりにあると、よく言われる。三内でもそうだったでしょうが、石器を打ちつける作業の中から打楽器的なものが出てきたとかね。そう考えると、最初にメロディはなかっただろうと。すると、やっぱり言葉も最初は打楽器的なものだったというのも容易に想像できる。そういうパーカッシヴな聴覚空間が子供の身体性をきわめて鋭敏で、高度なものにしているはずです。

豊島    だから「法」も放っておかない(笑)。高度な身体性はゴーストにフレるだけでなく、「法」にもフレる。実際、聴覚的な身体性をそのまま理屈にしてしまうと、しばしば抑圧的なボディ・イメージに結びつきやすい。「国語」以前とか以後とか「方言性」とか言ったところで同じこと。その用法の「フレ」の鋭敏さ、その「フルエ」の険しさの内実に分け入っていくのでなければ、なんにもならない。そんな風に考えています。

(1998年3月新宿/採録:高沢利栄)

(初出「GOZO-OPERA : san'nai」/1998)